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『悲しみの卒業式をきっかけに 〜日本でのギャップイヤー〜』 Carmen Scioti

留学支援、就職支援があるなら、休学支援があってもいいじゃないか。
そんな想いから、様々な休学の形を伝える『ギャップイヤーBrothers』のnote。


休学ライフは百人百色。
留学しても、働いても、何もしなくたってもいい。
どんな時間の使い方をしてもいいのが休学。

このnoteで様々な休学ライフを伝えることによって、皆さんの選択肢が1つ増え、休学へのハードルを取っ払うことができたなら、僕たちの活動にとっての本望だ。

今回の記事は『悲しみの卒業式をきっかけに 〜日本でのギャップイヤー〜』 Carmen Sciotiというテーマ。私たちは、イタリア出身、現在はデンマークに暮らすカルメンにインタビューを敢行した。「人生で最も悲しい日だった」と振り返る大学の卒業式。カルメンは、そこで感じた自分への絶望から、日本でギャップイヤー期間を過ごすことを決意。イタリアで一般的ではないギャップイヤーという選択をした決意の背景にある「卒業式」とは一体どのような日だったのか。人生で自分に絶望した日から、自分で道を切り拓く彼女の逞しさは、読む人にとても勇気を与えてくれる。「学びや進路につまづいている」「一歩を踏み出す勇気が出ない」といった悩みを持つ皆さんに、多大な力を与えてくれると思います。

ぜひ、カルメンのギャップイヤーライフ、最後までお読みください!

Who is Carmen Scioti?

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Carmen Scioti(カルメン)
学科・研究:フードサイエンステクノロジー
休学時期:4年制大学を卒業後
興味・関心のある分野:食/環境
その他:日本での休学後、イタリアに一時帰国。現在は、デンマークの大学で「環境と開発(専攻:農業と生態系)」を学んでいる。 

1. はじめに 

Taken by her boyfriend… Sorry guys…

今回のインタビューは、僕の元ルームメイトでもあり、第3弾の記事にも登場したルーカスの紹介のもと実現した。イタリア出身のカルメンは、現在デンマークで「環境と開発(専攻:農業と生態系)」を学ぶために、大学に通っている。彼女は自らのことを「ブラックシープ」、つまり異質な存在だと語る。だからこそ、大学を卒業してすぐに就職せず、日本でのギャップイヤー、その後にはデンマークでの大学生活という、一般的とは言い難い選択ができたのだろう。ただ、勘違いしてはいけない。イタリアでは、ギャップイヤーは主流どころか珍しい選択肢である。過去の記事で取り扱ったデンマークのように、当然のように頭に浮かぶ選択肢ではない。それでも、彼女がギャップイヤーという道を選んだのは、大きな挫折があったからだ。それも大学卒業式の日に。

一体、どうして卒業式の日に挫折することになったのか。そして、その後ギャップイヤーでの日々を経て、彼女はどう変わったと感じるのか。彼女の人生を切り取った、葛藤や成長が生き生きと伝わる一本です。ぜひ、最後までご一読ください!

2. ギャップイヤーのタイミング

ー Nice to meet you Carmen!ルーカスの紹介から、インタビューを受けてくれてありがとう!
カルメン:こちらこそ、ありがとう!よろしくね:)日本語は今では少し下手になったけど、日本にいた頃にとても勉強していたよ!

ー 通りで日本語の発音がいいわけだね(笑)それでは早速。「いつ」ギャップイヤーを取得したの?
カルメン:ギャップイヤーを取ったのは、最初のディグリーを取り終わった後でした(大学を卒業後)。大学では、フードサイエンステクノロジーを学んでいて、卒業後に1年間のギャップイヤーを取って、日本に行くことを決めました。

3. 卒業式での決意(どうしてギャップイヤーを選んだのか)

ー 大学の卒業後なんだね。そのタイミングだったのには理由があるのでしょうか?
カルメン:その理由は、自分への失望と言えるかもしれません。今思えばとても馬鹿らしくも聞こえるけど。。。
私にとって、大学の卒業式は今までで1番悲しみを感じた日でした(笑)
とはいえ、その悲しみは友達に会えないから...といった「卒業することへの悲しみ」ではなく、今の自分には実践的なスキルが無いということに気付いた「自分への絶望からくる悲しみ」でした。大学で、恐怖とも取れるくらい忙しい勉強を終え、それを祝うはずだった卒業式の日に「あれ、何か実践的なスキルって自分にあるっけ」と。もし仮に「今すぐ、どこかのラボで『食』に関する仕事を始めてくれ」と言われても、何もできないと思ったんです。なぜなら、私が学んでいたイタリアの大学はとても理論ベースの勉強が多く、大学で授業を受けているだけでは、卒業時に実践的なスキルを身につけていることはないからです。

