物事を考える基準が"親軸"になっていませんか?

今回は、物事を考えるときに親の顔が浮かぶお話。

心理カウンセラーPocheさんの著書「あなたは、もう自分のために生きていい」を読んだうえで、ワタシの経験談を交えてお話しようと思います。

「自分軸で物事を考えましょう」と、世間でよく耳にします。
ワタシは自分軸ではなく、他人軸強めで動いてきた人間でした。
だからこそ、"自分軸で考える"に対して、すぐに受け入れられなかった。

やっと、他人軸ばかりではなくて自分軸強めにしたらいいと思えたのは、
他人軸強めだと、自分が疲れてきたと理解したときでした。

人間関係でうまくいかなくなって、対立やケンカが多くなった。
恋愛関係で自分のしたいことができず、不満を溜めるようになった。

「しんどさ」「疲れやすさ」を感じやすくなると、自分軸を強めにする転換期になるように感じます。


では、今回のお話。
自分軸でもなく、他人軸でもない、「親軸」とは?

Pocheさんは著書のなかで、

自分軸の基準は、自分がどうありたいか、自分がどうしたいか。
他人軸の基準は、相手がどう思うか、相手からどう見えるか。
それに加えて「親軸」が強い人も増えている。
他人軸同様に「親がどう思うか」が物事の中心になるのは
もちろんのこと、自分軸にも侵食する。
だから自分が分からなくなるし、生きづらい。

「あなたはもう、自分のために生きていい」(ダイヤモンド社)
著:心理カウンセラーPoche

ワタシは母親に褒められることを心の底で求めていました。
別に、親子の仲が悪いとかではありません。
ただ単に、「褒められる」ことをしたかったのです。

だからこそ、小さい頃から母親に怒られないように、
そして褒められるような行動を続けていたのだと思います。

ワタシが仕事を長期で休もうと考えたとき。
その時、母親の顔が浮かびました。

「お母さん、仕事を休むって言ったら何を言うだろう。怒るのかな」

母親がどう思うのか、怒られまいか、と頭によぎりました。
休職してからも、ずっと母親に怒られるのが嫌でした。
復職を決めたのも母親の顔をみて戻ることを余儀なくされたところもあります。
ワタシのなかで、どこか母親の反応や顔色を伺ってしまうことが、大人になっても抜けていないのだろう、と思わされる経験です。

幼い頃から近くにいるであろう親という存在。
親は自分の保護者であり、人生の線路を少し形作ってくれるような存在かもしれません。
ただ、親とあなたは別の存在。
別の人生を生きていくわけで、親に認められるだけが生きる意味というわけではありません。
Ayano自身も、こんな内容の記事を書きながら「親軸」から抜け出せていない1人でもあります。

「親はどう思うだろう」と考えたら、
「じゃあ、自分はどう思っているんだろう」と、
親の顔が浮かんだら、次は自分のココロに聞いてみましょう。

そうすると、自分軸を強めることができるのではないでしょうか。

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