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世代を通して見えてくるものとは何か──「他者の話を聞く」橋本倫史×松本篤(後篇)

昭和の時代に撮影された8ミリフィルムのホームムービー。

かつて誰かが撮った私(わたくし)の記録を手がかりに、ロスジェネのメンバーが過去と現在をたずねるプログラム「サンデー・インタビュアーズ」の活動がはじまりました。

プログラムの始動にあたって、活動の記録を執筆するライターの橋本倫史さんと、サンデー・インタビュアーズの企画を務めるAHA! 世話人の松本篤が「他者の話を聞くこと、それを残すこと」についてお話しました。

変わりゆく風景を目の前に、語られた言葉をどのように記録する(まとめる)ことができるのか。対談の後篇はそんなお話からはじまります。

(前篇はこちら

「ぼくが何を書けるんだろうか」

松本 那覇の公設市場のことを記録しようとはじめられたブログは、どのような書き方だったんですか?

橋本 最初はあくまでも、ぼくの滞在記だったんです。あちこちのお店に立ち寄って、1日に6軒、7軒の話が入ってくる、日記のような文章でした。確かに、読む人には優しくはないですよね。でもぼくの距離感として、ひとつの土地に対してぼくが何を書けるんだろうかっていう感覚があったんです。ドライブインは日本各地を点々としながら取材しましたけど、市場を取材するとなると、ひとつの土地を書くことになる。そこに対する──とまどいっていうと、言葉が大げさで違うんですけど……。

価値を伝えないといけないとき

松本 ぼくも同じようなことを考えていて。何か似ているところもあるだろうし、違うところもあるだろうなと思って、聞いていました。ぼく自身は、自分でまとめる欲求っていうのが、それほどなくて。自分が書くより、書く人がそこにいたらいいみたいな。場所づくりに興味があります。

でも同時に、それをかためてちゃんと手渡していく、その価値を伝えないといけないときがあって。それまであんまり自分で加工したり何か書いてみたいなことはしなかったんですけど、『はな子のいる風景』のときは自分でやる必要があるって感じたときでした。

図書館に置かれる本にする

橋本 『月刊ドライブイン』をはじめたときは、話を聞かせてもらった分、絶対に1冊の本にまでしないといけないと思っていたので、そこは意識してつくりました。

絶対月刊で出るわけないじゃんって思わせておいて、出し続けて。かつ、装丁も何これって思ってもらう。内容も1号目だと北海道と熊本の2軒なんですけど、全然違うところに行っている。ぎょっとしてもらった方がインパクトがあるかなとか、そういうことは結構考えながら、書きはじめた気がします。

思い入れがあるから、書くわけじゃない

松本 それは那覇の市場のときもですか?

橋本 「よそ者である自分に何が書けるんだろう?」みたいな気持ちは、何を取材しているときにも消えないんですけど、それを理由に取材しないんだったら、なんでドライブインを取材してたんだって話になりますよね。自分自身が家族でドライブインに行ったときの記憶を追い求めて書いているわけでもないですし。思い入れがあるから書くとかでもないんですね。

じゃあなんで書いてるのかって言われると、たまたまぼくが目にした風景の中から、これはたぶんほかの人は聞いてくれないんじゃないか、残してくれないんじゃないかっていうところを、聞いてまわってる感覚ですね。

同じ風景が、違って見えてくる

松本 『世田谷クロニクル』のホームムービーに収められている世田谷区内の映像、例えば、三軒茶屋だったり、下北沢だったりが、いまでも残っていたりする。でも、人ってじつは、それぞれの「価値観」でしか風景を見ることができない。それこそドライブインみたいなもので、存在としてはあるのに、見慣れた風景なのに、目の中に入ってないってことがあると思うんです。

先ほどお話したとおり、サンデー・インタビュアーズの参加メンバーはロスジェネ世代です。橋本さんはぼくと同じロスジェネですが、先ほど「自分より上の世代と何か切れてしまっている感覚」があるとお話されました。この世代感覚をどう感じていますか?

