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『Wisdom、Beauty、Strength〜久々都市伝説考察大人編?〜』

皆さん、こんにちわ。

臥龍桜です。

今回はちょっと目に止まったYouTubeの動画があったので、それについてお話しします。

まぁあくまでも個人的な見解ですので、どの様に感じるかは皆さん次第です。


ではどの様な動画が目に止まったか?

上から1、2、3と3部作の様です。

右端に居る方がフリーメーソンの32階級の方だと言われていて『マスター』と言われています。

中々面白い動画だったので興味がある方はご覧になってみて下さい。

ではここから簡単に個人的な考察を。

まず1の動画の『螺旋階段』について。

下記のサイトを見ていただけたら詳細が分かると想います。

簡単に言うと個人的にはこの螺旋階段を造ったのが

フランソワ=ジーン・ロシャス。

聖堂を造ったフランス人建築家アントワン・ムリー。

『フリーメーソン』だったんじゃないか?
と想います。



※サイトから一部を抜粋。


コンパニョンの人々から、自分の仕事を尊び、 名誉に思う心学びました。
これは この時代の若者の精神に逆らっていました。
つまり仕事は生きるための手段で、それ以上ではないとの考えが主流だったのです。
またコンパパニョンで教えられたのは完璧は存在しない とゆうこと。

しかし、常により良いものを目指せる そして全てを改善できるとゆうことでした。

コンパニョナージュでは、(略)石工、大工、家具職人、時計職人など あらゆる職業のその道のプロと言える人たちと交流ができましたので、とてもみのり豊かでした。

皆が幸福そうに情熱をもって自分の仕事について話しをしている。(略)
自分の仕事に満足しており ちっとも窮屈なところがない。それは仕事によって生まれる素晴らしい生きる喜びでした。
ーーーーーーーーー
若い人たちは いろいろなタイプのコンクールにできるだけ参加してみることです。(略)
料理人の一生において サービスのピーク時に厨房におとずれる張り詰めた緊張感にたえるためには強い気骨とバランス自制心 そして己を知ることが不可欠なのです。
優れた料理人 でも 挫折する恐れがあるですから うたれづよくならなければいけません

ーーーーーーー
コンパニョンてのは、紹介性のレベルの高い職人組合見たいですね。
本来は技能向上のために色々な提携職場を回遊させるのが組織目的のよう。

そういう精神的な繋がりのある会っていいなぁと思って日本にもないのか調べたら、ロブションいわくフリーメーソンも似たような性質があるみたいで(ロブションはフリーメーソン会員)
日本のフリーメーソンについて調べたら、
なんとHPが消えてました。
いつ消えたのか…
わたしが昔 調べたときにはあったのに!
たしか女性支部とかあったはずで紹介性でもなかったはずなのに。
会員の質が落ちて、やっぱり非公開にしたのかな?ううーん。


コンパニョナージュでは、(略)石工、大工、家具職人、時計職人など あらゆる職業のその道のプロと言える人たちと交流ができましたので、とてもみのり豊かでした。

ではコンパニョナージュとは?

こちら

コンパニョナージュ【Compagnonnage】

産業化以前のフランスの手工業職人たちが職種ごとに集まり,技能訓練,仕事の保障相互扶助,求道心の練磨などを目的に組織した同職種の職人組合。伝説によれば,その起源は聖書時代にまでさかのぼり,ソロモン王がエルサレム神殿を築いた時の組織が起りだという。実際に確認されるのは中世後半,特に末期からで,徐々に閉鎖的になった親方たちの団体である同業組合に対抗し,間欠的な失業に対処するために,職を求めて町から町へと移動していた職人たちが,自己防衛の組織として形成したものと思われる。


まぁポイントは書かなくても分かりますよね(笑)

伝説によれば,その起源は聖書時代にまでさかのぼり,ソロモン王がエルサレム神殿を築いた時の組織が起りだという。

まぁ個人的にはある意味コンパニョナージュとは

ん〜表現が少し違う気もするが、、、、、、

フリーメーソンの職業訓練校みたいな感じだと想いますただし、、、エキスパートのみ。

みたいな。

では

『ジョエル.ロブションとは?』

世界で最も多くミシュランの星を持つ有名なフレンチのシェフとして知られている。

2018年に亡くなられていますが、、、、、、

今もジョエル.ロブションさんのお店は日本にもあります。

美味しいなデザート達ですね、、、一度は食べてみたいですね^_^

話は戻り、ジョエル.ロブションさん

上記の引用から分かる様にフリーメーソンでした。

フリーメーソンと料理?関係ある?