その状態に焦った私は、当時「日本に行くこと」を考えていました。それは、日本のアニメなどのカルチャーもそうですが、「発酵」に関心があったからというのが理由の1つです。でも、まず第一には、これまで家族や兄弟と過ごしてきた母国の環境(イタリア)から飛び出し、独立した生活を経験したいという理由がありました。その中で、仕事というのが一体どんな環境で何をすることなのか(実践的なスキル)を、徐々に学んでいこうと思いました。

ー ちなみに、どうして日本の農業(発酵)に興味を持ったの?
カルメン:日本の発酵には歴史があるのに加え、イタリアと比べて多くの発酵工程や発酵の種類があります。勿論、イタリアにも発酵を用いた食べ物はありますが、例えば、漬物のような日本の発酵食品に魅了されました。ある時、お台場の「ミライカン」という博物館に行った時に、伝統的な日本の食事方法や日本には沢山のマメ科植物があることを知りました。大豆ひとつとっても、黒いバージョンもあれば、緑のバージョンもあったりと、様々なバラエティがあったことを覚えています。そして、そこには様々な工程があることも、私が「発酵」に興味を惹かれた1つの理由です。

日本に来た目的
・日本のカルチャー(特に発酵について)を学ぶこと
・独立した生活を経験すること
・実践的なワークスキルを身につけるきっかけづくり

ルーマニアでの1枚 with/ Roomies

ー ファーストディグリーを終えた後、つまり、大学を卒業してからというタイミングでギャップイヤーを取ろうと思ったのは、卒業後の自分の中であった葛藤が影響しているんだね。
カルメン:そう。少し、路頭に迷っていた感じがありました。さっき話したように、自分にとっては卒業パーティーはとても寂しいイベントで、本当に社会に出る準備ができているのかな?と不安になっていました。実は、卒業前にルーマニアで2週間ほど親元を離れた期間があったんです。そこで、ヨーロッパの色々な国の人たちと会う機会があって、英語を話せることの重要性を感じました。みんな英語を流暢に話せるし、とても賢いのに影響を受けました。それから、日本でのギャップイヤーを経験して、いま色々追い求めるエナジーがあるうちに、自分の勉強などに取り組みたいと思いました。でも、卒業するまではしっかり自分の勉強を進めたいということで、大学卒業後というタイミングに至りました。
あと経済的な面では、日本に行くまでに卒業までに奨学金を得たいと思っていたこと。年齢的な面では、イタリアで20歳というとまだまだ子どもとして扱われる歳なので(笑)正直、海外に出ることは現実的ではありませんでした。

ー そのイタリアの価値観、後で聞かせてね(笑)そのルーマニアでの生活は、旅行中の経験だったの?
カルメン:大学の研究中にできる経験でした。ヨーロッパ独特の制度で、どこか好きな国を1箇所だけ選んで、行くことができます。この制度に関して、逆にイタリア外からの学生を受け入れる立場として残念だったことは、私の大学がマイナーだったので英語で受けられる授業がなかったことです。どの国から来た人も、イタリア語で行われる授業についていけず座っているだけの状況があって、、、。上手くいってないよと。
でも、他の場所、例えばいま私がいるデンマークでは、映画は基本的に英語で見ることが出来ます。イタリアでは母国語の映画が基本なので、デンマーク語の映画なんて観れるかなと怯えながら映画館に向かいましたが、実際は英語での上映で、サブタイトルがデンマーク語という形でした。これなら、その国の外から来た人でも理解できます。デンマークの人たちはとてもインターナショナルだなと感じた出来事でした。

ー なるほど。僕にも、デンマーク人がインターナショナルだと思った出来事があって。それは、スーパーマーケットでの話しかけられ方。スーパーのスタッフは、僕の見た目(アジア人)に関係なく、常にデンマーク語で話しかけてくれていた。これは、さまざまな人種が混在して暮らしているデンマークならではの特徴だなと思った。さらに驚いたのは、僕がデンマーク語をうまく理解していないと見るや否や、英語に切り替えて話しかけてくれた点。同じく、デンマーク人の国際性を感じた瞬間だったよ。