「ささやかな未知」が失われた世界

橋本 坪内さんの『ストリートワイズ』っていう本があるんですけど、この中に「1979年の福田恆存」という文章があります。坪内さんは1958年生まれで、78年に大学に入学して。この大学生だった時期は、「ささやかな未知」というものが消滅していった時期だったっていうふうに書いています。

「『ぴあ』『ポパイ』といった情報カタログ誌の定着。やがて来る『Hanako』。1週間単位で街を消費する。正月も変わらず開いている店。24時間営業のコンビニエンスストア。ガイドブックを見てから入る食べ物屋。日本全国どこに行っても同じ値段で同じ味のものを提供してくれるチェーン店、ファミリー・レストラン。マクドナルド。つぼ八。地方色(ローカルカラー)の消失。同じような駅前ビルとデパート。地方銘菓の東京進出。駅弁まつり。マニュアル書とノウハウ本、そしてマンガやビジネス書の氾濫する画一的な本屋の棚」。そして最後に「……こんなリストだったらいくらでも続けられる」という言葉で、この段落は終わります。

坪内さんが言う「ささやかな未知」が消失したんだとして、ぼくはそれ以降に生まれている世代です。ロストジェネレーションという言葉に対して、ぼくの中に微妙な距離感はあるんですけど、そういったものが失われた以降の世界に生きている。

でも、それ以前の世界を知っていた人は当然街にいるわけで。その時代にぼくは生きていないからこそ、その時代を知っている手触りとか感覚、感触を聞いて残しておきたい。

ドライブインを取材しているときも、よくよく話を聞いてみると、「おや?」と不思議に思うときが結構あるですよ。飲食業に1回も関わったことのない、農家だった人とかが「最近、ドライブインというものが流行っているらしいからうちも出そう!」ってお店をはじめて、「それからもう50年経ちました」と。

いまだったらもうちょっと、個人商店であってもマーケティングをしてとか、こういうお客さんが来てくれるはずだからって感じだと思うんですけど。そんな感じで商売をはじめたんだと思うと、昔といまで、何が変わったんだろうと考えさせられる瞬間は多かったですね。

前の世代の手触りを、ロスジェネが記録する

橋本 あと、ドライブインを巡っていると、いまは女性ひとりで切り盛りされているところが結構多くて。話を聞くと──これはぼくの言葉じゃないですけど──「“主人”がある日突然ドライブインをやるんだって言い出して。あの人もう言い出したらきかないから。もう主人は亡くなったけど、いまも続けてる」って、そんな話に出会うことも多かったんです。

いまだったら、ありえないじゃないですか。結婚したパートナーから「俺が店をはじめるから、お前も手伝え」と突然言われたら、離婚しましょうってなる話ですよね。でも、「“主人”は言い出したら聞かない人だから」と、一緒にお店をはじめた女性がいる。これは別に、その時代の価値観が素晴らしかったと肯定するということではまったくなくて、この人はそんな時代を生きてきたんだと思うと、しっかり話を聞いておかなければと思ったんです。その人が生きてきた日々を、ちゃんと聞いて、言葉に残しておかないと、って。

それを記録することに何の意味があるのか。そうやって記録された言葉に触れることに、何の意味があるのか。そこに対する自分の中の答えはまだ見つかってないんですけど、ぼくはそれを記録しておきたいし、触れていたいという気持ちが強いんです。

松本 ロストジェネレーションっていうのは、あくまで話を聞くひとつのきっかけであって。ロスジェネという区分そのものに、じつは自分自身もしっくりきているところと、借り物の言葉だっていう気持ちがあります。

世代という区切りを入り口として、そこから何か見えてきたら、ロスジェネっていう考え方それ自体を壊していくようなことがあるんじゃないか。もしかしたらそれはただ単に話を聞く、そして残すっていうことのおもしろさなのかなって。そういうものにこの取り組みがなったらいいな、なんてことも思っています。

(了)

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橋本倫史(はしもと・ともふみ)
1982年広島県生まれ。2007年『en-taxi』(扶桑社)に寄稿し、ライターとして活動をはじめる。同年にリトルマガジン『HB』を創刊。以降『hb paper』『SKETCHBOOK』『月刊ドライブイン』『不忍界隈』などいくつものリトルプレスを手がける。近著に『月刊ドライブイン』(筑摩書房、2019)『市場界隈 那覇市第一牧志公設市場界隈の人々』(本の雑誌社、2019)ほか。

松本篤(まつもと・あつし)
1981年兵庫県生まれ。2003年よりremoメンバー。2005年より市井の人々による記録の価値を探求するアーカイブ・プロジェクト AHA!を立ち上げる。編著に『はな子のいる風景 イメージを(ひっ)くりかえす』(武蔵野市立吉祥寺美術館、2017)、展覧会に『わたしは思い出す 10年間の子育てからさぐる震災のかたち』(せんだい3.11メモリアル交流館、2021)ほか。

構成=平松郁