大いにありますよ。

料理とは創作であり、創作とは知恵であり、
料理は目で見る美しさです。


知恵とはWisdomですね。
美しさとBeautyですね。

覚えてますよね?

フリーメーソンの3つの柱。

『Wisdom、Beauty、Strength』

石工、大工、家具職人、時計職人など あらゆる職業のその道のプロ。

料理人も『職人』として同じだと想います。



では次は2に行きましょう。

簡単に言えば

『人の記憶は曖昧であり、知る権利、忘れる権利がある、人の記憶は上書きされているなど、、、、』


更に簡単に言えば

僕達、おっさんからしたら『聖徳太子』は学校で教わった事であり、実在している人物だと想っています。

しかし今の子供達に『聖徳太子』と言っても分からないです。

何故なら今は学校では『聖徳太子』では無く
『厩戸皇子(うまやどのおうじ)』として教わっているからですね。

何なら、聖徳太子にしろ厩戸皇子にしろ実在しなかったと言う話すらあります。

簡単に言えばジェネレーションギャップと言ってしまえばそれで終わりかも知れません。

しかし、見方を変えた場合、自分達が知らない間に

『情報が上書きされている訳です。』 

特に今の現代社会ではSNSが普及しているので、昨日の情報が明日には変わっていたり

どんどん知らない間に情報が上書きされている=

『記憶が上書きされている可能性があると。』

まぁ記憶は曖昧ですからね、、、。

実体験として自分は絶対に間違っていない。

お客さんからサインも貰ってる。

でも、、、、

お客さんは物が届いていない。

サインはお客さんの苗字であってる。

でも『そんな字体でサインはしない。』と言う。

で、物が届いて無い。

それを散々色んな人から言われ続けると

あら不思議、、、、自分自身の記憶を更には自分自身の記憶とのギャップと周りからの言葉で

自分自身を信じられなくなりました。

頭おかしくなったのか不安に駆られましたね。

まぁ結果的には後にハメられた事が分かったんですがね、、、、、更に月日が流れた時に、、、、、

ひょんな事から

そんな字体でサインしてるのも分かったんですけどね。

まぁこの様に人の記憶なんて脆い部分もあり、周りからの言葉でも操作されてしまう危険性もある。

で、2でマスターが言っているのは

簡単に言うとSNSなどで情報が拡散されては困る事は結局『アナログ』的な物に頼るがある意味安全だと言う事。

それは皆さんも良く分かるんじゃないでしょうか?

TwitterにしろFacebookにしろインスタにしろ

凍結や垢BANされたらある種、自分の記憶、メモリーを削除されてるのと同じなんですね。

まぁ魚拓をとっていればある程度は保存出来るものの全てというのは不可能でしょ。

更に言うなら前回のnoteに書いた様に

『情報元は全て同じ』なんですね。

大枠で言えばメディアやインターネット、SNSである事には変わりが無い訳です。

消された方は消されて終わり。

でも

管理する方には消す事も元に戻す事もある程度は出来てしまうんですね。

知ってる人も居ると想いますが

『パソコンは時を戻せるんですね。』

詳細は面倒なので省きますが、、、、、、

今から15年ぐらい前ですし。

それをやればデータも戻っている物もあるし

パスワードを忘れてしまったとしても、ある程度の時期のパスワードを覚えているならある程度の時期まで遡れば良いんです。

そんな機能があるんですね。

様は管理する方は情報を消す事も戻す事も可能だという事です。

その様な現代で本当に重要な情報はアナログでキープした方がまだ安全だと言う事なんじゃないでしょうか?

