見出し画像

第12回「この人と俺はね、一生の付き合いだから」(文=橋本倫史)

昭和の世田谷を写した8ミリフィルムの映像を手がかりに、“わたしたちの現在地” をさぐるロスジェネ世代の余暇活動「サンデー・インタビュアーズ」。月に1度オンラインで集い〈みる、はなす、きく〉の3ステップに取り組みます。ライターの橋本倫史さんによる記録です。

連載第12回(全17回)

“きく”を掘り下げるために立ち上がった、「サンデー・インタビュアーズ2021+」の勉強会。2回目の勉強会では、こうしてドキュメントを書いている僕が講師を務めることになった。どこまで参考になるかは心もとないけれど、これまで自分がやってきた仕事について、参加者の皆さんに話してみることにした。

僕がライターとして仕事を始めたのは2007年のこと。これといった専門があるわけでもなく、最初のうちは依頼された取材を引き受けるだけの日々だった。そんな僕が、初めて自分でテーマを立てて取材をしたのがドライブインだった。

[撮影=筆者]

きっかけはふとした瞬間だった。

ライターとして仕事を始めたころ、僕は自分が好きなバンドを追いかけて、原付で日本各地に出かけてライブを観ていた。ある年の初夏、九州各地をめぐるライブツアーがおこなわれることになった。鹿児島で最初のライブを観た翌日、国道10号線を宮崎に向かって原付を走らせた。左手に錦江湾を望みながら進んでいくと、カーブを曲がった先に櫓のような建物が見えてきた。あれは一体何だろうと原付を止めて近づいてみると、休業中のドライブインだった。

思い返してみると、いろんな場所で「ドライブイン」と看板を掲げたお店を見かけたような気がする。ただ、1982年生まれの僕は、ドライブインに立ち寄ったことがなかった。週末に家族でドライブに出かけるとしても、立ち寄るのはファミリーレストランやハンバーガーチェーンで、ドライブインを利用したことはなかった。だから視界にドライブインが入ったとしても、そこに視線が合わないままだったのだろう。

鹿児島で気になるドライブインを見かけたあと、宮崎、熊本、大分、長崎、福岡と九州をめぐり、東京まで引き返した。その道中、目を凝らしてみると、閉業して廃墟となってしまったお店も含めて、数えきれないほどのドライブインがあった。どういうきっかけで、これほど多くのお店が「ドライブイン」と看板を掲げて創業することになったのだろう。その背景にはきっと、僕が触れることのなかった“ドライブインの時代”があるんじゃないか──そんなことを思い浮かべたことが、はじめの一歩だった。

ドライブインとは、どんな場所なのか。それを知るにはまず、数を積むことが大事だろう。そんなことを考えたいたところに、軽バンを持っている知り合いから連絡があり、「しばらく使う予定がないから、取材で使いたかったら好きに乗って」と車を貸してもらえることになった。荷台に布団を敷き、日本各地を巡りながら、ドライブインを見つけたらとにかく立ち寄る旅に出た。

そうして数多くのドライブインに立ち寄るうちに、いくつか類型が見えてくるようになった。ぼんやりとではあるけれど、ドライブインを取材することで、日本の戦後史のようなものが仄見えるのではないかという手応えもあった。ただ、それまで飲食店を取材した経験もなく、どんなふうにアポイントを取ればよいのか想像もつかなかったし、取材を記事にするにしても、どうやって出版社に企画を持ち込めばよいのかもわからなかった。ぽやぽやしているうちに、自分が訪れたことがあるドライブインも一軒、また一軒と閉店していった。このままでは話をきかせてもらって、書き残すことができなくなってしまう。とにかく記録を残しておかなければと、自分で『月刊ドライブイン』というリトルプレスを創刊し、ひとりで取材を始めることに決めた。

以前訪れたことのあるドライブインのうち、取材をさせてもらいたいお店の候補は、リトルプレスを創刊した時点である程度は思い浮かんでいた。ただ、いきなり「取材させてもらえませんか」と言い出せる自信がなかった。電話でアポイントをとるにしたって、どの時間帯に電話をすれば迷惑にならないかと思い悩んでしまって、発信ボタンを押すことはできなかった。

話をきかせてもらう前に、こちらがどんな人間なのか知ってもらう必要がある。だからまず、取材依頼をする前に、話をきかせてもらいたいドライブインを再訪することにした。車で乗りつけるからDrive-inなのだけれども、電車とバスを乗り継ぎ、あとはひたすら歩いてドライブインを目指した。混雑する時間帯を避けてお店に入り、まずはビールを注文する。ひとりで入店しているせいか、「あれ、お兄ちゃん、車じゃないの?」と、店員さんから不思議そうに言われることもあった。大丈夫です、歩いてきたんですと答えて、ビールを飲みながら、メニューを眺める。気になった料理を少しずつ注文して、何杯かビールを飲む。あれこれ食べていると、店員さんのほうから話しかけてくれることもある。お店を始められて何年ぐらいになるのか。どんなメニューが人気なのか。追加注文をするたびに、短く会話をしながら、ああ、やっぱりこのお店を取材させてもらいたいなあ。ほろ酔い気分で会計をお願いする。帰り際に名刺を差し出して、自分が物書きであること、ドライブインを取材していることを伝える。「また改めて、どうしてこのお店を取材させてもらいたいと思っているのか、お手紙を書いてお送りしますので、もしよかったらお話を聞かせてください」と言って帰り、後日手紙を送り、電話をかけ、引き受けてもらえるようなら再度そのドライブインまで出かけてゆく。

