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『AIの遺電子』山田胡瓜 登場人物の選択が正しかったか否か。明示されない答えを読者自身が考える。

2015年~2017年秋田書店「週刊少年チャンピオン」に掲載されていた作品です。読み方は『AI(アイ)の遺電子』。全8巻。続編として『AIの遺電子 RED QUEEN』『AIの遺電子 Blue Age』があります。

基本的には一話完結型となっていて、とても読みやすいです!
しかし、扱っているテーマは倫理観を問われるものが多く、毎話考えさせられます。

読みやすいのに重い。さくさく読めるのに何故か頭に残る。
つい考えてしまう作品です。

人間とヒューマノイドそしてロボットが共生する時代

舞台は未来。人類のテクノロジーはめまぐるしい進化をとげています。その産物のひとつとして、人間の脳の神経回路をそっくり真似、高度AIを搭載した人型ロボット「ヒューマノイド」が生まれます。彼らは人間同様、自立した感情を持っており、食事もするし、睡眠もとります。そして人間同等の権利を持ち社会で生活するようになっています。

主人公の須堂は、新医師と呼ばれるヒューマノイドを専門に治療する人間の医師。彼のもとには「病」を抱えたヒューマノイドが日々訪れます。
また、彼はモッガディートという裏の名前でも治療の依頼を受けており、違法な行為や不正な改造をした患者も彼を頼り治療を請います。

人間、人間同等の権利を持つヒューマノイド、そして産業用としてデザインされて存在するロボット。この3種の間に存在する違いから起こる問題が、須堂を通して描かれていきます。

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『AIの遺電子』第一巻(山田胡瓜/秋田書店)より引用

登場人物の選択は、はたして正しかったのか否かは明示されないのが憎い!

この作品では、人間・ヒューマノイド・ロボットの間に生じる問題を、家族やカップル、友達同士のすれ違いという身近な事として描いています。また特徴的なのが、それらの問題に対して登場人物の取った行動や選択が、正しく幸せな物だったのかどうかは明示されないところです。

現在(2020年12月)、株式会社秋田書店のWebマンガ配信サイト「マンガクロス」にて第1話を読むことができます。この第1話では、ヒューマノイドの母親・父親と、人間の女の子の家族が登場します。

母親は、最近体の震えが止まらないという症状で須堂の診察を受けるのですが、その際父親のある違法行為が発覚します。彼は愛する彼女の健康を思うあまり彼女の脳から、法律で禁止されている「人格のバックアップ」を取ってしまっていたのです。運悪く、そのバックアップ時の外部接続が原因で、母親はウイルスに侵されており、このままでは機能停止・・・つまり死んでしまう。彼女を救うには彼女の脳を一度フォーマット(全消去)して、ウイスルに侵されていない正常なバックアップデータを脳に入れ直し、復元するしか方法はないという事になります。

父親はもちろん彼女を救うためバックアップを使おうとしますが、この方法に対して母親自身と彼らの人間の娘が躊躇します。

「バックアップを使えば ママはこの先も私たちと一緒だ。
 でも・・・そのママは本当に今のママと一緒なの?
 パパは『一緒』だと思ってる
 ママが少し巻き戻るだけだって
 本当にそう?
 本当に?」
(『AIの遺電子』第一巻 より引用)

彼女の「命」を救うなら、バックアップデータを使うのが正しいでしょう。記憶はバックアップを取った時点の物に戻ってしまいますが、ウイルスにおびえる事なく命を続けることができます。

しかし、もし自分が彼女だったら・・・。
今生きている自分と、自分のバックアップデータは「同じ自分」と言えるのでしょうか?

もし、自分が父親や娘の立場だったら・・・。
バックアップを使い、今後も家族みんなで暮らしたいという願いは、「今の母親」を殺すことにならないでしょうか?
逆に「今の母親」を亡くさない為にバックアップを使わないという選択は、母親を見殺しにするという事になるのでしょうか?

病気になったのが人間であれば、「人間」と「人間のバックアップデータ」は別物だと言えるかもしれません(人間はバックアップを取れませんが)。
しかし、AIであるヒューマノイドのバックアップデータとなると、本質的にはその人本人と変わりはありません。だからこそ、簡単には答えが出せないこの問いが生まれるのだと思います。

この家族は、実際にはある決断をします。
物語にはその結果の情景が描かれるのみで、ことさら登場人物の心理がドラマチックに描写されることはありません。
だからこそ、読後に考えてしまうんです!
あの家族の選択は幸せだったか。自分だったらどうしただろうかと。

見かけが同じもしくは違う事が、互いの差をより深く感じさせる!

この作品でもう一つ素晴らしい所を挙げたいです!
それは、人間・ヒューマノイド・ロボットの描き方です。

特に人間とヒューマノイドは、殆ど視覚的には見分けがつかないように描かれています。

一話完結型で、多くの物語に登場するたくさんの人物達。
どの物語も、家族の誰がヒューマノイドなのか、クラスの誰が人間なのか、すぐには見分けがつきません。それにより、人間・ヒューマノイドに関わらず意識せずに人物の心理に寄り添う事ができます。だからこそ、いざ軋轢が生じた時の気まずさや、考え方の違いがより深くショッキングな事として感じられるんです!

逆に産業用のロボットは、人間と見分けのつかない物からすぐ見分けられる物まで、用途に沿って様々なデザインがあります。また社会での扱いも、人権を認められているヒューマノイドのそれとは全く異なります。

ロボットとヒューマノイドは同じ機械なのに、なぜこのように作られるのか。この二つにはどんな違いがあるのか。
いや、違いは存在するのか。
はたまた、機械であるヒューマノイドと人間は見た目が同じだけど、その境はどこにあるのか。人間であることは幸せなのか。ヒューマノイドとして生まれたことは悩ましいことなのか。

登場人物たちは、人間であれヒューマノイドであれロボットであれ、それぞれの判断に基づいて人生の選択をしていきます。
お互いの差が生み出す問題をはらみつつ、友情や愛情を感じ育てて生きていく物語は、改めて「人間」そして「自分」という存在のアイデンティティについて考えさせてくれます。


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