そしてそれは

『人との関係性でも同じかもしれません。』


では次は3に行きます。



3の内容を簡単に

『雨』という言葉は大雨、小雨、霧雨など色々な言い方があり『400種類程ある様です。』

マスターは

『昔の日本人は400種類の雨に名前を付けれるだけの感性があった。またその様なものを美しくなどと感じる事が出来る美意識があったと。』

それは今の現代人に失われてしまった感性の1つだと。

またマスターは二元論の話をしており。

例えとして話しているのが

『仮に将来、腕が無くなったり、足が無くなった時に機械の腕や足を付けた時、機械の臓器を付けた時、体のどの部分を変えた時に、自分は自分じゃ無くなると想いますか?』

『頭?脳?』

だった場合に頭から下の部分は自由に動かせて、五感を感じる事が出来るなら

『改造はOKという認識になる。』

そうなると

『身体と意識は別々でも良いと。この二元論がこのまま続くとメタバースという社会を頂点にした社会に引きづられて行くと。』

イデアという思想に人類は2500年囚われていると。

その2500年の間に

『人類は元々持っていた感覚が失われている』

と話ています。

例え話で『天使や神、又は漫画で描かれている天使の輪は何故?描かれている?また、意味は?』

と話している。

ある人は神と人間を区別する為、ある人はオーラなどと言われている。

様は見る人の観点や観念によって解釈が変わると。

更に分かりやすく説明するなら

こちら

左が人、右が犬

犬には『赤』という色を認識する事が出来ないんです。

当たり前?ですが人と犬の感覚や感性が違い色彩も違う。

だからこそ解釈も変わると。

様は人間が元々持っていたものには

マスターの言葉をそのまま引用するなら

『禁じられ色彩』が存在するんではないか?

元々、昔の人は

『本当に天使の輪が見えていたのかも知れない』

と話しています。

なので、元々持っていた色彩だったり日本人固有の感覚が失われつつあるんではないかという話でした。

で、最後に

『失われつつある事を気づいているマスターは、この感覚を取り戻す為にやっている事はあるんですか?』

と聞かれマスターは動画では説明するのは難しい

でも結論から言うと

『祈る対象が皆さんとは違うと思います。』

と言っています。

更に

『祈る対象が違えばある程度感覚は戻るのか?』

マスター

『戻ります』

と、この様な話でした。


個人的に想うのは

全ての話の元には

『Wisdom、Beauty、Strength』

知恵、力、美しさが共通していると言う事。

では『祈る対象とは何なのか?』

前回のnoteの内容しかり、以前のnoteの内容しかり

祈る対象が違うの、このnoteを読んでいる方なら違うのは分かると想います歴史的な背景や歴史的な繋がりを見てもそれは明らかでしょう。

なんなら『天使の輪』の元の原型は何なのか何となく皆さんならお分かりですよね?

では祈る対象は上記の方達か?

違いますね。


とあるサイトからの一部引用です。
(翻訳が少々おかしい所もありますが、ご了承下さい。)

ヒントです。


あなたの知恵と内なる強さを目覚めさせることは美しさへの道です

これらの言葉を理解するには?

(何故、螺旋階段かも意味があるんですね。)

3つの柱と上の渦巻きと螺旋階段はWisdom、Beauty、Strengthと同じ事を表していると考えられますね。

(当然、こちらも関係あるでしょう。)

本題へ


知恵
女性を自分の体につなぎ、
彼らを知恵に結びつけ、
価値の源。

賢明になるには学位は必要ありません。
私たちの知恵を見つけるための外部からの参照もありません。

それは自分自身を他の人と比較することではなく、
私たちが誰であるかを知ること。
それは自分自身に存在することによってです
私たちは本物の「私」に出会う。

すべての知恵が体内に存在し、体内に存在することを知って、安堵を感じますか?
3つの知恵にアクセスするために必要なのは、つながりだけです。

強さ
知恵が私たちの女性の本質の質であるところでは、
強さは私たちの男性的なエッセンスのエネルギーです。
それは私たちの反抗的な子供やティーンエイジャーのエネルギーです。
しばしば抑圧され、暗闇に押し込まれます。
それは、私たちが抵抗に入るとき、過度に単純化して現れます。
外界でタフである必要があるように見えるとき。
立場を維持するために、戦略や意見を守る。
反乱軍を光に戻して、
そのエネルギーを流暢にし、再び変化させる。
強さと力の私たちの内なる源。

美しさ
美しさを考えると、私たちは主に肉体的な美しさを思い浮かべます。
しかし、目や見た目以上のものがあります。
美しさはすべての人にあり、すべてのもの、あらゆる次元にあります。
それは私たちの生活のあらゆる分野にあります。どこでも。
あなたはどんな美しさに憧れていますか?

