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中途障害な自分の「働き方」:恩返しとパラレルワークの可能性(GATHERING動画紹介シリーズ:白井さん中編)

こんにちは!私たちGATHERINGは生きづらさや障害を抱える若者のキャリアを応援する活動をしています。その一環として、先輩社会人の方々から就活・社会人生活の経験談を伺い、Youtubeで公開しています!
GATHERINGのnoteでは、動画の内容も時折紹介していきたいと思います。

今回お話を伺ったのは白井長興(しらい・ながおき)さん(41)。白井さんは東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会のメンバーとして広報やコンテンツ制作を担当しています。また2016年にはNPO団体を設立、現在も理事を勤めています。穏やかな物腰でテキパキとインタビューに応じて下さった白井さんですが、社会に出ていく過程の中でつまずいたこと、困ったことも多々あったそうです。前編では白井さんが障害を受け入れるまでの過程を追いかけました。今回の記事では白井さんの就職活動から、多様な働き方の実践について考えていきます。

前回の記事はこちら👇


「働く」が始まる、自分も変わる。

白井さんが当時在籍していた大学は、いわゆる一般の四年制大学。現在とは異なり、障害者向けの就職エージェントもありませんでした。白井さんの就職活動は一般向けの就職情報サイトから応募する企業を絞り込むことから始まりました。たくさんある企業のうち、車椅子ユーザー向けの設備がありそうか、面接を受けてもいいか、などの条件からおよそ100社を選び、エントリーシートを書いては送っていたそうです。うち30社ほどから説明会や面接に呼ばれたそうですが、結果は全滅。就職超氷河期の煽りを受けていたことはもちろん、車椅子ユーザーが働ける環境が整っていないこと、が主な理由でした。結局白井さんは就職先が決まらないまま大学を卒業。障害を理由に「自分が社会に受け入れられていない」と感じ、精神的に追い込まれ、無気力になっていたと言います。

しかし卒業からちょうど1年ほど経ったとき、白井さんにふたつのチャンスが舞い込んできます。ひとつは「障害者の就職活動を支援している学校で資格の勉強をしてみないか」、という案内。もうひとつはNPO法人日本せきずい基金(脊髄損傷の当事者たちに再生医療などの情報を案内する団体)の理事長からのお誘いで、「訪問介護の事業を始めることにしたので、一緒に働いてみないか」というものでした。白井さんは考えた後、「学校で資格やビジネスの勉強をしながら、アルバイトとして訪問介護事業に携わる」という進路を選択します。白井さんにとって「働く」という経験がスタートした瞬間でした。同時に横浜にあった実家を出て、一人暮らしを始めることになります。

白井さんは学校卒業後、その訪問介護事業に10年ほど携わり、最終的には管理者として従業員たちのマネジメントを行うことになります。

自分に「できること」で、恩返し。

2011年3月11日、東日本大震災。日本でもさまざまな人や活動が被災地に手を差し伸べようと奮闘する中、白井さんが勤務していた訪問介護事業所も、ボランティアでの高齢者、障害者のための入浴サービスを行うことに決めたそうです。白井さんも被災地の現状やサービスの利用状況をリサーチするため、宮城県・福島県に向かいました。
ボランティア活動を通して白井さんが気づいたこと。それは「障害があってもボランティアができるんだ」という、自分に秘められた可能性の発見でした

「これまではずっと何かをしてもらう側だった」

中途障害のリハビリから現在まで、ずっと自分は何かをしてもらう側だった。けれどもボランティアとして、自分を必要としてくれる人がいる。自分にも、これから先もずっと、できることがあるかもしれない。

ボランティアでの経験を通じて、「これまでお世話になってきた人たちに恩返しがしたい」という意欲を持つようになった白井さん。10年間所属していたNPO団体を卒業し、個人での活動をスタートさせます。人脈を広げ、新しい組織や活動を立ち上げることを画策している中で、ふと「一般企業での働き方」がどのようなものか、気になるようになったそうです。そこで白井さんは障害者向けの雇用エージェントとコンタクトをとり、そこでの縁がきっかけでイギリスの証券会社の日本支部に中途採用が決まりました。ちょうどロンドンオリンピック・パラリンピックが開催された時期。企業内でダイバーシティやインクルージョンに対する考え方がガラリと転換し、当事者たちの声から合理的配慮がいただけるように変わっていったそう。
そんな中で白井さんは社内のダイバーシティグループの障害に関する部門で働くことに。システム分析や資料作成など、通常の業務をしながら社内に向けたセミナーを開催し、障害者の置かれている現状や働き方などを伝える活動などをしていました。こうした経験を生かし、2016年にはメンバーを集めてNPO法人シェイクハートプロジェクトを立ち上げました。

「働き方」にも、可能性:パラレルワークやリモートワーク

NPO団体立ち上げ後、しばらくは企業での業務を続けていた白井さんですが、活動そのものを軌道に載せるため、一度退職という選択をします。ほぼ同じタイミングでパラレルワーク(2種類以上の仕事を同時に手がける働き方)をはじめ、多様な働き方が日本社会にも広がりはじめます。いち早く自由な「働き方」が選べることへの可能性を感じたという白井さん。これまでの業務で培ったノウハウを活かしながら、現在はふたつの企業でパラレルワークをしているそうです。

まさに2020年代現在、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、日本でもさまざまな「働き方」が画策されています。パラレルワーク、リモート業務、フレックスタイム制。それでも日本ではまだまだ時給制での給与の支払いが一般的。障害の有無にかかわらず、朝から夜までのフルタイムで働けない、または働きづらい人はたくさんいるはずです。「働き方」がもっと自由に選べるようになれば、またわたしたちが「働き方」をもっと自由に選んだら、この社会で活躍できる可能性はもっと広がるのではないでしょうか。

「働き方」の可能性を模索し続けてこられた白井さん。そんな白井さんは、自分が働く場所をどのように生み出しているのでしょうか?後編では、白井さんが働くうえで大切にされていること、そして白井さんの考える「障害受容」についてお話を伺っていきます。(後編へ!)

後編はこちらからご覧いただけます👇

最後まで読んでいただきありがとうございました!実際のインタビューの様子はこちらから視聴することができます。ぜひご覧ください!


白井さんが代表を務めるNPO法人シェイクハートプロジェクトのリンクはこちらから!


白井さんが担当している東京オリンピック・パラリンピック組織委員会についてはここから!東京オリンピック・パラリンピック組織委員会でのお仕事については後編に詳しく掲載します。

https://olympics.com/ja/olympic-games/tokyo-2020


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