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怪物が生まれた瞬間を目撃した

 卒論の時期になり、ひたすらに文化的雪かきをしている。コロナがどうこうというより、いつもと変わらない年末年始を過ごしている。


 今年は「です・ます調」と「である調」の区別が全くついていない学生が現れて、雪かきがなかなか大変である。相も変わらず、謎の空白行は増え続け、行開始の字下げの文化は消滅しつつある。そして数学は益々駄目になり、統計にまで昇華させるのに、もの凄い時間と労力を必要とするようになった。全ては某入試改革のせいだ。数学の出来ない学生を集めれば、こうなるということなのだろう。一方でプレゼンはどんどん上手くなっていて、今年は殆ど手がかからない。昔はパワポの操作を一緒にやったものだが、今は全く必要ないし、むしろセンスもあって、お絵かきも上手で、私なんかよりプレゼンの画面はよっぽど素晴らしい。長年教員をやっていると、こういう得意・不得意なところが時代とともに変わっていくのが面白いと思う。

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 そんな文化的雪かきの間に、年末年始にとある学生さん達が構成する活動団体のあれやこれを見ていた。全て正しいことを言っている。正義を叫んでいる。でも、その正義に酔いしれているのか、クラウドファンディングでそれなりの活動資金が集まって気を強くしたのか、なんなのか良く分からないがSNS上の発言がだんだん過激になっていく。やがて、私達は正しい事をしているのに行政が改善してくれない、間違っているのは行政なのに!、と行政側のあれこれをたたき始めた。曰く「Z世代だって世の中を変えられるんだ!」という強い意気込みがあるようである。

 だが、しかし、、、とある事に関しては、完全にちんぷんかんぷんな異を唱えている。パワハラだ、差別だ、人格否定だ、社会システムがどうのこうのと語気を強めて、SNSで対応した役所を叩いて叩いて吠えまくっている。あー、これは・・・・と思って眺めてたら、そちらの専門の人が、それは本当に必要なプロセスで、そのプロセスをなくしてしまったら、逆に救えるべき人達を救えなくなるんですよ、という大人の優しい言葉をかけた。

 流石は若い方達。ロックな精神が宿っている。その専門家をも罵倒し、さらに語気を強めていく。クラウドファンディングでお金を集めて、活動して、もはや無敵モードに突入した方達に、その声は届かない。戒める周りの声は聞かずに、同じように「何も分かってないまま異を唱える」層が大集合しているヤフコメ民レベルの人達の声を反響させまくる。もう後戻りは出来ないだろう。これぞモンスター誕生の瞬間だ。まさに、カエルがエコーチャンバーが装備された井戸の底に(仲間を引き連れて)深く入っていく、その瞬間を目撃してしまった。

 ずっと思っていることがある。自分の声に耳を傾けないと行政を批判する方達が、自分達に対する批判は一切聞き入れない、聞く耳を一切もたないのは何故だろう?人の意見を聞かない人が、どうして自分の意見を聞いて貰えると思っているのだろう?不思議だなと、思う。

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 ユニコーンガンダムの第4話「重力の井戸の底で」という回で、ザビ家の正当後継者たるミネバ・ザビが廃れたダイナーの老店主と下のような会話をするシーンがある。

ミネバ「……ずっと、地球に住んでおられるのですか?」
老主人 「ああ。いまさら離れられんよ」 「……わしらの世代は、爺さん婆さんから昔の惨状を聞かされて育っとる。そりゃぁ酷いもんだったらしい。それをなんとかしたくて、人は連邦政府を作り、宇宙移民ってやつを始めた。貧乏人だけが無理やり宇宙へ棄てられた、って言うやつもいるが、望んで出ていった連中も大勢いた。地球の自然が元に戻るまで、もう帰らないと覚悟してな。それも、一年戦争でほとんど元の木阿弥になっちまったが……」
ミネバ 「……救われませんね」
老主人 「……まぁしょうがない。すべて善意から始まっていることだ
ミネバ 「善意?」
老主人 「連邦も移民も、もとは人類を救いたいって善意から始まってる。会社を儲けさせたり、家族の暮らしを良くしたいと願うのと同じで――」
ミネバ 「でもそれは、ともすればエゴと呼ぶべきものになります」
老主人「そうかも知れんがね……。それを否定してしまったら、この世は闇だよ

機動戦士ガンダムUC/NT 全セリフ集・使用BGM一覧より引用
http://gobuzaki.ehoh.net/unicorn/ep4.html

 この会話に登場する「全ては善意から始まっていることだ」はヨーロッパの諺の「地獄への道は善意で敷き詰められている」のことだろう。そのZ世代の活動も善意だ。なにも間違ったことは言っていない。その方達の求めるゴールに間違いはない。100%正しい。SNSのプロフィール欄に書いてあることも全て正しい。善意で作られた正義そのものだ。ダイナーの老店主の言うように、それを否定してしまったら、この世は闇だ。しかし、その善意に基づいた行動の一部は手段を間違えていて、ある一定の困っている人達を更なる地獄に導くだろう。他者を攻撃しつつ、一部の人を地獄に落とすことでしか達成出来ない目標なのであれば、それは手段になんらかの改善余地があるかもしれない、ということを思いつきもしない。しかも、その行動によって取りこぼされる人達は、SNSのプロフィールに掲げている救うべき対象の一部だ。そのことを窘める声にも耳を傾けない。このまま行けば、あの方達はそのままモンスターに食われてしまうだろう。

 SNSでの派手な言論活動を見ていると、ゴールを優先しているのか、自分たちの承認欲求を優先しているのか、正直分からなくなってくる。自分たちの意見に合う声だけを拾っている姿や、自撮り写真をやたらと載せているのは、正直なところ気持ち悪い。この団体の方達の目的は別じゃないだろうか?自分たちの承認欲求の方が上で、プロフィール欄に書いた目的は<自分を有名にするための>手段だと思っているのではないだろうかと穿った考えが浮かぶ。もしかすると、この方は慈善団体よりも芸能人に、いや有名人なりたかったのかもしれない。でも、承認欲求だろうがなんだろうがゴールが達成出来れば素晴らしいことなのだ。それだけに、なんとも複雑な気持ちでSNSでの発言を眺めていた。

 でも、こんな文章を、こんなところに書いたところで、輝いた目をして活動しているZ世代には届かない。輝いた目をしているZ世代の団体の皆様には役立たずの老害でしかない。年明け一発目のnoteで、こんな愚痴をいうジジイは老害らしく老害なりの仕事をするしかない。SNSを閉じて文化的雪かきに戻りたいと思う。

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