美しさは内なる調和でもあります。
知恵と内なる強さが創造された
ダイナミックな相互作用に参加してください。

創造は女性の本性です。
どんな美しさを作りたいですか?

経路
美への道のような道はありません。あなたは同じ飛び石を使うかもしれませんが、あなたが誰であるかに固有の異なる順序で整列しています。途中で微妙な内側のガイドと標識は、次のステップを示しています。

覚醒
これらの内側と外側の兆候に目覚め、気づき、気づき、信頼し、理解し、行動することは、私たちの本物の自己につながり、自由、喜び、幸福をもたらす内なる旅です。

そして、それは私が呼ばれていると感じるところです。
途中でガイドとコンパニオンとして
あなたをサポートし、鼓舞し、力を与えるために。

あなたの本物の自己のために行くことは、あなたの知恵と強さにあなたをもたらします。
あなたの美しさのために行く!


上記はあくまでも、ヒントの1つですがこれで分かる人は分かるでしょう。

マスターとは違うが違う目線から似た様なメッセージはnoteに書いてきたと想います。

今までnoteに書いてきた事の全ては

『あくまでもパズルの1つのピースでしかない。』

と何度も言ってきました。

何故、パズルの1つのピースでしかない理由は分かりますよね。

二元論、善と悪に関してもお話ししてきましたね。

DSだホワイトハットだに関してもお話ししてきましたね。

よく悟った?やつらが言う事、、、、

『人間の肉体は入れ物でしか無い。』

『魂を心を綺麗にして次元上昇する。』

『ハイヤーセルフの導きにより貴方は護られています。』

などなど、、、、、、、、、、

少し毒吐きますね、、、書いててイライラするんで、、、、、

『馬鹿か、、、、頭わいてんの?!』


こう言う事を平気で言える人はハッキリ言って底が知れてます。

何も理解していないと想います。

人間の体がただの器、、、、、、、

では人間の体の細胞がどの様な役割りをしているか、いかに精密に出来ているか少しでも、ご存じでしょうか?

精密機械の様に完璧な動きをするんです目に見えない程に小さい細胞1つ1つがです。

ではただの器なら何故そこまで精密に人の体は造られているんでしょうか?

そこを本能的に理解していないので簡単に器だと言えるんです。

魂を心を綺麗にして次元上昇する、、、、、、

ハイヤーセルフの導きにより貴方は護られている、、、、、

『上ばかり見て下を見てないんです。』

『天ばかり見て地を見てないんです。』

残念ですね、、、、、、、

紀元前から同じ様な事をずっと言われ続けてますよ。


良い風に何か変わりましたか?


一言で言えば

『便利にはなったでしょう。』


『利便性というものはこの20年を振り返っただけでもかなり上がったでしょう。』


日本という国を見ても分かるでしょう。

利便性は上がった。でも確実に歪みが生じてますよね。

分かりやすい事から言えば

個々の生活、政治、国の内政、貧困の差などなど

更に言えば

デジタル化に寄る差別化、情報の漏洩、SNSでの差別、イジメ、匿名性による誹謗中傷

それに対応する為の同調圧力、精神的負担

それから逃げる様に他人とのコミュニケーションをとらない、SNSに居場所を探しだす

または同じ意見を持つ人とのコミュニティ作成

言い方は悪いが自ら井の中の蛙(かわず)になるわけだ。

でも本来の意味とは違う。

大海があるのは知っている、でも大海が居心地が悪い、、、、居場所が無い、、、疲れる。

だから、井の中の蛙になるんだ。

仲間のふりをして1つ間違えば同じ事の繰り返し、例えそれが井の中の蛙だとしてもだ。

だから『仲間のふり』なんだ。

『仲間では無い事は知っていながら。』

更に日本自体の弱体化が目立つだろう。

海外の人間が日本の土地や水源を買える事すら本来は異常なんだ、、、、(物件はある程度除くが。)

『利益優先、未来より今の現金、利益』

『利益優先により未来を捨てた』

ある意味

『利益優先の成れの果てに近づいている』

でもある意味では仕方ない。

利便性だけを追求した結果がこれだ。

利便性を追求する大人達や利便性と利益だけを追求する国や社会。

そんな世界で働いている大人は一体子供達に何を教える事が出来るだろう?

