輝いている人の輝く光が、自分の心の闇を浮かび上がらせる季節に負けるな

 先日に出身ラボの先生の退官記念やら「片付け」をZOOMで相談していた時のことだ。

 ZOOMで全員が酔っ払っていくなかで、ある方に「XXさん、今、給料いくらっすか?」と聞かれてしまう。出身ラボでは、最後にドクターを取った方で、現在は高名な研究所でポスドクをしている。給料の金額なんて特段隠す必要もないし、素直な金額を伝える。あー、なんだろう、僕より給料が良くなりましたよ、とかって話かな?さすが高名な研究所は違うな、と思っていたら真逆の話で「僕の給料、XXXXXなんすよ」と深刻な顔をしながら続ける。

「同期の同じ大学出身の人達は、XXXXXぐらいは稼いでいる」
「XX(私)さんだって、そうでしょう?下手したら同期の半分も稼いでないんじゃないですか?」
「僕たちは給料が凄く安いうえに、年間100万円(基盤C)の研究費を稼ぐのに、ものすごい時間と労力をかけている」
「オマケに朝から深夜までアリの様に働いて、子供と会う時間すら満足にない」

「だったら大学なんか辞めて稼げる仕事について、今の給料と研究費を足した額以上を稼げば、そのお金を使って好きな研究すればいいんじゃないかと考えている」
「今だと、色んな実験が外注できる。全部自分でやる必要はない」
「つまり金さえあれば、在野の研究者になれるんですよ」
「研究内容に誰からもケチ付けられないし、研究計画書をボロクソにいわれることもない、進捗状況も五月蠅く尋ねられなければ、面倒な報告書も書かなくて良い世界」
「そう思わないですか?」

 ・・・なるほど・・・確かにそうかも知れない。一理ある。酔っ払った勢いのままに、魂が載った言葉に、私の顔は引きつる。

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 たぶん、高名な研究所で大変な思いをされているのだろう。だめ出しをされる。周りの優秀な研究者達が良い雑誌に論文を次々と載せていく。朝から深夜まで魂を削って実験をする。思い通りの結果は出ない(科学なんてそんなものだ)。もっと検証したいことがあっても研究費が足りない。なかなか論文だって通らない。一方で大学の同期達は、自分よりも遙かに良い暮らしをしている。論文の修正で徹夜明けにコーヒーを入れながら、研究室で朝を迎えるような暮らしをいつまで続けられるだろう?と不安に思う。ぬくもりに飢える。人間的な暮らしがしたいと感じるようになる。もっとちゃんとした生活がしたい。そういう不安に襲われているんだろうと想像する。特にこの季節は駄目だ。上がっていく人を見てしまうと、劣等感が心を支配する。新たに期待されている若手が入ってくるのもキツイ。輝いている人の輝く光が、自分の心の闇をくっきりと浮き上がらせる。胸の奥がヒリヒリと何かで焼かれるような感覚が続く。焦りと諦めがまとわりついて離れなくなる。逃げ出したくなる気持ちがよく分かる。

 私に、この方を止める権利はない。その辛さを抜けた先に幸せがありますよ、なんて口が裂けても言えない。顔が引きつったのは、その方の必死さにではなく、その焦燥感に覚えがあるからだ。先の見えないことに対する焦り。「来年も契約してもらえたよ」と伝えなければいけない自分の情けなさ。noteを始めたころ、私の精神もそんな感じだった。

 私は最近になって、やっと「任期付き」の文字が外れた。この研究世界に足を突っ込んでから、もうXX年が立っている。パーマネントになったことについて、何度も書いては消してを繰り返して、結局は文章を完成できなかった。1年契約が3年契約になった時、妻は赤飯を炊こうかという勢いで祝福してくれた。それが5年契約になった時も喜んでくれた。でも任期がなくなったことを伝えた時の妻の顔は微妙だった。結果として私の心は任期のある世界線から離れたことを受け入れられていないのだと思う。違う世界線に移動したことを、頭の中でうまく整理出来ていない。

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 私は研究者という職業は「人と比較して自分を評価する」のとは距離をとれる職種だと思っていた。常に真理だけ追求していればいい。真理から漏れ出てくる光を捉え逃さないように集中すればいい。そう思っていた。でも現実はそう甘くない。研究計画書が評価され、ランク付けされる。論文が載った雑誌のIFで業績評価が行われて、給料の変化に反映される。講義だって学生に評価されて、会議で公開される。どんな時も目標だけを見続けていればいいなんて綺麗事では生きていけない。周りと自分が比較されることからは逃げられない。油断すれば下をみて満足してしまうようになる。評価されて比較される世界では、下を見て落ちるところまで落ちていくことが簡単にできる。下を全く見ずに生きていくには強い心がいる。

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 そういえば出身ラボに、5つほど下の学年で、とても優秀な方がいた。素晴らしい論文を幾つか書いてドクターをとった。学会でのプレゼンがうまく、イケメンで、後輩の面倒見が良く、酒を飲めば面白く、全てを兼ね備えた方っているもんだな、と思ったものだ。ドクターをとった後、暫くは東京の有名大学で任期付き助教をしていたが、何年かたった後に、あっさりと研究世界から足を洗った。科研費もとっていたのに、あっさりと研究世界から去って行った。色々と縁があって、数年前に北千住の喫茶店で再開したのだが、「いやぁ、今の方が何倍も幸せですよ」と宣う彼の笑顔はとても清々しかった。「だって子供と風呂に入れるンすよ、ご飯も一緒に食べられる」と。もう大学に戻る気は100%ないと断言していた。優秀な方だけに、何かを感じて、何かを理解して、この業界に見切りを付けたのだろう。

 正直なことをいえば、今までに声がかかったことがないわけではない。公募にアプライもしたこともある。確かに最先端じゃなくてもいいなら研究はどこでも続けられるかもしれない。でも私としては「大学」にいたいと願っている。色んな理由がある。いずれ、しっかりと書き残しておきたい。

 在野の研究者になろうと語っていた後輩に伝えたかったことがある。その選択肢に私が言えることなんて何もない。けれども、この時期に選択するのは駄目だと、本当は伝えたかった。輝く人がより輝いた光を放ち、自分の心の闇を浮かび上がらせる良くない季節だ。この季節に負けちゃ駄目だ。せめて夏まで、じっくりと考えたら。そう伝えたかったが、既に2本目のワインを半分開けた酔っ払いの思考力では何も出来なかった。単なる酔っ払いだった。胸の奥がちりちりと焼かれる感覚を思いだして鼓動が早くなるだけで、何も言えなかった。春は良い季節だけれども、大学を去るかどうか決断するには良くない季節だと思う。どこかで伝わることを願って、ここに記しておきたい。

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