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2021年7月7日 発病発覚

みなさんこんにちは!白血病闘病中のねこです🐱
いつもご覧頂きありがとうございます💕
今回はですね、色々お話することはあるんですけど今日で発病発覚からちょうど1ヶ月になるんですね。
私が発病した時の様子を日記を元に何日間かに分けて書こうかなと思いますので、長くはなりますが読んでいただけると幸いです。
この日を境に怒涛の1週間が始まります。
少し読みやすいように小説風にしてあります!
気軽に読んでみてください☺️
では、始まります!!
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2021年7月7日
「うわ、やばい!」
この日は日勤だった。いつも通り7時半位かな。一人暮らしのベッドから飛び起きて牛乳で溶かしたプロテインとシリアルを口に流し入れながら髪を束ね、お気に入りの洋服に着替えた。
いつもならここで飛び出すのだが今日は健康診断だったことを思い出す。大慌てでトイレへ駆け込み尿カップに尿を取る。焦りからかこんな時に限って尿が出ない。時刻は7時45分。8時には病院にいたい…朝イチなのになんで出ないんだよと焦る気持ちを抑えなんとか採取し起きているのか寝ているのか起きているのかよく分からないまま自転車を全速力で漕ぎ、いつも出勤時間に散歩しているお爺さんを見て『まだ間に合う!』と希望を抱き、8時にはさっきまでの活気はどこへやら。眠そうな面構えで職場のHCU病棟へ出勤し空いているパソコンから今日の受け持ち患者さんの情報収集をした。

50代男性心不全、CV挿入し強心薬を持続点滴中。夜間良眠。
70代女性虚血性心疾患、人工呼吸器装着中、血圧は、内服薬は、先生の指示は。
いつもの如くペンを走らせその日のうちにやらなければならないことや注意する点を書き込んでいく。
私の職場はPNSと言ってその日の受け持ち患者さんを2人、時には3人の看護師で一緒に見ていく。患者さんの情報をタイムリーに相談、更新できるほか人の目があることで多角的にケアを行うことができる。その反面毎日ペアは変わっていくが看護師も人間であるためペアの相性がかなり重要になる。
この日は信頼できる1年上の先輩とペアだった。
情報収集を終え、間に合ったことや親しい先輩とペアであることに安心しながら点滴のダブルチェックをした。
8時半になり朝礼が開始になる。
師長がノートのメモをもとに最近あったことや共有事項を話したのち「今日の健康診断はねこさんですね。途中抜けますがお願いします。」とみんなに挨拶をした。「採血嫌だな」と思いながら私も一緒に頭を下げたのだった。

いつも通り患者さんの元へ朝の挨拶が始まる。「おはようございます、お昼の看護師に変わりますね。」と言い、自己紹介をしていく。「お願いします」と返す人もあれば黙ったり「これから、美容院に行くの」と反応を返されたりと様々だ。
そんな様子の患者さんを見つつ、夜勤者からの送りを受ける。夜はよく眠れたのか、体調は変化ないか、開始になった薬や点滴はないか、先生に伝言で伝える必要のあることはないか、様々だ。
それが終わったら、清潔ケアに入る。HCU病棟は重症患者さんが入室する。自分で体動ができなかったりする患者さんが大概のため通常は2人で行う。体格のいい患者さんのケアだともうこの時点で汗だくだ。時間は9時半。もう午前中の血圧測定に回らないと行けない。時間に追われながら、異常がないか確認していく。
「ねこさん、今23歳なの。俺の息子と一緒の歳だね」と一人の患者さんから声をかけられる。
HCU病棟で会話ができる人は珍しいため私もついつい長話をしてしまう。仕事のこと、孫のこと、家族のこと、病気のこと、医師のことなど様々だ。それらを傾聴し、治療に前向きになれるように頭をフル回転させ、言葉を選んでいく。
「え〜、私お父さんが病気で大変な思いしていたら嫌ですよ。でも治療頑張っているおかげでかなり数値も変わりましたよ」とにこやかに私は反応した。「そうだな。やっぱ入院前に比べてかなり体調はよくなったよ。今日は七夕だな。孫は何を書いているかな。」「きっとおじいちゃんが早く帰ってきますようにって星に願ってくれていますよ。」「だとするなら可愛いな。」と雑談をする。

