上沼恵美子の騒動について、浪速の事情通が物申す

(最後はいつもの映画レビューで終わります・・・)

M-1グランプリで炎上した芸人のおっさんの案件がやたらと炎上している。

どうやらかつてチャンピオンだったトロサーモンがM-1で審査員をしていた上沼恵美子に対して「ババア」だの「更年期障害」だのとののしったらしい。


確かにあのおばはんは不愉快に見えるのは仕方ない、だがインスタのライブで暴言を吐くのは本当によくない。芸人としてあるまじき態度だと思う。

あと・・・「更年期障害」といったのはちょっとやばいだろう。

病気関連でバカにするのは更年期障害で悩んでいる人に対してかなり侮辱だ。ブラックジョークでも笑いのネタにもなってない。

おそらく上沼への批判そのものではなく病気に対してバカにしたネタが一番アウトだったのではないかと思う。

それなら「あと10年ぐらいしたらあのババアくたばるでしょ」とかぐらいにとどめておくほうがまだ笑いのネタになってたでしょと思ったりするのだ。(これはこれでやばいかも・・・)

とどめはこの話がどうやた後を引いてフェミ関連とミソジニー界墨(KKOと呼ぶに値しない)で場外乱闘が繰り広げてるらしい。

M-1終了後、GYAO!で配信された『大反省会』にて久保田は、上沼がミキに98点を付けたことについて『上沼さんが評価するのは女子が好きな笑い』とコメントしています。ミキといえば、アイドル的な人気で出待ちナンバー1芸人として知られ、弟のルックスありきで応援している女性ファンが多い。

うーん、どうだろうか・・・・?

確かに上沼恵美子をよく知らない人間は不愉快に見えるかもしれない、アクが強い人なので好き嫌いははっきりわかれるだろう。

そしてミソジニーのフィルターを通してみたらそういう風にみえるのかもしれない。

だが、東京ですでに売れなくなった上島龍平やダチョウ倶楽部の3人を自分の番組で積極的に使っている。

吉本新喜劇で座長の座を小藪に奪われた辻本茂雄もかわいがっている。

上沼はイケメンの笑いに甘いというよりも、単純に面白くないやつをプロデュース能力に長けているだけなのだと思う。正直、トロさーもんが「あの女はイケメンに甘い」とぬかすことができるほど面白くないだろ自分というのが本音だ。

それに漫才の技量でいえば全盛期の上沼恵美子ととろサーモンを比較すればとろサーモンには悪いが月とスッポンだなぁと思う。

それにここだけの話だが、上沼恵美子の番組で以前嫁さんの夫の愚痴特集か何かで「夫がオタクグッズにはまってしまってどうしようもない」という愚痴に対して「でも、何か趣味あるっていいことだよ。」とさりげなくフォローしたことがあった。

そして大阪に住んでいない外阪の人間からすれば関西のテレビ業界を牛耳る悪の女王のようにみえるが、実は年々上沼恵美子の持つポジションはキャパが少なくなってきている。

それに年齢ももう7年ちょっとで70ちょいになるかし、おまけに現在のレギュラー番組は正直数える程度でしかない。

もしも彼女が恐怖と邪悪で大阪を支配する女王にみえるなら、帝国に残された年数は残り少ないといったほうがいいだろう。

それに正直大阪の民放も年々面白くなくなっていく、以前地方のテレビ番組は面白いものであふれていたが・・・abemaテレビやnetflix、さらには衛星テレビなどの方が面白いし、地方のテレビ番組といってももはや何も残されていないのが現状だ。

もっというと、ここだけの話だが、上沼恵美子以前にM-1はすでにコンテンツとしての力はほぼ尽きているのが現実だと思っている。


出ている人間がつまらないし、審査員といってもほとんどが吉本の芸人ばかりだ。しかもチャンピオンになるのも吉本の芸人ばかりになってしまった。

最後に才能ある人間がチャンピオンになったのは正直言ってだいぶ前のサンドイッチマンが最後じゃないだろうか。

もう誰のために続けているかわからないM-1グランプリ、もうここで有終の美をかざってもいいころではないだろうか・・・・。

やはりM-1よりもオンエアバトルのほうがネタ番組としては何もかもが上だった。漫才というコンテンツを大阪以外の街に発信することがM-1の役割だったが・・・それに成功したとは俺は思わない。

この記事の最後にある名作映画のレビューをして終わりにしたい。


「極底探検船ポーラボーラ」

以前にもレビューをしたが、この映画は現代社会に残された恐竜をハンティングするために地底世界を冒険する悲しい孤独なハンターと一匹のティラノサウルスの死闘を描いた名作映画だ。

正直言ってティラノサウルスはへぼい、脚本はグダグダ、主人公はエゴイスト、ヒロインは無能、原始人はいかにも日本人をバカにした時代遅れの描写・・・・だがこの映画全体的に漂う退廃的で悲壮的なムードはまさに壮観の一言だ

この映画の曲もたまらない、恐竜映画なのにとても後ろ向きで悲しい曲なのだ。

歌詞は和訳するとこんな感じだ。

「彼の時代は過ぎ去って、もうもどってこない。」

「彼こそが最後の恐竜。」


この映画の原題は「Last dinosaur」つまり「最後の恐竜」なのだが・・・・その最後の恐竜とは実は主人公マステン自身のことだったのだ。

時代に取り残され古いまま残っている恐竜、その力は強大だが、今の時代は適さない。なぜなら恐竜が生きていくには小さすぎるからだ。

つまり大阪=吉本=恐竜の世界で生き残る最後の恐竜・・・それこそが上沼恵美子なのだ。

主人公マステンとヒロインのやり取りが忘れられない。

「マステン、ダメ!あれは最後の恐竜なのよ!」

「俺もそうさ・・・・。」


俺はここで涙が止まらなかった、現代社会になじめない彼を温かく迎えるのは恐竜の世界のみ・・・・。

ここで俺が何を言いたいかというと、上沼恵美子は現代のテレビ業界に残った最後の恐竜であるティラノサウルスそのものなのだ。

今後、大阪はお笑いの世界を含めて東京化が進んでいくだろう。

大阪万博でこの流れは止まらない。

そこで大阪の元々あった土着の文化はみな消え去っていく。上沼恵美子もいずれそうなるのだ・・・。

そして、大阪が嫌いで大阪を憎んでいるが・・・・この街以外では生きていける気がしない俺はマステンなのだ。

上沼恵美子と吉本の死は俺が見届けるとここに断言しておこう。

そしてどうか、上沼恵美子を嫌いにならないでほしい。彼女は東京の街では生きていけない現代大阪社会に残された最後の恐竜なのだ。

彼女もバカな現役復帰をしようとしてるらしいが、どうか愚かな考えは控えてほしいものだ。




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