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平成3年映画「グッバイママ」にみる平凡な男の専業主婦>キャリアウーマンという経済的非効率性


松坂慶子主演の平成3年映画「グッバイママ」。秋元康のデビュー監督作品。当時25歳の私は、同じ証券業界で働く女性がどのように描かれているのか興味があり劇場に足を運びましたが、その内容に非常に失望した記憶があります。

30代半ばのキャリアウーマンかな子は、証券会社の仕事も、愛人の開業医・楠田との恋も全て順調 (略)ある日、同じく独身のキャリアウーマンである親友の美恵子が、あれほど燃えていた仕事を辞め、平凡な男と結婚するとかな子に告げる。

松竹公式サイト

当時、恋愛・婚活市場で「女性が稼ぐこと」は、プラスどころかむしろマイナスで、しかも30歳を過ぎたかな子は市場価値ゼロ。妻子持ちと不倫をするしかありませんでした。松坂慶子という美人キャラなのにですよ!しかし、相手は最後は専業主婦の妻のもとに帰っていき、かな子は一人でニューヨークに旅立つ。一方、かな子の戦友、美恵子は平凡な男と結婚し専業主婦となる。

当時のマンガやドラマは、こんな設定ばかり。昭和から平成初期のメディアは、このような価値観を、女性雑誌の人生相談や漫画、ドラマ等で繰り返し女性を洗脳していました。そして、私はこの設定が大嫌いでした。

当時は、かな子のように「高収入キャリア女性」は婚活市場でまったく価値がありませんでした。経済的効率性を考えたら、当時だって2馬力夫婦は、経済的勝ち組だったはずです。しかし、当時は

1.男性が家事育児をすることに対する圧倒的な抵抗感
2.一馬力で家計を支えることに対する男性のプライド
3.政府の提唱するモデル世帯に対する絶対的な信頼

があったことから、経済的効率性が看過されてきたのです。

男女平等教育が浸透し、上記1と2が消滅した最近の20代男性は(3も消滅しましたね)、経済的効率性という当たり前のことに気が付いてしまい、20代「高収入キャリア女性」はいまや婚活市場で人気とか。長い間、割安に放置された株が、急にその含み資産を評価され人気銘柄になるような現象ですね。

しかも、ハイスペック男性ほどこの傾向は強く、同レベルの学歴・収入の女性と結婚し、所謂パワーカップルの爆誕となります。下記SNSの投稿が、その背景をよく説明していると思います。

エリートはエリート同士で結婚しないと 結婚後の生活が大きく変わってしまうね。 一千万同士の 2人なら都心のタワマンとか贅沢な旅行とか子供の受験とかできるけど 妻が専業主婦になってしまったら庶民の暮らしになってしまうもんね。

出典:がるちゃんねる パワーカップルに関するまとめ

政府の子育て支援策を見る限り、政府もこの流れを奨励し、この層に子供を複数持たせる政策に舵を切っているのか、とさえ思います。

映画「グッバイママ」の内容に戻ります。今回再視聴しようと思ったのですが、市場の評価は芳しくなかったようでどこでも配信されていませんでした。なので、内容については公式サイトと私の記憶にのみ依拠しています。
本当は、かな子がかつての恋人の遺子を引き取るというメインストーリーがあるのですが(「グッバイママ」というタイトルの所以です)、今回のテーマとは関係が低いのであえて触れません。










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