ふと視線を外すとペアの先輩がパソコンに必死になって記録を書いている。「やば。仕事放置してた。」と思い患者さんの話を切り上げ私もパソコンで記録を開始する。もうすでに11時。記録を書き始めたところでお昼休憩となった。
「先輩すみません!記録1行しか書いてないです!」「ええ、ど、でもどうにかなるよ大丈夫」と笑顔でお互いの進捗を報告し合い休憩前にペアの先輩に採血をとってもらい、検査課へ提出し大盛りのカレーを頬張った。

先輩も私もお昼休憩が終わり、午後の血圧測定や一般病棟へ転棟する患者さんを見送る。もう14時だ。仕事していると本当に時間が早く感じる。やるべき仕事も終わり、先輩と他の患者さんについて話し合っていると師長のピッチが鳴る。
「はいはーい、はい?あー、はいはい。」と鈍い反応をしている。入院が来るのかなと思いきや電話が切れるなり「ねこさん、血液内科の先生がちょっと話があるって言っててね、私も一緒に行くから今から行こう」と声をかけられる。
「え…」
なんかこの時嫌な予感がした。背筋がゾクっとするような寒さと不安に一瞬支配されそうになる。だが、信頼できる上司も一緒にいるからと自分を落ち着かせ、血液内科の外来まで師長と話しながら一緒に行った。この時も不安で押しつぶされそうだった。HCU病棟は2階、外来は1階。その階段が永遠に感じた。これほどまでに重い足取りで階段を降りたことが今まであっただろうか。
だが、心のどこかで「まあ、大丈夫でしょ」と思っている自分もいたのは事実だ。

師長と一緒に血液外来のドアをノックし、入室する。白衣を着た、高齢男性の先生がパソコン画面を開き待っていた。先生の硬い表情とは別に「あまり見たことない先生だな」と考えていた。私の勤めていた病院はコロナの関係で呼吸器・血液内科病棟を閉鎖しそこをコロナ専用病棟にしていた。そのため、血液内科は外来のみ、呼吸器は循環器内科病棟にねじ込む形として機能していた。
そんな先生が私に向き合い「最近疲れやすかったりしませんか」と質問してきた。確かに疲れるが家に帰れば私を20万円のベッドマットレスが出迎え、瞬殺で癒してくれる。私が一番お金をかけた家具であるベッドマットレス。その子のおかげで私は疲れ知らずだ。「いいえいいえ。今日ケアも出来ましたし出勤に至っては過去最速叩き出しましたよ?それはもう速かったんですから!」と驚き反応を返す。先生はそうですかとパソコンに向き合いしばらく考えている。あれ、やっぱこれダメなやつか…?沈黙が重い。私は場の雰囲気から萎縮し体を縮こませ師長と目を合せ、先生の言葉を待った。なんだか動悸がし、呼吸が自然と早くなる。この空間が一生続くような感覚に見舞われ、不安を隠すのが難しくなってきた時に先生が重い口を開ける。
「あのね、白血球が増えていて、ちょっとだけど貧血と血小板の機能も落ちているのよ。それで、LDHって言って細胞が破壊されると上がる数字があるんだけどそれが500ちょっとある。私は正直、どれだけだるそうにしている人が来るんだろうって身構えていたんだよ。でも、ねこさん全然元気そうだし、もしかしたら貧血なのかなって思ってたんだけど。」と説明する。
私の思考がピタッと止まり次の瞬間とてつもない勢いで情報を整理しだす。細胞が破壊?LDH500?え、正常値の2倍じゃね?だるそうにって言っていたけど、この数値的にだるくなってもしょうがないってことか?なんだこれわからん。何が起きている?と脳内はパニックになる。そこでようやく「…はい」とかすれる声で反応をする。
先生は私の反応にゆっくり頷き「これ精密検査した方がいいと思ってる。がんの専門病院か大学病院に紹介状書くから明日、行ってきて。」と言われる。
は?がん専門病院?大学病院?そんなにまずいのか?何が起きてる?私こんなに元気だし、自転車だって漕げるし今日に至っては過去最速記録並の速さで来たんですよ?え、がんってなんだ?私まだ23歳…そうまだ23歳…嫌だ、死ぬのか?受け止めきれない、なんだ、何が起こっている?と脳内では言葉が出るのに、私は代わりに涙が出ていた。大人気なく泣くことしかできなかった。
師長と先生は困ったように私を見つめている。私は泣きじゃくりよくわからず師長を見つめ、「どうすればいいんですか…」と絞り出すように伝えることしかできなかった。

