蕎麦とマティーニ。
サブタイトルを付けるとしたら、---さっさと、ちょびっと、あと敷居が高くて跨ぎにくい--- というような感じでしょうか。
わたしは蕎麦もマティーニも好きで時々いただいたりするのですが、ふと「そういえば、似てるなぁ」と思ったので、以下それについて書いていきます。
・さっさと --- どちらも、短い時間でお召し上がりください。ということが共通しています。
蕎麦は茹で上がってから時間が経過すると、香りが飛び食感が悪くなります。よくいう「のびる」という状態です。劣化する前に香りも味も楽しみ美味しくいただくのは当然のことと思います。
マティーニはショートタイプのカクテルです。わたしは知らなかったですが、使用するグラスの形の長短で分類してるのかと思ったら、そうではなくて飲む時間の長短でカクテルをショートタイプとロングタイプに分けてたんですね。マティーニは3口で飲めという話もあるくらいなので時間の経過とともに美味しくなくなるようです。
・ちょびっと --- 蕎麦つゆはちょびっとだけ。ベルモットはちょびっとだけ。
いい蕎麦屋なんかだと、まずは何もつけずに食べて下さいとか、塩をふってから口に運んで下さいなんて言われたりもしますが、だいたいは出汁や醤油、砂糖などで味付けしたつゆとともに食べるのが一般的です。
ただし、蕎麦とつゆの比率がおかしくなると出汁や醤油の味だけが目立ちます。蕎麦を美味しくいただくには、つゆの分量は少ない方がいいということです。
大雑把な言い方をするとマティーニはジンとベルモットを混ぜた飲み物です。
ジンは薬用酒を起源にもつ独特な香りが特徴の蒸留酒です。またベルモットは香味付けした白ワイン、豊かな風味をもつ甘い果実酒です。
マティーニのレシピは時代や地域、バーテンダーによって異なりますが、どうやらベルモットの比率が低いドライ(辛口)なものが好まれているようです。
・敷居が高くて跨ぎにくい --- 不義理があって店に行きにくいということではなく、高級っぽく上品そうで教養と風格のある人が注文しているイメージがあるせいか、気軽に楽しめない雰囲気が漂っている感じがします。
行儀や作法が厳しく、ちょっと手順が違っていたり野暮なことをするとアレやコレやとやかく文句を言われるのではと不安で心配している人も多いのではないでしょうか。
中には「それぞれの楽しみ方でお召し上がり頂くのが一番ですよ」と言われる作り手や専門家もいらっしゃると思うのですが、やかましいうるさ型が蘊蓄を傾ける、講釈をたれる、聞いてもいない逸話やエピソードを披露するなど鬱陶しい御仁の多さにはウンザリします。(すみません、わたしもその”御仁”のひとりです。まず謝罪しておきます、ホントにすみません。)
例えば、蕎麦となると落語家がよくする話があります。
「蕎麦ってぇのは ささーとたぐって ほんの先につゆをつけたら ざーとすするんだよ 嚙んだりしちゃいけないよ」なんて言ってた旦那が今わの際に「一度でいいからつゆがたっぷりついた蕎麦が食べたかった」と言ったという滑稽な話です。
つまるところ、粋とか通というのはヤセ我慢であると。
マティーニに関してはわんさかとあります。
チャーチルやフランクリン・ルーズベルト、ジェームズ・ボンドにヘミングウェイと西側の戦勝国、英語圏の英雄たちのダンディズムの象徴なのかもしれませんね、マティーニというか飲み物は。
ベルモットの瓶を眺めながらジンを飲んだ。
執事に耳元でベルモットと囁いてもらいながらジンを飲んだ。
ウォッカマティーニを、ステアでなくシェイクで!
ジンとベルモットを交互に含み、舌の上で混ぜて飲んだ。
大抵は二度の世界大戦前後の話かと思われます。
流儀や作法、レシピがたくさんある。そして何より美味しい。ウィットに富んだ逸話も多い。蕎麦とマティーニが文化として成熟している証拠だと思います。
その文化をどれだけ習熟しているか、どれだけ洗練させているかを競い素人や門外漢を締め出すのは、なんとなく無粋なことのように思います。
過度なスノビズムは滑稽にさえ見えます。落語はそのような権威主義的なことに対し、民衆の眼差しから批判、批評を浴びせている偉大なカウンターカルチャーだと思います。
マティーニにもなんだか権威のようなものを感じますが、映画「キングスマン(第1作)」のエグジーは作中で、皮肉たっぷりユーモアたっぷりで茶化した注文をしています。
気になる方は映画をご覧になるか、調べてみてはいかがでしょうか。
そろそろ締めくくりたいのですが、けっきょく12月に新作が公開されるキングスマンの宣伝みたいになってしまいました。
最後までお読みいただきまして有難うございます。