そんな国や社会で働いている大人は未来に何を残す事が出来るだろうか?

そんな国や社会や大人が

『未来を想い描けない世界に何を見るんだろうか?』

何も見ないよ、、。

だって

見なくても分かるから、、、、、、、

だから

FIREとは「Financial Independence, Retire Early」の頭文字を取ったもので、「経済的自立」と「早期リタイア」を意味する言葉です。


こんな物が流行るんだろ。

この先の未来に自分達が望む未来が無いのを知ってるからだ。

だから「経済的自立」と「早期リタイア」が流行るんだろう。

これはこれで賢い選択だとも感じる。

また違う目線で見た時

その逃げ道の1つが、、、、、、

魂を心を綺麗にして次元上昇する、、、、、、

ハイヤーセルフの導きにより貴方は護られている、、、、、

こんなもんさ。

『人間の肉体は入れ物でしか無い。』

これも一緒さ。

そう想う事によって

『ある意味、心や気持ちの逃げ口にしてるのと同じだ。』

大丈夫、肉体はただの器でしかない。

だから大丈夫。

本質は魂だから。

そう言ってる『心の中では不安が溢れてる』

それに気づかないふりをして周りもそう言うから

『安心感を自分の心に芽生えさせてるだけだ』

全員では当然無いだろう。

中には本当にそう想ってる人も居るだろう。

本当にそう想ってる人と安心感や不安を紛らわせる為の人との間には

想像もつかない程の隔たりがある。

頭で理解しても

『心で理解していない』

この隔たりは想像以上なんだ。



※突き刺さる人には突き刺さるかもしれません、突き刺さるのが嫌な方はこれ以上は読まない方がが良いかもしれません。



心で理解してる人はそれだけの想いをしてボロボロになりながら生きてきたんだ。

自分自身にも他人にも過ちを繰り返し、騙され、騙し、傷つけ、傷つけられ。

それでも少しずつ進んできた。

前に進んでるのか後ろに進んでるかも分からずに。

『何を信じて?』

何も信じてない。苦痛無く死んでしまえるならそれで良いとさえ想う事もある。

でも、死ぬ事さえ出来ない、、、現実を強く歩む事さえ出来ない、希望さえない、、、分からない。

それでも進むしかなかった。

進みたくて進んだ訳でもないだろう。

止まる事も出来たかもしれない。

中には止まる人も命を絶つ人も居るだろう。

皆が皆な同じでは無い。

今でも前か後ろか分からないまま歩き続けてる人も居るだろう。

じゃあ。何でまだ前か後ろか分からないまま歩き続けるの?

何故?歩き続けるの?

何故?生きようとするの?


それは他人には分からないだろう。

もしかしたら自分自身にも分からないだろう。

じゃあ、、、、、何で?


それがマスターの祈る対象だと想います。


今までnoteに書いてきた様に

『神』と呼ばれる存在は沢山居るだろう。

フリーメーソンにしろ、ミトラ教にしろ、
ゾロアスター教にしろ、ヒンドゥー教にしろ、
仏教にしろ、神道にしろ、聖教会にしろ、
新興宗教にしろ、まだまだあるだろう。

その中には文化も違うものも、風習が違うものも、
肌の色が違うものも、食文化が違うものも、
一神教なのか?多神教なのか?

色々な違いがあるだろう。

でも

共通する事も沢山あるだろう。

その違いや共通する事に嫌悪したり喜んだりする人も居るだろう。

違いが悪、共通が善と解釈する人もいるだろう。

そこから何を感じる?

そこから何が分かる?

紀元前から同じ事の繰り返しの中で1つ言える事は

『根本の差別的なものは何も変わってない。』

という事じゃないだろうか。

差別や分断の方法は変わってはいるが、、、、、


では何故?何故変わらないのか?


それは1つとして

『二元論が根底にあるからだ。』


『善悪二元論と言った方が分かりやすいだろうか?』


善悪二元論の始まりはゾロアスター教だと言われている。

では本当にゾロアスター教は善悪二元論の始まりなんだろうか?

歴史的な背景からしたらそうなるかもしれない。

では別目線で見た時にはどうだろうか?

本当にゾロアスター教は善悪二元論のままだろうか?