カルメン:多くの人が英語を話せる土台はすごいよね。現地の言葉を知らずに生きていくことは確かに大変だけど、私もデンマークの人たちはとてもオープンマインドで、よく手助けしてくれると感じています。そして、それは日本でも同様でした。勿論、まずお互いに信頼関係を築くことが大事だとは思います。

「卒業式の意味」
ルーマニアでの他国学生との生活を通じて、実践的なスキルの必要性を感じたカルメン。その後、卒業式では「人生最大の悲しみ」を味わうこととなる。その悲しみは、奇しくも「卒業することへの悲しみ」ではなく、ルーマニアで感じた「自分のスキルに対する悲しみ」だった。つまり、彼女にとって「卒業式=学びの必要性を認識する機会」だったわけだ。4年間の勉強を終えた後に。とても皮肉的ではあるが、彼女にとって「卒業式」は新たな「踏切台」となった。

その後、彼女は「発酵」「独立」「ワークスキル」という3つのキーワードを掲げ、日本にやってきた。初めての長期海外生活であり、独自の言語を育む島国 ”日本” での生活は、彼女の目にどのように映ったのか。「人生最大の悲しみ」の次に訪れる感情は、一体何だったのだろう。
次章では、彼女が日本で過ごしたギャップイヤーライフを掘り下げていく。

4. ギャップイヤーの過ごし方

ー 日本での生活について

ー日本でのギャップイヤー中は、何をしていたの?
カルメン:日本の文化や一般的な慣習なんかを学ぶ、プライベートスクールに通いながら、仕事をしていました。その学校の生徒は、ほとんどが韓国や中国といったアジア圏の生徒でした。ヨーロッパから来た生徒はたったの5人くらい?だったと思います(笑)

日本で過ごした日々はとても荒く、大変な日々でもありました。それは、元より関心のあった日本語は少し話せたので、日本語による問題ではなく、大苦手だった英語のせいで・・・。なぜ、日本に住みながら英語が問題だったかというと、それは阿佐ヶ谷に位置する小さなシェアハウスに様々な国籍を持つルームメイトと一緒に住んでいたからでした。畳やこたつなど、日本の伝統的な物が揃った素敵な家でした。一緒に暮らしていたルームメイトは、ケニア・台湾・ドイツ・フランスと様々な国から集まっており、当然の如く私たちの会話は英語で行われていました。そのため、家の中では英語を話し、家の外では日本語を話すというような生活を過ごしていた訳です。とても、勉強になる環境だった一方で、とても大変な日々でした。

日本で主に取り組んでいたこと
・日本語/日本文化についての勉強
・仕事(詳細は後ほど)

ー 日本の”英語を話せない人が多い”という状況に、より難しい生活を強いられる事はなかったですか?
カルメン:生活は難しい点もありました。でも、それは英語より先に日本語を勉強するくらい英語が苦手だったので、英語だけが原因ではありませんでした。自分の言語の問題です(笑)
困っている相手を助ける際には、どの言語であっても理解ができないと手段が出てきません。そういう意味で、PCや本の前で座って勉強していただけの言語が、いざ「実際に人と話す際の手段」となる際には、全く違うものになると感じました。

ー 日本でのワークシチュエーションについて

秋葉原「メイドバー」にて

カルメン:それから、ワークシチュエーションにもかなり苦労しました。なぜなら、イタリアは日本とワーキングホリデービザの協定を結んでおらず、仕事を簡単に見つけられる状況になかったからです。なので、私はスチューデントビザを取得し、そのビザで許される僅かな時間を仕事に費やすという形をとっていました。私は限られた時間で、所沢にオーガニックファームを持つ渋谷のイタリアンレストランと、東京のメイドバーで働いていました。仕事を見つける制度が整っていない中の職探しは、とてもエナジーを使う作業でした。その一方で、様々な人と出会う機会が増えたという意味で、異なる仕事を2つ同時にできたことは、とてもベストな選択だったように思います。