もちろん、取材を断られることもあった。「取材」という言葉を出した途端に、そういうのは結構だと、ぴしゃりと言われることもあった。あるいは、「そんなふうにうちの店に気を留めてもらえたのは嬉しいけど、ご承知の通りうちは常連のお客さんを相手にほそぼそ営業している状況で、後継ぎもいなくて数年後には閉店すると思いますので、取材したいと言ってくださったお気持ちだけ受け取っておきます」と言われることもあった。

自分でリトルプレスを立ち上げて、ドライブインを取材するなんて、無謀だったか。心が折れそうになりながらも、全国各地をまわり、取材を快諾してもらえた場合は話を聞かせてもらった。店主の皆さんは、お店の歴史だけでなく、家族の歴史や、自分自身の半生をたくさん語ってくださった。

千葉県にある「なぎさドライブイン」の勝さんは、約束した日時にお店を訪ねていくと、たっぷりの料理とお酒を用意して待ってくださっていた。話をきかせていただけるだけでも胸が一杯だというのに、食事までいただくのは申し訳なくて、「お代は支払います」と伝えると、「こういうのは気持ちよくご馳走になっておくもんだ」と勝さんは笑った。僕は言われるままに食事をいただき、夜遅くまでお酒を飲み交わしながら、あれこれ話をきかせてもらった。

そうして『月刊ドライブイン』を発行し続けているうち、バラエティ番組から「ドライブイン巡りのロケに出演してもらえないか」と依頼があった。関東近郊のドライブインを巡ることになり、その一軒に「なぎさドライブイン」を加えてもらった。収録スケジュールが押してしまい、予定より1時間近く遅れてお店に到着することになってしまった。

お店を訪れると、勝さんはすっかりほろ酔い加減になっていた。収録に合わせて、お店の常連客の皆さんを招いてくださっていたようで、到着を待ちきれずにお酒を飲み始めたらしかった。「遅くなってすみません」と謝りながらお店に入ると、勝さんは僕の姿を認めるなり笑顔を浮かべて、「ああ、橋本さん、あんたを待ってたんだよ」と言った。そしてテレビカメラの方に向き直り、「この人と俺はね、一生の付き合いだから。な、橋本さん」と、僕の肩を抱き抱えて笑った。

実際に取材をするまでに何度か足を運んだとはいえ、片手で数えられるほどの数でしかない。そんな僕に、「一生の付き合いだから」と言って笑う勝さんの姿を見ながら、誰かの半生をきかせてもらう仕事の重みを感じたことを思い出す。

『月刊ドライブイン』は、その後、『ドライブイン探訪』とタイトルを改めて、筑摩書房から書籍化されることになった。それが僕の初めての単著だ。本が出版された直後に、勝さんは急逝され、「なぎさドライブイン」は閉店した。

『ドライブイン探訪』は今年の夏に文庫されることになって、久しぶりに原稿を読み返した。記事にまとまった「なぎさドライブイン」の歴史と、勝さんと洋子さんご夫婦の人生を読みながら、「一生の付き合いだから」という言葉を反芻した。

[撮影=筆者]

文=橋本倫史(はしもと・ともふみ)
1982年広島県生まれ。2007年『en-taxi』(扶桑社)に寄稿し、ライターとして活動をはじめる。同年にリトルマガジン『HB』を創刊。以降『hb paper』『SKETCHBOOK』『月刊ドライブイン』『不忍界隈』などいくつものリトルプレスを手がける。近著に『月刊ドライブイン』(筑摩書房、2019)『市場界隈 那覇市第一牧志公設市場界隈の人々』(本の雑誌社、2019)、『東京の古本屋』(本の雑誌社、2021)、『水納島再訪』(講談社、2022)。

サンデー・インタビュアーズ
昭和の世田谷を写した8ミリフィルムを手がかりに、“わたしたちの現在地” を探求するロスト・ジェネレーション世代による余暇活動。地域映像アーカイブ『世田谷クロニクル1936-83』上に公開されている84の映像を毎月ひとつずつ選んで、公募メンバー自身がメディア(媒介)となって、オンラインとオフラインをゆるやかにつなげていく3つのステップ《みる、はなす、きく》に取り組んでいます。本テキストは、オンライン上で行うワークショップ《STEP-2 みんなで“はなす”》部分で交わされた語りの記録です。サンデーインタビュアーズは「GAYA|移動する中心」*の一環として実施しています。
https://aha.ne.jp/si/

*「GAYA|移動する中心」は、昭和の世田谷をうつした8ミリフィルムのデジタルデータを活用し、映像を介した語りの場を創出するコミュニティ・アーカイブプロジェクト。映像の再生をきっかけに紡がれた個々の語りを拾い上げ、プロジェクトを共に動かす担い手づくりを目指し、東京アートポイント計画の一環として実施しています。

主催:東京都、公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京、公益財団法人せたがや文化財団 生活工房、特定非営利活動法人記録と表現とメディアのための組織[remo]

サンデー・インタビュアーズをめぐるドキュメント(文=橋本倫史)