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ADHDっぽい私が心理学を仕事にするまでの話10 ~あっという間の3年~

さて、大学院博士課程での生活が始まりました。一体どんなだろう? と思われる方も多いのではと思います。

あくまで私の個人的体験ですが、赤裸々に暴露してみたいと思います。

研究テーマ

基本的に大学院博士課程というところは、ただひたすら研究にはげむところで、研究指導は受けますが、「教えてもらう」という場ではありません。

自分で研究テーマを決めて、それに自主的に取り組むことが仕事です。

表の研究テーマ=認知情報処理

私の場合、指導教授から、専門分野である認知心理学の基礎的な研究を行うことを求められていましたので、一つはそれを行うことになります。それはそれで一連の研究として興味深く取り組みました。

研究は自分自身だけでなく、修士の学生、学部の学生にもテーマを割り振って行うこともあります。それを論文にまとめたり、学会で発表することになります。

基本的にはものの見え方はどうやって決まるのか、その基礎的なメカニズムについて、脳科学の研究成果に照らしながら検討していく、というのがテーマでした。

思いとしては基礎だけでなく応用に関することもやりたかったので、見え方に関する大脳半球機能差について実験してみたり、見え方の個人差から基礎的なプロセスに影響する高次認知機能との関連からパーソナリティの分類を試みたり、要するに風呂敷を広げすぎたことが、結果的に論文がまとまらなかった要因ですね。

ただこの頃いろいろ手を付けたことが、今の人間理解の基礎的な部分を構成していることを思えば、無駄ではなかったとも思います。

その一方、平行して自分が独自に取り組みたいテーマについても鋭意研究していました。

それは・・・。

裏の研究テーマ=スピリチュアル?

元々の私が心理学に志したのは、そもそも、人間とは何か? という私程度にとっては大きすぎるテーマを抱えてのことでした。

心理学を学ぶうちに、科学的心理学への疑問、結局人間って何?という内省の中で、ある意味必然だったと思うのですが、それに科学的な心理学ではこたえきれない、と思いながら到達した地点にあったのはスピリチュアリティでした。

人のスピリチュアルな側面に光を当てていくという考え方は、人間とは何か、という問いとともに、人が苦しみ、悩むのはなぜか、そしてそこから脱するにはどうしたらいいのか、という、実務的な臨床応用に対しても貢献することができるのでは、という思いから、基礎研究の対局として、臨床面への応用を見据えてスピリチュアリティに焦点を当てた応用的研究にも手を付けようと考えていた矢先・・・。

なんと、博士課程入学と同時に、日本トランスパーソナル学会という、まさにスピリチュアリティ全開の学会が発足したことを知るのでした。

ええ、これをほっとく手はありません。すぐに申し込みをし、伊豆で開催された設立記念大会に出席したのでした。

パワースポットともいえる伊豆の砂浜を望む会場で開催され、本で読んだ澄明な講師による講演、ナイトセッションと称する、ミュージシャンの幾多郎氏による演奏、数々のワークショップなど、今でも記憶に残る大いに刺激を受けた時間でした。

そのある意味「突き抜けた」体験を胸に、ますますスピリチュアルに、トランスパーソナルに方向づけられていったのです。

もっとも、研究上はあくまで現行の心理学や医療で使われている概念に、少しそのエッセンスを振りかける、という感じでしたが。

武術と心理療法?

例えば、スピリチュアリティやトランスパーソナルといった人の心と身体の関連性を掘り下げた領域である、ホリスティック医学や心身医学の背景にもとづいた気功や武術の心理療法への応用があります。

上の記事でも書いたように、中国武術にはまっていた私は武術も気功もまさに心と身体の一体化(統一)という境地を目指すことから言うと、多分にスピリチュアルの要素を含んでいるということへの気づきを得て、武術(気功)ー心理学ー心理療法 という方向でつなげられないかということを模索します。

 武術そのものや気功そのものが病気をいやすと考えると少し乱暴ですが、文献的に調べると、気功とか禅・武術が心身症や神経症の治療に効果があるという先行研究にも見つかり、自分のアイディアがすでに先人によって研究され、かつ応用もされていることを確認。

これは幸い一石二鳥と、将来的に人を救う道になればと、臨床応用を見据えての基礎的研究として密かに取り組んでみることにしたのでした。

そして今思えば稚拙な内容ではありますが、現在の言葉で言えば「マインドフルネス」と言っていいと思いますが、気功の臨床応用についての基本原理についてまとめることができました。

ただ、実際にデータをとるところまではできる環境になかったので、文献的な研究と、自分の気功の実践経験をまとめて、学会で発表しただけですが。

この発表については教授には完全に内緒です^^;

博士課程において教授に内緒で本来の研究とは関係がない領域の研究を学会で発表するなど、正直前代未聞ではないかと思いますが当時はそんな認識もあまりなく、気の赴くままに、やっていました。

修士課程では何かを研究するという気持ち自体がわかなかったですが、博士課程では色々と追及することができました。

結局得たものは?

色々取り組んだおかげで物事を論理的に、科学的に、実証的に、という方法論がつかめたのは成果でした。

(表のテーマは)最終的に形にならなかったとはいえ、研究活動自体は充実もしましたし、論文がまとまらなかったことにも(※この場合、博士課程退学、ということになりますが)そんなに残念な思いもなく、「ま、しかたないか。」と案外あっさりと割り切ることができました。

当時最終的に、博士論文の代わりに3年間の研究報告をまとめて出したのですが、今振り返ってみると随分とニッチなところを攻めたものです。

理論としては間違っていないと思うのですが、結局実験においてエビデンスとなるデータが得られなかったのです。

今思えば、理論としては合っていても有意なデータが得られないので研究する人がいなくなり、結果としてニッチになったのではと思います。
ニッチ・イン・リッチとはいかなかったのですね。

せめてデータを捏造しなかったあの時の自分をほめてあげたいです(笑ww)

後述するように結局、研究職には就けませんでしたが、臨床家となった今となっては、むしろ博士論文にこだわらず、知りたいことを追求する姿勢でやっていたことは今につながっていると思います。

(※実際、気功の研究はその後病院勤めで役に立つときが来ます。)

そうはいうものの・・・。

博士課程で博士号が取れないというのは、現実世界では、大きなダメージです。

「現実的」「計画的」とはおよそ縁遠い私の特性の結果でしょう。充実はしたとはいえ、先の心配が見えてきて、さすがに焦りと不安との再会を果たします。

さあ、これからどうする?

本来目指していたはずの大学教員への狭き門がますます狭くなりますし、だからといって、他の就職先が簡単に見つかるか、というと、むしろ学部新卒より難しいです。

現在でも、博士号取得者の就職先がないことが大きな問題になっていますが、それが取れなかったとなると、さらに問題は深刻です。

結局大学教員にもなれず、院を続けながら博士号をとるということも可能ですが・・・さすがにそれは学費の面からも断念。

「無給助手」という名のプータロー

教授のススメもあり、大学の「助手」という肩書で残りましたが、いわゆる「無給助手」というやつで、大学に所属できて施設利用などはできるものの、教授の助手をしても給料はなし!

当然ですが、終了とともに奨学金もなくなります。(返済は申請により延期。)

収入のあては教授に紹介された専門学校の非常勤講師による数万円のみ!

ここから1年間、「極貧のプータロー」生活が始まります^^;

さあ、果たして私の運命は?

次回は、極貧のプータロー生活から、病院の心理士になるまでの苦難の道のりをご紹介。

今回もお読みいただきありがとうございます。

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