インドはヤバいのか?いや、ヤバくない #5 そこ、ゴミ捨て場じゃなくて住宅地です
シリグリ地域に滞在しながら、色々な地域を訪れてみる。昨日は物乞いやストリートチルドレンが多く住まうNJP駅前エリアを調査したが、本日は少し色合いが異なる地域に向かっている。
今日の訪問先は2箇所。1つ目は地元の公立(政府系)学校で、2つ目は貧困地域に隣接したノンフォーマルスクールだ。貧困地域といっても、居住者は物乞いやストリートチルドレンではなく、収入が貧困ラインを下回るブルーワーカーたちだ。
移動はいつものごとくオートリキシャを配車するのだが、名を「TERRA MOTORS ”SUMO”」というらしい。(いや、ぶつかったらダメやんけ)これほど地方に訪れても日本文化が(たとえ歪んだ形であっても)伝播している事実に、感銘を受けた。
ホテルからリキシャで20〜30分ほど南下した末に、第一目的地の公立学校に到着した。が、どうやら校舎らしき建物を見回しても、中はもぬけの殻。今日は平日のハズだが、休校日なのだろうか。
近隣住人に尋ねてみると「今(6月末)は雨季だから、しばらく夏休みだ」とのこと。シリグリがある西ベンガル州の北部は亜熱帯気候にあたり、6~8月は特に、道路が川になるほど多量の雨が降り注ぐ。とにかく、今は夏休みで児童や教員は皆いないようだ。仕方ない。
学校は休みでも、子どもは休まない。
校舎を眺める僕のまわりに段々と、まるで「何でこんなところに外国人が?」といぶかしげに感じたであろう近所の子どもたちが集まりだした。
おもいおもいにボールを投げ合ったり、サンダルを蹴り上げたりして遊んでいる。食べ書きのビスケットをよこしてくれたので、お礼に5円玉をあげた。
聞き取りを行っていると、いくらかの住民は経済的事情などから、公立学校ではなくノンフォーマルスクール(NCLP)に通っているのだという。
なぜか?前提として、政府系学校に通うためには、学費として約500ルピー、加えて子どもの住民IDや出生証明書、親権証明書といった公的書類の提出が必要となる。この地域の住民は多くが他地域からの移民・難民で占められており、当然ながらそういった公的書類の類を所持していない。
公立学校にも通えない子どものために、インド政府は公教育の範疇外でNCLPプログラムを実施している。
そして、その施設は公立学校の手前にある納屋のようなコンクリート造りの建物だった。中を覗くと、壁には以前掲示してあったであろう張り紙が剥がされた跡が残り、わずかに「ONE TWO THREE FOUR FIVE」という英語教育の痕跡が見えるのみだった。一方で8畳ほどの床には脚の折れた長机が無残にひっくり返っているのみだった。
おそらく、他に置いてあった教具や設備は持って行かれてしまったのだろう。ヒアリングをもとにすると、NCLPと呼ばれるノンフォーマル教育プロジェクトは、2020年のコロナ禍を境に突如中断され、そのまま活動が休止した状態なのだという。当時勤務していた教員も、現在は私塾で生活費を稼ぐ必要に駆られており、プロジェクト資金源の供給について目処もたっていないのだとか。
※2023年現在は、一部のNCLPで活動が復活しているようである。資金源は地方自治体らしいものの、どのような経緯で活動が復活できたのか詳細はわからない
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先ほどの地域でのヒアリングを終え、リキシャで20分ほど舗装なき路地を抜けると(ミスチルの歌詞でありそうな)、川沿いに広い芝が生えたエリアへとたどり着いた。
広場の奥には、飼われているのであろうヤギの群れが思い思いの余暇を過ごしていた。
奥に進むと、河岸には大量のゴミが散乱している。どうりで、生ゴミのような異臭がたちこんでいたわけだ。日本では見ようと思っても見れない光景だが、上流から流れ着いたり堆積したりしているのだろう。
この地域にも同様にNCLPスクールがあり、公立学校に通えない子ども向けのノンフォーマル教育を提供している。この辺りの地域に住む人は、やはり移民が多く公的書類の類を持ち合わせていない。主に建設業やリキシャの運転手、家政婦などに従事しながら、日収300-500ルピーを稼いでいるという。
川のほとりに2棟の平屋が建っており、どうやらそこが教室になっているようだ。こちらの教室には1つの机と7つのイスが置いてあり、先ほどのエリアほど荒れた様子ではない。
しかし、コロナ禍で教育活動がストップしている点は同じだ。教員は日銭をまかなうために、塾教師や制服製造業に勤めている。
※2023年現在は、NCLPの活動が復活しているようだ。この地域の教員は保護者とのネットワークを有し、連絡や会合を開いていたため関係性が途絶えていなかったと考えられる
2つ目の地域でのヒアリングを終えると、時刻は14:00となっていた。調査中にスコールが降り注ぎ、しばらく教室に雨宿りをしていたこともあり「そういえば昼に何も食っていなかった」と急に腹が減る。
生ゴミ臭がやや鼻に残るが、湧き出てくる食欲に軍配が上がった。
現地通訳の引導によって、近くのローカル食堂に立ち寄った。
一般的なカレーを注文。カレーといっても、チキンカレーやマトンカレーのようなものではなく、ここではダールという豆を煮たトロトロスープを米にぶっかけて食うのがシンプルなメニューだ。
紙皿とアルミホイルを内分したような皿の上に、こじゃんとインディカ米を盛り、塩辛く炒めたポテトとスナック(サッポロポテト網の目verに酷似)を添える。別皿のダールやチキンをシャバシャバっとかけて、右手ですくって口に放り込む。この食べ方もだんだん板についてきた気がする。
デリーで食べたドロドロカレーも美味しいのだが、こっちのシャバシャバ・トロトロカレーのがアッサリしていていくらでも食べられる。ダールの味は日本人でいう味噌汁のような優しさを感じる。
すっかり空腹を満たして帰路につく途中、一台の黄色いバスが目の前を通り過ぎた。シリグリに来てからたまに見かけるこのバスは、どうやら私立学校の送り迎えに使われるスクールバスのようだ。
先ほどまでオンボロの校舎やひっくり返った教室の机を見ていたハズなのに、まるで別の世界に来たかのようだ。
これほど近くに住んでいても、多分バスの中に座っている子どもには、ボロボロの教室のことがよぎることもないだろうし、僕と同じく別の世界のことだと思うだろう。
何もこれは、インドだけの出来事ではない。自分らが住んでる日本でだって、僕らは身の回りの環境が世界の普通だと思いながら、道を挟んだ反対側の家の実情すら知ることはないんだ。
あれだけコスモポリタン だの、社会の分断だの叫びながら、実のところ隣の友人のことすら理解しきれないものだ。
それでもなんとか生きていくしかないんだな、と感じた