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昭和の歌の「詩」の世界 × 国語教育なんてどうでしょう

子どもの読解力の低下が叫ばれるようになって久しいです。私の狭い教育体験で恐縮ですが、今まで関わった1000人近い生徒でも国語力が高いと感じた子はほとんどいません。

語彙力、読解力、文章の構成力、大げさでなくどれをとっても絶望的に感じるような子に出会うことも珍しくありません。

読書経験の乏しさゆえなのは言うまでもないですが、そのような子は「本を読みなさい」と言われても「読みたい本がない」、「読んでもわからない、つまらない、めんどくさい」と反応するのがオチです。

そこでふと思ったのが、ヒット曲の歌詞を「詩」として扱い、それを素材にしてどういう情景が描かれているのかを読み取ったり、想像したりすることを通じて言語能力を養うのはどうかということです。

私は昭和の歌謡曲や演歌が好きで毎日のように聴いていますが、歌詞だけをとっても素晴らしいものが多いと感じます。代表的なのが故・阿久悠氏の作品で、数えきれないほどの名作を遺されています。

私の好きな曲でひとつ例を挙げてみましょう。石川さゆりさんの『津軽海峡 冬景色』です。(歌詞をそのまま載せると著作権法に違反する恐れがあるので、ご自身で検索してください)

川端康成の『雪国』を彷彿とさせるような風景描写から入り、さびしい雰囲気の中で誰か泣いている人がいます。なんで泣いているのだろう、なぜ上野から青森まで帰るのだろうと思っていると、2番に入ったところでああ、誰かと別れたのだなと分かります。

このように文脈を読み取ることはもちろん、歌詞にある言葉から情景を写真や映像のようにして頭の中で想像したり、この別れは恋人同士なのか、夫婦間のことなのか、あるいは死別か…などと色々解釈してみるのは国語力のトレーニングに繋がるのではないでしょうか。

他にも沢田研二さんの『時の過ぎゆくままに』や、ちあきなおみさんの『喝采』なんかもいい題材の例として挙げられると思います。

行間を読む訓練として、初代ドラゴン桜のマンガでも似たようなことをしていた記憶がありますが、小説や随筆を読む際にはこの行間を読むという作業が否応なしに要求されます。

かと言って本が嫌いな子にとっては長い文章を読むことなど苦痛でしかありません。そのため、歌の歌詞くらいの短いものであれば入りやすいのでは、と思うのです。

どの国語の教科書にも「詩」の単元はありますが、やはり教科書に載るのは大人が子供に読ませたいようなお行儀のよい感じのものが多く、あまり子どもの目線からすると興味が湧くように思えません。

それよりも歌の歌詞であれば、もう少し直接的に心に迫る愛憎や喜怒哀楽が表現されており、「読んで面白い」と感じる可能性が高いのではないでしょうか。

私の感覚では、昭和の歌と比べると最近(といっても大体2000年以降)の曲は言葉が直接的で想像力が入り込む余地が少ないか、あるいは詩と呼べるほどのレベルまでは完成していないものが多いと感じます。

分かりやすいといえばそれまでですが、どうも近年の子供の活字離れや国語力の低下との関連性もあるように思われます。

もちろん歌詞を詩として読むだけで読解力の向上につながるわけではないですが、読む力をつけるトレーニングの一環、それも入り口の一つとしては可能性を感じますし、私が知らないだけで探せばきっと最近のヒット曲のものでも素晴らしいものがあるはずです。

こんな風に、何でもいいので言葉や文章に親しみを持つきっかけとなる間口を少しでも広げられたらと常々思っています。国語力はすべての勉強の土台になるものなので、何とかしたいところですね。



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