けすかた

何もかも捨てて55歳単身で東京へ来ました! **後悔のない生き方をリアルに人体実験して…

けすかた

何もかも捨てて55歳単身で東京へ来ました! **後悔のない生き方をリアルに人体実験しています笑**

最近の記事

彼女と別れることにした。

彼女と出会ったのは2021年3月 きっかけは出会い系でもない普通のアプリから。 何回かDMでやりとりし LINEの交換。 しかし相手は東京、私は関西に住んでいる。 会うのは難しいと思いながら 月に1度は会っていた。 彼女は娘が二人いるシングルマザー。 なのに時間を割いて私と会ってくれた。 一年ほど経過し、彼女側の娘さんが イジメによる不登校となり しばらく音信不通になった。 それからもお互い気持ちはあり LINEのやりとりや年に数回会っていた。 東京に移住する理由も

    • 関西に戻ろうと思った。

      息子と会ってからいろいろ考えた。 https://note.com/gatspoase/n/n247cf5a134b2 私には関西に大事な財産となる友人がいる。 これから新たな交友を作り出すより 今ある交友関係を維持した方が良いと思った。 私は自分で思うだけで何の根拠もないが 今後認知症になる可能性が高い。 ・昔、交通事故を起こし脳に外傷がある。 ・母親が認知症である。 ・54年間、毒父親の折檻や会社のパワハラやイジメ。 元嫁のモラハラがあり心に心労がある。 ・減薬中で断薬

      • リワークプログラムに参加してみた。

        現在、通院している精神科で リワークプログラムを毎日実施している。 今年1月から通院しているが参加しなかった。 リワーク=休職支援という事と思った。 現在、選択定年で再求職中。 休職ではない。 なので必要ないと思っていた。 しかし自分の人生で初めての体験なので リワークプログラムに参加してみた。 通常2000円かかるのであるが、 支援制度を利用しているので お弁当付きで820円で済む。 リワークプログラムに参加。 いつもの関西人ノリと自分の性格上、 周囲に声を掛けて 明

        • 大企業で働く人の闇

          私は去年まで大企業の中間管理職として 働いていた。 今年は再就職期間中であるが 前職場の友人から私が辞めた後でこんな話を聴くことがある。 「〇〇さんは今ギャンブルで借金を抱えている」 「〇〇さんは借金で今債務整理をしている」 「〇〇さんは利息だけ返している」 大企業で働く人のほんの一握りかも知れない。 私もかつては個人ローンの利息返し生活を送っていた。 大企業で働く人の闇は 大企業で働く人ほど借金して 首が回らなくなっている という人をよく見かけるという事である。

        彼女と別れることにした。

          離脱症状がなんとなく治まってきた。退職前から減薬していた事もあり穏やかになっているのかも知れない。あと睡眠が重要!朝の目覚めが半端なく良かった。 このまま上手く断薬出来ればいいと思います!!!

          離脱症状がなんとなく治まってきた。退職前から減薬していた事もあり穏やかになっているのかも知れない。あと睡眠が重要!朝の目覚めが半端なく良かった。 このまま上手く断薬出来ればいいと思います!!!

          半端ない離脱症状

          私は会社と家のストレスが原因で エチゾラム(デパス)を 20年ほど服用していた最初は 1日0.5㎜を三錠朝昼晩 に服用しており、会社の転勤を機に 一時期服用しなくなったが またストレスが溜まり 精神安定剤に手をつけていた。 会社の退職が決まってからは 少なくなったものの多いときは一日 10錠くらい服用していた時もあった。 55歳で選択定年し新たな仕事を 見つける際に精神安定剤を服用 していることは大きなネックとなった。 エチゾラム(デパス)の服用を することで車の運転を 制

          半端ない離脱症状

          精神安定剤の服用をやめる。

          今、私は関西の大企業を選択定年して 東京に移住。現在転職活動中である。 やりたい事をしようと思っているが その前に辞めなければならない事があった。 それは… 精神安定剤の服用を辞める事である。 精神安定剤を服用することになった 背景と現在断薬するまでに している事をまとめました。 ・精神安定剤を服用した理由。 上の過去記事に精神安定剤を 服用する簡単な経緯は書いていますが 私は高校卒業後、何とか大企業に入り 仕事を一生懸命していましたが 失敗だらけの新人でした。

          精神安定剤の服用をやめる。

          やっぱり東京は友達おらんから寂しいわ笑

          やっぱり東京は友達おらんから寂しいわ笑

          息子が東京まで会いに来てくれた

          三月末の日曜日、息子が東京に会いに 来てくれた。 2人息子がいるが次男の方だった。 もう年は27歳になる。 元妻と離婚協議している時に、 顔を見せたくらいで おおよそ4年弱になる。 ずっと仕事で名古屋に勤務していたので 息子が22歳の時からあまり会うことは 無かったが 本当に久しぶりである。 とりあえず私の家に荷物を置き近くの 銭湯にいった。 そしてあまり居酒屋さんを知らない 私が以前から 息子がくるならここにしようと思っていた 焼きとんのお店に入った。 一緒に酒を呑ん

          息子が東京まで会いに来てくれた

          睡眠は充実している。 運動も充実している。 ご飯も充実している。 しかし心のバッテリーは20%です。 何か始めなければならないと言う焦りからかな?