しばらく気持ちを落ち着かせ、先生に掠れた声で「検査、行きます」と伝えてからは早かった。紹介状が出来次第、HCU病棟まで連絡をすると伝えられ、私は師長に「がん専門病院って名前が嫌よね。でもまだ決まったわけじゃないからね」と声をかけられながら職場に戻る。職場に戻っても、全く働けなかった。やらなければならない仕事は終わっていたのが幸いだったが、ショックを隠すことができず、先輩に検査のことを話そうとした時に「今にも泣きそうな顔しているからどうしたのかと思ったんだよ。何があったの。」と声をかけてもらい話を聞いてもらう。先輩は話を聞き、布団の片付けなど体を動かす仕事を私に割り振った。患者さんをとても見れるような精神状態ではなかったため、その配慮に感謝しながら待っていた。でも体を動かしても動かしても時計の針は全然動いていかない。さっきまであんなに速かった時計の針が急に遅く感じた。
しばらくすると再度外来まで来るように連絡があった。師長と一緒に行き、先ほどの先生とまた対面する。
「明日の8時半、がん専門病院に予約入れておいたから、行ってきてね。あ、物自体はね今プレパラートも一緒に作っているから、5時までにはできると思うんだけど、ちょっと時間かかりそうなんだよね。それとね、血液検査なんだけど」と紙を眼前に広げられる。
「実はさ、芽球が血液内に出てたんだ。」
数値は4.5%と書いてある。師長を見ると「芽球かあ…」と肩を落としている。
芽球、そう、看護学校時代の記憶を探るとすぐに見つかった。赤血球、血小板、白血球のもと、いわゆる血球の赤ちゃんだ。通常は骨髄にいるため血液中には出てこないはず。どうして出てくるのか…これ以上先は考えたくなかった。だが学生時代の思い出や知識が無理矢理私の頭の中に流れ込んでくる。「白血病の特徴は芽球が末梢血、骨髄から多く検出されることで診断がおります」「近年では若年層のがんとして研究されていますが若年層の生存率は高くなく予後は不良の場合が多いです」教師の声が脳内をこだまする。もうやめてくれ、そう思っていたが言葉にはできず泣くしかできなかった。そして何かの勘違いであって欲しいと受け止められなかった。私は芽球が何かを知っていたが受け止めることができず、「芽球ってなんですか…」と先生に泣きながら質問していた。