1つ目の仕事先であるイタリアンレストランがある場所は「渋谷」、そしてそこの直営で「所沢」にオーガニックファームがあります。所沢は家から10kmと遠い距離ではありましたが、そこで働く人たちや場所がとても好きでした。所沢のファームと渋谷のイタリアンレストランでは週末の夜に働き、もう1つの秋葉原に位置するメイドバーでは、その他の日程で働くというスタイルをとっていました。後者のメイドバーは、私の日本語がとても上達したきっかけになった場所です。メイドバーは、来るお客さんがいつも同じようなこじんまりとしたお店で、彼らとはある種、家族のような絆が築けるような場所だったように思います。彼らが自ら進んで日本語を教えてくれたのに加え、私も日本語を話せる(アウトプットを続けられる)環境にいたため、私の日本語は少しずつ流暢になっていきました。
それから、もう1つラッキーだったのは、よくきてくれるお客さんの中に、マイクロバイオロジスト(微生物学者)の方がいたことです。先ほど話した通り、私は日本の「発酵」に関心があったので、それに関する話も少しできました。

働いていた場所
・イタリアンレストラン in 渋谷/オーガニックファーム in 所沢
・メイドバー in 秋葉原
→日本語が上達するきっかけとなる(日本語を教えてくれる+実際に話せる環境)

ー 日本でのカルチャーショック(印象的だったこと)

メイドバーでの1枚

ー どうしてそんなことが可能なの?!
カルメン:ここで面白かったことの1つとして、旅行に対する価値観の違いがあります。2つの職場の中で、同年代くらいの人たち、それから、少し歳の離れた30~40歳くらいの人たちと一緒に働いたのですが、彼らのほとんどは今まで一度も日本を離れたことがない人たちでした。
私にとっては、30-40歳になっても一度も日本を離れていないことが驚きで、つい、お客さんにも「どうしてそんなことが出来るの?」って尋ねました(笑)でも彼らにとっては、海外に出ずに日本に居続けることが普通であったが故に、私の質問は面白おかしく聞こえたようです。それでも、彼らはとても丁寧に質問に答えてくれました。質問に対する、彼らの答えはこうでした。
「時間ができたらここ(メイドバー)に来たり、夜まで飲み明かしたりしているよ。長期休暇があれば、言葉の問題もあるから、海外に行くよりも日本国内を旅行することが一般的なんだ。」

それを聞いて、純粋な驚きと共に、日本の働く環境や短すぎる休暇期間が影響しているんだろうなと思いました。それと同時に、私は不思議な感情を抱きました。彼らは、私がイタリアから来ているという事実は知っているけれど、それが一体「どういう場所なのか」は想像がつかないんだなって。もしくは、その他の海外の話をしている時も。

日本でのカルチャーショック
・海外旅行への価値観
→大型休暇を取ることが容易ではない日本では、海外よりも国内旅行が一般的である。そのような状況を踏まえ、一度も海外に出たことの無い大人との出会いが、カルチャーショックだったようだ。

ー ギャップイヤーを終えて

カルメン:私の場合は、日本でのギャップイヤーを終えてから直接デンマークに行ったわけではなく、一度イタリアに帰る期間を挟みました。イタリアでの期間は、ある意味、二度目のギャップイヤーだったと言えるかもしれません。その期間で、デンマーク生活の資金を貯めるために働きながら、英語の勉強に励みました。英語を勉強し直した理由は、私の日本語はずいぶん話せるようになったのに、英語を話せないという不思議な状態を脱するためでした(笑)
英語を話せることは、私がしたいと思っていること(奨学金の獲得など)を成すためには必要な条件だったので、英語の習得に時間を割きました。
その後、実際にデンマークの学校に入学したものの、1年目はコロナ禍の影響でイタリアから授業を受けることになりました。オンライン上で英語を使う日々。それから、ようやく2年目を迎えると同時に、デンマークにやってきました。デンマークでは、「環境と開発」その中でもずっと関心があった「農業と生態系」を専攻していました。これまで学んできた農業から、より一歩グローバルな面に踏み込んで、環境政策・持続可能な社会実現に向けた実践例・平等な食糧供給の方法などについて学びました。

5. イタリアのギャップイヤー事情

ー 次は、少しイタリアのことを聞かせてください。
イタリアでは、ギャップイヤーという選択肢は一般的なの?

