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中国の食品安全問題と文化の喪失について

最近、中国では食用油と工業油が同じ輸送タンクで運ばれているという問題が再び話題になり、国民の反応を引き起こしました。このような食品安全の問題が次々と発生し、普通の人々の忍耐の限界を試しています。この問題を通じて、私は国家が法制管理を強化し、人々の行動を規制する必要があると強く感じました。

日本も発展初期には様々な工業汚染問題を抱えていました。政府の法制度が企業に賠償を促し、例えば富山県神通川流域で発生した四大公害病の一つである痛痛病がその一例です。患者が「痛い、痛い」と叫ぶことからその名がつきました。この病気は大正時代ごろに始まり、岐阜県飛騨市の神岡鉱山から排出されたカドミウムが神通川の水や流域を汚染し、そこから育てられた米を通じて体内に入ることで広がりました。患者とその家族、そして地域住民は苦しい日々を送りました。住民が裁判で勝訴したものの、患者救済と健康調査は現在も続いています。汚染された環境についても、長年の努力で美しい水と土地が復元されつつあります。

心痛むことに、中国にはもう文化がないと言わざるを得ません。歴史的遺跡はありますが、多様な文化は失われてしまいました。アメリカ人が日本人をますます好む理由の多くは、こうした文化の影響によるものです。文化は短期間では形成されず、長い時間の蓄積が必要です。幼少期に食べた狗不理包子の濃厚な香りや稲香村の精緻な点心はもう戻ってきません。改革開放は経済発展をもたらしましたが、自国の文化をより良く保護することができませんでした。

日本に長く滞在するほど、純粋な豆腐、醤油、ラーメンを食べることができることに感謝の念を抱きます。これらは元々中国から伝わったものですが、日本では発展し、独自の食文化として成熟し、多くの外国人に愛されています。日本には、何百年もの歴史を持つ手作りの醤油や清酒、点心の家族が継承している工房が多くあります。中には400~500年の歴史を持つものもあります。しかし中国国内では、こうした歴史ある手工芸や家族産業を見つけることは困難です。海外に住む中国人として、これは乗り越えられない痛みです。

以上が私の心からの思いです。中国の未来がより良くなることを願っています。

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