          睡眠は充実している。 運動も充実している。 ご飯も充実している。 しかし心のバッテリーは20%です。 何か始めなければならないと言う焦りからかな?

          【おてつたび】福島県双葉郡広野町🧑‍🍳に行ってきました!

          おてつたびとは おてつたびとは、お手伝いをきっかけに地域とご縁を繋げるプラットフォームです。お手伝いを通じて地域の方と関係性が作れたり、知らない土地で知らない業種のお仕事を知る事で自身の見識の幅を広げられる良いきっかけになります。基本的には、お手伝い先の場所に滞在することになるので、宿泊費がかかりません。もちろん報酬もあるので旅費の足しにすることが出来ます。(移動費は自分で支払います) おてつたび|お手伝いをしながら、知らない地域を旅するお手伝いをしながら知らない地域を旅して

          【おてつたび】福島県双葉郡広野町🧑‍🍳に行ってきました!

          おてつたびを通じて地域の人々と交流ができ、そして何も経験したことがない仕事をさせて頂くことが楽しくて、本当に会社を選択定年して良かったと思うし、今年の4月までに転職活動をして就職する予定だが、もうしばらくおてつたびを応募していろんな所を廻りたいと思いました。

          おてつたびを通じて地域の人々と交流ができ、そして何も経験したことがない仕事をさせて頂くことが楽しくて、本当に会社を選択定年して良かったと思うし、今年の4月までに転職活動をして就職する予定だが、もうしばらくおてつたびを応募していろんな所を廻りたいと思いました。

          【おてつたび】🎍🎍🎍🎍島根県浜田町へ行きました!

          2024年2月20日~29日までの間 「おてつたび」で島根県浜田市の 「あさひひまわり工房」さんへ訪問し、竹林整備のお手伝いを させて頂きました! 日にちはだいぶん経過しましたが おてつたびの作業内容や観光地について 報告させていただきます! おてつたびとはおてつたびとは、お手伝いをきっかけに地域とご縁を繋げるプラットフォームです。お手伝いを通じて地域の方と関係性が作れたり、知らない土地で知らない業種のお仕事を知る事で自身の見識の幅を広げられる良いきっかけになります。基本的

          【おてつたび】🎍🎍🎍🎍島根県浜田町へ行きました!

          お客さまが課題を達成する事を お手伝いする仕事はいろいろある。 そして満足を与えて対価を頂く。 今の私は仕事を選ぶ事は出来ないけれど 給与がどうだとか休みがどうだとかでは 無く素直に原点どおり仕事の目的を 具体化してみよう。

          お客さまが課題を達成する事を お手伝いする仕事はいろいろある。 そして満足を与えて対価を頂く。 今の私は仕事を選ぶ事は出来ないけれど 給与がどうだとか休みがどうだとかでは 無く素直に原点どおり仕事の目的を 具体化してみよう。

          息子のこと

          今、私は関西から東京に移住している。 関西にある会社も昨年末に退職している。 元嫁とは3年前に離婚した。 離婚の前に私が家を出て行った。 別居してから元嫁とは数回会って協議したが 成立しなかった。 協議の場には長男・次男も同席していた。 長男・次男はもう既に成人していた。 息子たちは成人しているので 夫婦間で協議すれば良いのに 何故が長男・次男も入っていた。 それきり。 協議している時から息子たちに会っていない。 離婚の報告で電話はしたものの 電話に出たのは次男のみ。 通

          息子のこと

          私の父親について

          私の父親は83歳になる。 今はもう気力も体力もない。 しかし私が子供の時は たくさん虐められた。 うちの兄も無茶苦茶折檻された。 昭和の暴君そのものな親父だった。 冬のある日、ストーブで父親が いつも使っていた仕事用の軍手を 乾かしていた時、 兄が「こんなん焼けて しまえばええねん。」と言った すると、突然兄に父親が激高し 殴る蹴るをずっと続けていたのを 傍で私が何も言えず観ていた記憶がある。 兄もまだ小さかった。 私も兄の3歳下である。 私も小学生の時、 図書館で「どろ

          私の父親について