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釣り堀

チャプンッ……

鏡面のような水面に落ちた赤色の派手な浮きが小さな波を立てる。ひっくり返した色褪せた瓶ケースの上で水面を見つめる。

近くの線路を走っていく電車の振動が水面を揺らし、通り過ぎた後は静寂をもたらす。時間の流れが止まったように感じる風もない昼下がり。

静かに浮き沈みして揺れる浮きを見ていれば寂しくない。あれほど気にしていたあなたからの電話ももう気にならなくなった。


重いと言われた。「ごめんね」って謝った。彼は「いいよ」と言ってくれた。でも、怖かった。好きだったから。次は許してもらえないんじゃないかと思った。

だから待つことにした。少しさぼることにした、彼を愛することを。愛してるばっかりだと疲れると思ったから。


初めて知った。今までどれだけ私からの一方通行だったか、それがよく分かった。私は思っていたより重かったんだ。

メールは2日に1度しか来ないし、電話なんて1週間に1度来るかどうか。私は待ちぼうけを食った。不安な毎日だった。

でも慣れてしまった。この釣り堀でひとりで過ごせるようになった。やっと一人きりの過ごし方を見つけたから、あなたからの電話を待っていなくたって穏やかでいられる。

やっと愛を考えなくてもいいようになった。彼を愛さなくても生きていけるようになった。いつからかこの時間が好きになった。


水面にさざ波を立てる静かな風が足元を吹き抜けていく。糸を垂らしてから2時間ぐらい経つけれど一向に浮きは沈まない。

「ふあぁ……」

小さなあくびをするとそれに応えるように糸が風に揺れた。

「今日は天気がいいね」

漂う糸が私の独り言を静かに聞いてくれているような気がする。

「お姉ちゃん、釣れんか?」

釣り堀のおじさんが心配して声をかけてくれた。私は微笑み返した。

「えぇ、まぁ。でもいいんです」

「つまんないだろ?」

「そんなことないですよ。この時間、私は好きです」

「そうか。まぁ、ゆっくりしていきな」

魚たちだっていろんな思いを持って生きているはず。気が向いたら私のことを構ってくれるでしょう。

彼だって同じだ。私に会いたいと思ったら電話をかけてくれるだろう。彼だって魚と同じで自由に生きているから、私には待つしかできない。


漂う糸を見ながら思う。今だけはこのまま何も考えずに愛を忘れたい。

その時、着信音が鳴った。風のない昼下がり、線路近くの鄙びた


釣り堀で。


<完>



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