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読書と映画の繰り返しで五感を磨ける?

みなさんは、読書派でしょうか?それとも、映画派でしょうか?

今回は、読書と映画を繰り返すことで、五感を磨けるのではないか?
そう思った出来事がありましたので共有させてください。

モノ・コトを捨てるのに慣れるを超えて、少しでも理想の生活には不要(残した選抜メンバーだけで生活する方が気持ちがよい)と思える場合は捨てないと違和感がある、そんな状態になっています。

読書やYOUTUBEの本要約チャンネルを通しミニマリストを知り、実践に至ったわけですが、現在も情報収集を続けています。

そんな私が、今回読んだのが、中野善壽さんの書かれた「ぜんぶ、すてれば」です。

自身のミニマリストの考え方の補正・更新をするために読んだのですが、思わぬ収穫がありました。

それが、読書を活用した、五感の磨き方です。

本書では、著者が読書について言及している箇所があります。

同じ物語を楽しむなら、映画よりも読書派。
文字だけで表現される本なら、そこに描かれる情景を何色に染めるかは自由自在。
どこで感動し、どこで一息ついて余韻を味わうか。
緩急の付け方だって、読み手が主導権を握ることができるのがいい。

「ぜんぶ、すてれば」演出を捨てる。どこで感動するかは、自分で決める。

その通りだと思った反面、ちょうど映画を見た後に読書をしていた私は、全身で作者の世界観に共感できる映画も捨てがたいのだけどな、と感じました。

読み進めると、映画についても言及されていました。
早とちりしてしまいごめんなさい、と心の中でつぶやきながら以下の文章を読むことになります。

作り手が想定したとおりの環境で初めて「映画を観た」と言えるはずです。
しかし、最近はスマートフォンの小さな画面でも簡単に観られるようになって、
映画館に行かない若者も増えているようです。
それは本当に映画と言えるのか。
自分の五感でしっかり受け止めた感動というのは、確実に自分のものになる。

「ぜんぶ、すてれば」スマホで観る貧しい映画は文化じゃない。五感で本物を受け止めよ。

著者は、映画も読書も大事にされているようです。

同じ物事でも、目で学ぶのと、耳で学ぶのとでは異なります。

本だけに絞って考えても、YOUTUBEで耳で学んだ後に、実際に本を購入して目で学ぶと、異なる知識を得ることができます。


さて、話を本題に戻しますと、ここで私は、読書と映画を繰り返すことで五感を磨けるのではないか?と感じたのです。

読書: 読者が本の世界の色やテンポを決める=自身は感覚を吐き出す側
映画: 作者が環境の全てを決める=自身は感覚を受け取る側

感覚を吐き出すのと受け取るのを繰り返すことで、両方の質を向上させられると思います。

どちらかが足りないと成長速度が落ちてしまう、インプットとアウトプットみたいな関係でしょうか。

著者のいう映画館に行くことが減った若者に、おそらく私は該当しますが、たまには映画の作者が想定している環境に足を運びたくなりました。


余談ですが、読書は一見インプットの一種のように思えますが、実は読むだけでアウトプットできていることもあるんですね。

文字という情報をインプットしながら、アウトプットによって本の世界を自分なりに完成させていると考えながら小説を読むと、感覚が研ぎ澄まされるのではないでしょうか。


一つの物事に対し、たくさんの視点・視座から触れることの重要性について考え直せた時間でした。


ではまた、次の投稿で。

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