見出し画像

SDGsという第二の大転換(3)3つの交換と「資本主義」

…より続く

「交換」には三種類しかないとされています。

互酬制、再分配、そして市場交換です。これは、ポランニーが、日本では「経済の文明史」という書物に収められている名論文「制度化された過程としての経済」で指摘しています。

そもそも交換とはなんだろうか。

それは「同等」であると人間がみなしたものどうしで起きる物やサービスの行き交いです。同等と思っていなかったら、一方的な略奪か贈与となります。

ポランニーの三つの交換形態

互酬制とは、贈与を土台にしているが、同等であるとみなしたものを反対贈与することによって、お互いに贈与をしあう交換のことです。「互酬」とは、この後の3つ目の市場交換と違い、交換の度ごとに同等性が変化するのではなく、長年のしきたり的に同じものを行き交いさせるものです。よって、贈り物をしあうどうしに長期的な安定的な関係を強いるもので、逆にいうと人と人との間、共同体と共同体との間を安定させていく作用があります。ただし、「安定」は「抑制」の別の言葉かもしれないので、いいものかどうかは分かりません。

互酬制は平等な関係に導きますが、地位の格差が生まれると、たとえば災害や戦争など特別な事態においては地位の上のものがより多くの贈与を行う場合が出てきます。それは「再分配」と呼びます。地位の格差を利用して普段は多くの贈与を受けている者が、反対給付としてなんらかの必要性に応じて再分配するのです。これが「同等」の交換なのか疑わしいところもありますが、同意・暴力的支配・社会契約などを通して「同等であるかのように振る舞う」のが、この「再分配」という交換です。ただ「同等であるとみなされている」かどうかで交換であるかどうかが決まるので、互酬制に比べると不安定です。同等でないとみなされると、強奪や略奪、逆に革命や反抗の事態に陥ることは多くありますね。「命懸けの説得」が支配者よりなされます。

最後に市場における交換があります。これは市場でのその場その場での交換ですから、全く不連続、不安定です。特に貨幣(それ以外全てのものの「同等価値」を図る地位にある一つのもの)が生まれて使われると、市場での交換、同等性は常に揺れ動く。常に揺れ動くので商売をする時は、自分が投資したものが将来売れるかどうか全く分からない時間の流れの中で決意をする必要があります。よってマルクスの言うように「命懸けの跳躍」が必要になるのです。

そして、柄谷行人が鮮やかに示したとおり、これら3つの交換は現代社会では広く、国民主義(互酬制)、国家(収奪=再分配)、資本制(市場交換)として発展をとげ、それぞれが他の弱点をカバーするように作用し、鉄のトライアングルが出来上がるのです。

柄谷行人によるABCの交換

詳しくは柄谷行人の次のような著作に当たっていただきたい。

このトライアングルが生まれることでその全体が「資本主義」となる。

資本主義と資本制度は厳密には違います。ここで「資本制」というのは「市場での交換」に根差した実際の経済システムのことです。「資本」は買いと売りの交換を繰り返すことで、最初の買いの投資量に比べて、売りの交換の結果が増えていくという不思議な複数回の交換で生まれます。動的な動きです。

会計的な静的な資産のことを指す「自己資本」とは異なります。静的な資産はこのような複数回の交換を繰り返して資本増殖する元になるとは限りません。互酬制の元手にも再分配の元手にもなりえます。単に人に渡してしまう「贈与」の元になるかもしれませんし、消耗して価値が消えてしまうかもしれません。税金で吸い上げられて再分配の元になる部分も多いですし、自治体や自治会の共有財産かもしれません。それらを同じ「資本」という言葉で呼ぶ積極的意義はあるのでしょうか。よって古典経済学者のアダム・スミスやリカードは、資産と区別して、「資本」とは、市場での交換における動的自己増殖する「資本」のことで、異なると注意を与えているのです。社会的共通資本などと言ってその違いを曖昧にするようでは古典経済学を学んだとはいえません。

さて、資本制はしかし、実際には「市場での交換」だけでは広く拡大できません。どころか実際は「互酬制」によって作られた共同体や宗教、または「再分配」によって生まれた王国や貴族領主たちによって、市場での自由な交換は押さえつけられてきたので、拡大できなかったのです。中世までは広く行われていました。商人や市場や銀行家や、つまり資本は嫌われていたのです。世の中を不安定化させるこの市場での交換を嫌っていたのです。これはポランニーの上述の論文集に詳しく書かれています。

トライアングルが生まれることで、資本制度を逆に「互酬制」の国民共同体や「再分配」の国家が支援することになります。つまり「資本制度」を「国民国家」がイデオロギー的に選び支援する、それが「資本主義」です。
そして、「不安定化させる市場での交換=資本制」を国民国家が支えてきたことで、SDGsを唱えなければいけないような人間社会の破綻への道が始まるのです。

(下記へ続く)


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?