職場に戻ってから師長は「実家に帰る?」と一言心配の声をかけてくれた。一人暮らしの家からがん専門病院までは距離があったため今回のことを含め実家に連絡しようと考えた。師長に休憩室で実家に連絡していいか尋ねると、快く了承してれた。職場のみんなも頷いて反応を返してくれた。休憩室へ行き、実家の固定電話に連絡をする。
「はーい。もしもし」と母親が出る。その瞬間、涙が溢れ出た。2年前に実家を出て以来、たまにしか帰っていなかった。自分勝手に一人で生きてきたが何も文句言わずに見守ってくれていた。ありがとう。ごめんなさい。こんなことで電話かけることになってごめんなさい。仕事できなくなりそうです。ごめんなさい。あなたより長く生きれるか分かりません。ごめんなさい。自分でも何が起きているのか分からないんです。ごめんなさい。そんな想いを胸に、「今日帰ってもいいかな」と言葉を絞り出す。
「ええ!今日!?急には困るよ!ちょ、何があったの」と困惑と驚きが混じった声が返ってくる。今日の健康診断のことを話す。
母親は自分が思っていたより落ち着いていた。「そっか。いいよ。帰ってきな。ご飯の心配はしなくていいから」と伝えられる。時間が分かったらまた連絡すると伝え、電話を切る。休憩室でぼうっとしていると夜勤勤務のベテランの先輩が勢いよく突入してきた。「え、ちょ、何があったの。」と声をかけられる。健康診断のことについて話すと「え〜、嘘、ひっかかったの。まあ少しゆっくりしな」と反応してくれる。そのまま、情報を取る為に病棟へ戻っていく。そうだ、仕事と思い立ち涙を拭き師長にありがとうございましたとお礼を言う。ペアの先輩や仲間に時間をいただいたことや迷惑をかけたことに対しお礼を言い仕事へ戻る。
しばらく無心で仕事をしていると師長が息を切らしながら私に紹介状とプレパラートの入った封筒を渡してくれた。ありがとうございますとお礼を言い、師長が頷く。「今日実家に帰ろうと思います。」「そっか…それがいいよ。本当に気をつけてね」と優しい眼差しで伝えてくれる。明日休みとはいえ、急遽体調が不安定になった部下に対し勤務の調整や仕事が増えたはずなのにここまで守ってくれる上司に言葉にできない感謝と尊敬で泣きそうになりながら頷いた。
17時の鐘がなり、仲間達は早く早くと言い私を家に帰らせてくれた。

エコバックに下着や服など1日分の荷物を適当にまとめ、17時半には実家へ向かうバスに揺られていた。
バスに揺られている間は、特に何も考えていなかった。いや、考えようとしなかった。考えたらまた泣いてしまいそうだったから。
気晴らしに持ってきたグミを食べながら荷物を膝に抱え込み、バスの窓から夕日に照らされ赤く輝く海をただひたすら見つめていた。
実家へ帰ると、母親と猫2匹が出迎えてくれた。猫は盛大に喉を鳴らし私の足にまとわりついてきた。その可愛さに癒されていると母が「今日の夕飯はカレーだよ」と大盛りのカレーを出してくれる。今日の昼もカレーを食べたことを内緒にしながら、口へ運ぶ。こういう状態でもお腹は空くもので気がついたら食べきっていた。それを見て自分でも冷静なのかパニックなのか、現実だと受け止められていないのか、よくわからない気分になった。もし夢なら、と思いながら血液検査データの紙面を取り出し私は淡々と母親に説明をしだした。「よし、泣かずに説明できた。もしかしたら不安定な夢を見ているのかもしれない」と安堵した時に父親が外出から帰宅してきた。おかえりと声をかける前に、切羽詰まった顔で「先生はなんて言っていた?」と尋ねてくる。余裕のない父親の顔。そんな顔見たこともない。学生の頃どんなに悪い点数を取ってもそんな顔してきたことはなかった。私の中で知る父親の表情シリーズの中でまさにNEW  Faceそのものだった。そんな顔をされて夢だとは思えなかった。ああ、現実なんだと突きつけられた気がした。その瞬間、私はまた泣いていた。今日何回泣いているんだろう。しつこいぞ自分。と思いながら説明するが言葉にならない。そんな様子を見かねた母親がフォローをしてくれる。

そんな私を見た父親が「泣いたってしょうがないだろ。未来を見ないと」と声をかけてくる。泣いてたってしょうがない?余裕のない顔でそれ言いますか?しかもそれは同じ立場になってから言えばいいんじゃない?50代後半まで生きてこれたおじさんには分かるわけない。これから彼氏作って、結婚んして子ども育てて暮らしていくもんだと思っていた。人生設計が一気に狂っている。仕事も休職しないと行けないかもしれない。そんな中で未来??そんなのねえよ。お先真っ暗そのものじゃねえかよ。そんな単語、今出すなよ。

そんな気持ちを押さえつけ口を開くが出てくる言葉は「死にたくない」の1つだけだった。

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