カルメン:イタリアでは、ギャップイヤーは一般的な選択肢ではありません。もちろん、地域によって違いはあると思うのですが、少なくとも私の出身である南部の方では一般的ではありません。イタリアには家族や地縁を大切にする文化があるので、私の家族も私がギャップイヤーを取って日本に行くことに対して、当初は反対していました。距離的な問題も勿論ですし、家族を大切にするという点からも、その意見には納得でした。ただ、私はそれによって外の世界を知らないままであるのが嫌で、日本に来ました。家族にとって私は、ブラックシープ(異質な存在)のような存在だったのだと思います(笑)
そのような背景もあって、日本に来てからも、時差8時間のイタリアに居る家族とは毎日のように電話していました。仕事を終えて夜中に帰っては、朝8時に起きている家族と電話するような日常でした。お母さん、こっちのアパートで暮らす人はみんな寝ているよって(笑)
イタリアで暮らす人たちは、ある意味、人生の最も大切なゴールは素敵な家族を作ることになっていて。私はすでに、イタリアから出たことのない兄弟と比べて、いろんな面で違ってきています。ギャップイヤーを取ったり、海外に出ることで、柔軟性がついたというか、新しい局面に面しても柔軟に対応できるようになっています。それは、ギャップイヤーを取ったことの1つのメリットであるように思います。
その他に伝えるべきイタリア人の特徴としては、どこにいても『ピザを探している』ということです(笑)私も海外に出るようになって気づいたのですが、至る所でピザを探してしまいます。イタリアの特徴的な点です(笑)

イタリアにおけるギャップイヤー
・選択は一般的ではない
・家族や地縁を大切にするため、家族から反対される事はよくある

ー 社会と旅は似ている
カルメン:私の周りにいるイタリアの友達は、ギャップイヤーや海外留学をする学生と、規定の学年数をこなしてそのまま就職活動をする学生に分かれています。後者の場合、理論的な知識は身につく一方で、私が感じたような実践的なスキルや知識がない状態に行き着くのがほとんどです。つまり、周囲の人と協働する力やタイムマネジメントスキル、コミュニケーションまでは、大学にいるだけでは身に付かないということです。そういう実践的な視点で捉えると、今私が留学しているデンマークは、とても秀でているように感じています。
イタリアでは理論的な勉強が多くて、どうしても1人の時間が多くなりました。その後、日本に来てからは得た理論的な知識と仕事を結びつけることは、必ずしもそう簡単ではないことを学びました。しかし、その一方で仕事がとても楽しいものであるということも学べました。この双方において、学ぶことは多かったのですが、理論・実践のどちらかだけでは、より深い学びは身に付きませんでした。
しかし、デンマークではグループワークやプレゼンテーションなどを頻繁に行います。私はこうした学びと実践が結びつく方法こそ、勉強において大切だと学びました。授業内では取り扱うトピックの詳細を教えてもらわず、グループ内で話し合ったり、意見の表現を続ける中で知識を得ていく。そこで得た知識や経験は、とても実践的なスキルに近いと感じました。
それは少し旅に必要な力と似ていると思っています。旅では、信頼できる人や仲の良い人がいない中で困った状況に陥っても、自分自身でなんとかするしかありません。でも、終わってみると自分の体験と過去の知識の中から、、何とか術を見つけだしている。その時には、次の旅に活きる実践的なスキルが身に付いています。

社会で必要な力=旅に必要な力
過去に学んだ「理論」を組み合わせて「実践」する環境。それが「グループワーク」であり「旅」でもある。「理論」は、「実践」を通じて、実践的なスキルとなる。

6. ギャップイヤーを通して、変わったこと

ーピザ好きなイメージはあるけど、本当なんだね(笑)
では最後に、ギャップイヤーを経験したおかげで「変わったこと・よかったこと」を教えていただけますか?

カルメン:ギャップイヤーを取って変わったと同時に良かったと思うこと。まず1つ目は、ストレスを感じにくくなったことです。阿佐ヶ谷のバーでは、日本のさまざまな地域から来ている人たちと出会い、また、日本語レッスンに通えば、世界中から集まる別の人たちと出会います。このように母国を離れ、日本という異国で「仕事」や「勉強」を通じて、色々な属性を持つ人たちと様々な場所で触れあううちに、自分自身が強くなっていくのを感じました。
それから2つ目は、失敗は大切だと学べたことです。日本語学校では、それぞれ別の母国語を持つ人たちが、共通の言語、主に英語を使って、コミュニケーションを取ろうとします。当然、各自の英語に癖や理解しづらい部分があります。例えば、私の場合は「h」の発音に癖があるようで、いつもポーランド人の彼氏にからかわれたりします(笑)でも、英語が母国語ではないことをお互いに知っていて、とにかく「コミュニケーションを取ること」が目的である場所に、英語をうまく話せないという恐れは持ち込まなくていいんです。あなたには他の母国語があるはずで、英語が母国語ではないんです。母国語ですらミスするのに、どうして母国語でない英語で、失敗を恐れる必要があるのかと思います。

