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自己紹介(その②)

そんなこんなでギャル男時代の到来とともに、自社ブランドは一気にギャル男アイテムの生産へ。
SPAということもあり、あれよあれよと「その服達」は作られてきました。


「なんでキラキラしたプリントばかり・・」


「サイズ感おかしいぐらい小さくない?」


ドクロとか羽とか王冠とかバッファローとか




嫌でしたね、最初は。ギャル男っていうスタイリングがまだ決まっていなかったのもあるので、宝塚みたいとよくスタッフで話していたのを覚えています。


こちらの気も知らず、そんなアイテムが展開されていき、men's eggなどのタイアップをしていくと・・・・



翌年、売上850%\(^o^)/

3年で8店舗\(^o^)/



てんやわんやすぎてそこら辺の時代の記憶は薄いです・・・
特に各忙しい。

忙しい。忙しい。

関係者だとわかるかもしれませんが、原宿ゆーてもSKUなんて知れているじゃないですか。たかだかですよ。
その時代の発注とか

BK:S×300 M×200 L×50 XL×10
※店の広さ30坪ぐらい&1店舗ロット・・・・ 

いやいや、売価19800だよー\(^o^)/

これで当日で60~70%ぐらい消化しますからね・・・
今になって思いますが、当時の消化スピードは「異常」でしたね。

大手ブランドさんならまだしも
尖って「これがうちのセレクトや・・・」なんてやっていたブランドがここまで売れるという「体験」をしたのがこの時初めてでした。

ここら辺から「商売の本質」というのを考えるようになってきたように今はそう振り返れます。


ものの2年程度でブランドとしてのある程度の「地位」はできあがり、プレスとタイアップ→載せたやつ発注数爆増仕込み→永遠と捌きまくるを繰り返していました。

後々MD聞いたのですが、
「そもそも最初から尖ったブランドにするつもりはなかった」とのこと。
ブランドの「登竜門」的なものにしたかった、と聞いてすべてがつながった感覚があったのを覚えています。


ギャル男ブランドといえば〇〇〇っしょ!
いや、△△△の方がスキー!

などなどいろいろあると思いますが、
「まずはギャル男になるにはこのブランド着ておけばOK!」的な立ち位置を目標にしていたのは当時は分かりませんでした。(忙しすぎてもだし底まで考えてもしなかった)


そこから初めて「商い」を覚えていったと思います。

商売繁盛


はぁー


長い



続く

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