アフラ.マズダ(阿修羅)とインドラが争いその仲裁にブッダが入り2人の争いは止んだ。


アフラ.マズダ、インドラ、ブッダ(覚醒者)

へぇ、、、そうなんだ。

で終わる。

でも簡単に考えてみてほしい。

何故?争いが終わったか。

ブッダが仲裁に入ってたから?

結果論的にはそうだろう。

『善悪二元論』なんだ。

本来は4柱だったが1柱壊れた?壊された。
ホツマ的な解釈なら『ア、ウ、ワ』になる。
アマテラス、スサノウ、ツキヨミになるか?もしくはアメノミナカヌシ、カミムスヒ、タカキムスヒか?

『人間とは肉体、心、霊の三位一体からなる。』

『父と子と精霊』


以前書いたが

3=0であり。

0=3であり。

3=1であり。

3=1.2.3ある。

1.2.3=3である。

だから

3.6.9=1.2.3であり=3であり=である。

じゃあ、2.4.6は?

2.4.6.だって同じ=1.2.3=3.6.9

ポイントは0なんだよ。

0は0じゃない。

0と言うよりも∞。

∞=0=3であり=1である。

視覚的に見た方が分かりやすいと想う。

自然はバランスがとりやすいのを知ってるんだと感じる。

で、この画像を見たら何となく気づくんじゃないだろうか。

そして、こちら。



もう一度問います。


『体は本当にただの器ですか?』


それでもただの器と言うなら、それで良いです。


全ての事象が必ずしも三位一体の様な事で成り立ってはいない。

必ずしも三位一体でしかバランスがとれない訳では無い事もまた事実だと想います。

なんなら今この現在はある意味、三位一体ではないんじゃないかと感じますから、、、、、

ただバランスは大きく崩れているのは、皆さんにもお分かりだろう。

ここまで話たら分かる人は分かると想います。








祈る対象は








『貴方自身の体であり心であり魂であり、この自然の地球の摂理に対してですよ。』


宗教的な解釈で考えるなら

『人は神を模して造られたもの』

ならば

『神は内なる自分の中にあるもの』

ならば

『本当に大切にしなくちゃいけないものは一体なんなのか?』


『体を形成している物質は何なのか?それは何処にあるのか?』


分かりますよね?


何故、歩き続けるのか、、、、、、。



『自分でも分からない自分がそう言ってる気がするから。』


そんなもんなんですよ。



自分でも分からない自分が

まだ大丈夫。

まだきっと歩ける。

まだきっと笑える。

またきっと誰かと逢えるから。


そんな確証も無い本当に聴こえた訳じゃないだろう

でもそんなもんが聴こえた様な内側から弱々しくも感じるから。


歩けるんだろ、、、、、、



そんなもんなんだよ。


時として、そんな感じを自然からも感じたりする。

 

もしかしたら、それが

『日本人が失われつつある感覚の1つかも知れない。』



大分以前に書いたか、動画で話た事がある。




人を造った神でも人の全てを知ることは出来ない。


人の中には神さえ入り込めない領域が10%ある。


人は潜在能力を10%ぐらいしか使っていないと言われる。


ならば


神さえ入り込めない領域が10%あるってとんでもない事じゃないでしょうか。


潜在能力の90%も使わないまま生きて。


更に言い方を変えたら


『神さえ凌駕するかもしれない潜在能力が10%もあるんです。』


個人的に想います、、、、


『それが人だからこそ起こせる奇跡だと。』


『奇跡と言われるものは、人だから起こせるんだと想います。』

また

『人が本当に潜在能力を自分自身で扱える様になった時、人は奇跡と言われる事を自在に使える様になるんじゃないでしょうか?』


少なくとも

自分自身を捨てずに歩き続けた人達は生きてるうちに何回かはきっと『奇跡』って想う事を起こせるんじゃないかなって想います。

それこそ

『信じるか信じないかは貴方次第です。』


さて、今回は久しぶりに都市伝説?大人な?考察編でしたがどうだったでしょうか?

どこまで行っても最後は自分自身が決めるんです。

だから何度も

『選択権を他人に委ねてはいけない。』

と言っていた意味が今なら少しは分かるんじゃないでしょうか。

今回は以上になります。

ありがとうございました。

臥龍桜。

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