カルメン:日本にいた頃の経験では、英語を話す際に恐れを持っている日本人は多いイメージがあります。でも、ネイティブだってミスするし、本当に完璧でないことを恐れる必要はないと思うんです。
私も、デンマークに来た当初はとても英語に苦労しました。なぜなら、私は本当にシャイで、イタリアにいながら英語を勉強し続けたにも関わらず、自分の英語に全く自信を持てなかったからです。英語を学ぶことが普通であるドイツや他の国、もちろんデンマークの人たちがいる中で、バツ悪く感じるというか、「みんなどうか私の英語を理解して!」という感じでした(笑)
でも、デンマークで1年間生活するうちに、さまざまなことを英語でこなせるようになりました。例えば、別の文化を持つポーランド人の彼氏と英語でコミュニケーションを取ったり、仕事で会社の人たちと英語を使いあったり、卒業論文もそうですね。
それらの変化が故に、安心感や柔軟性を持てるようになりました。私がくぐり抜けてきた経験や、それにどう対応したかという経験値が大きく影響していると思います。柔軟性という意味では、他の人たちと暮らすうちに、必ずしも自分の思い通りに物事は動かないことを学びました(笑)小さいことでは、シャワーを浴びようとしても、共用シャワーを他のルームメイトが使っていれば、どうしようもありません。ついうっかり開けてしまって、相手が叫ぶんです。それで「あ、ごめん!」みたいなこともよくありました(笑)おかげで、周囲の人に対する尊重心が身についたと思います。
そして、個人的な成長面では、生き抜く為の実践的なスキルがついたように思います。勿論、親元を離れて独立したこともそうです。経済的にはまだ完全に自立したとは言い難いですが、当初目標にしていた実践的なスキルが身に付いたと思います。仕事における、実践的なスキルは今デンマークで学び中といった感じですね;)

ギャップイヤーを通じての変化・よかったこと
①ストレスを感じにくくなったこと
(きっかけ:様々な環境で、様々な属性の人たちとの交流が影響)
②失敗は大切なことだと学べたこと
(きっかけ:言語を学んでいる際)

→安心感/柔軟性/実践的なスキル(生活面)に繋がった。

ー カルメン、ギャップイヤーライフを伝えてくれてありがとう。ギャップイヤーは「自分が何をしたいのか・学びたいのか・自分自身とは」そういったことに自然と焦点を当てられる期間。これからの学生が、もっと自由な選択肢を取れるよう、ギャップイヤーライフを伝え続けます!このストーリーは、将来ギャップイヤーをとりたいと思う学生にとって大きな手助けになるよ。本当にありがとう。

カルメン:こちらこそありがとう。Stay Safe!!

7. 最後に

今回、インタビュー中に最も伝わってきた彼女のパワーの源は、間違いなく『挑戦心』だった。シャイという心の壁を、悠々と打ち破る彼女の挑戦心は、止まることを知らない。そして、この挑戦心を育んだ1つのきっかけは、間違いなく人生で最も悲しい日だったと語る『卒業式』だろう。
だが、果たして、ルーマニアでの他国籍学生との交流がなければ、彼女の卒業式はそれほど悲しい日だったのだろうか。学校のプログラムとはいえ、普段とは違う環境に自分を置いたからこそ、卒業式の日に抱いた感情の景色が異なって見えたのではないだろうか。

1つのきっかけを作り出すこと、そのきっかけをバネにすることの大切さを彼女から学んだ気がする。成長は必ずしも人生の目標とはならない。だが、「自分の殻を破りたい!!」と思っている人にとって、ギャップイヤーは手助けとなるのかもしれない。カルメンのインタビューを終えて、かつての自分がそんな期待をギャップイヤーに込めていたことを思い出した。

改めて、ありがとうカルメン:)

どんな理由でも、どんな過ごし方でもいい。当初の目標が変わってもいい。自由な期間である『休学』をよりハードルの低い選択肢にするために、自由な期間である『休学』の川流れを楽しめる選択肢を増やせるように、今後も様々な形の休学ライフを届けていく。

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