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七夕の夜に書きなぐってみた。どこかの誰かの願い事が叶いますように。

今日は「七夕」だと言うのに、なんだかちっともテンションが上がらない。

そういえば、子どもたちも今夜のメニューは何かと聞いてくるくらいで、ちっとも空を気にしたりしていない。「七夕」って成長すると楽しみではなくなってしまうのだろうか。


私は一年の行事の中でいちばん七夕が好きだった。子どもはキラキラの星が好きなものだし、年に一度だけ会える織姫さまと彦星さまのストーリーもロマンチックだし。好きな理由をあげればたくさん出てくる。でも、本当の理由は別にある。

それは七夕が「私の誕生日の前日」ということだった。

誕生日ならわかるけれど、なぜ誕生日の前日をそれほど特別視するのかって聞かれたら、ちょっと恥ずかしい。でも、それにも明確な理由があった。

たぶん、織姫と彦星のラブストーリーが好きすぎたのだろう。私は、織姫と彦星が7月7日に再会して、翌日私を産み落としたのだと信じていたのだ。キリストの誕生日の前日をクリスマスイブとして祝うように、私も、私の誕生日の前日の七夕を特別に感じていた。

文字に書き起こしてみると、やっぱりちょっと恥ずかしい。けれど、子どもって真面目にそんなあほみたいな発想ができる生き物なんだと思う。そんなあほみたいなことを本気で信じていた。親に怒られた時は、決まって夜空を見上げ、「私はこんなひどい目に会っています。早く、私を迎えに来てください」なんて涙を流したものだ。あ、このあたりは、「かぐや姫」と「一休さん」の影響もありそうだけど。

七夕の前日ですら眠れないくらい興奮した。当日のハイテンションぶりはそれはひどかった。寝不足なのに眠気はなく、朝からそわそわし、長い昼を過ごす。早めの夕食を済ませ、日が暮れるとずっと外に出て空を見上げていた。裏山に面したテラス(と言ってもそんなおしゃれなものではないが)に、昔はどこの家にもあった折り畳み式のサマーベッドを広げ、山肌に響く虫の声を聞きながら寝転がって天の川をずっと待っていた。

私の故郷は、天気さえよければ夜空にはいつでも満天の星があった。でも、七夕の日にそれを見たことはない。梅雨の最中なのだから仕方ないのだけど、子どもだった私は、七夕の日は晴れるように設定されているものだと信じて疑わなかったのだ。

星の見えない空に向かって、両手を組み合わせ、ギュッと目を閉じて、強くつよく念じていた。こうすることで、きっと私の思いは神様に届き、願いは叶えられるものだと、これまたわりと本気で思っていた。

あの頃の私は、小さな星に住む住人のようだった。そこには私の家族と学校の先生、友達、そして神様だけが住んでいた。だから、その星の主である私の声が神様に届かないわけがないのだ。

いつしか私は、赤ちゃんは1日では授からないし、365日間、お腹の中にはいられないことを知り、天の川は7月7日に突然現れるのではなく、ずっと存在している星の集団であることを知った。そして、ふと周りを見渡すと、小さいと思っていた星はずいぶんと大きくて、私がアリンコみたいに小さいことに気づくのだった。


私は大人になった。
大人どころか、親にもなり、また子どもたちが巣立つ準備を始める年頃にもなった。織姫と彦星の産み落とした子ではないし、七夕の日に天の川を見たことも一度もない。それでもやっぱり、七夕はいいな、と思う。

大人になることと引き換えに失ったものは確かにある。だけどそれらは、手放すべくして手放してきたものたちで、それによって得た多くの知識が真実を語り、それらの知識を繋ぎ合わせることで実際に見えていないものを詳細に描ける想像力も得た。大きな星にあるたくさんの思いー喜び、悲しみ、嘆きも想像できる。


七夕の夜に、まだ夜が終わらないうちに、思ったことを書きなぐってみた。書きながら、改めて今日が七夕だったんだとなと思うと、子どもの頃に過ごした故郷の七夕、いろんな国で子どもたちと過ごした即席七夕が懐かしく思い出された。今日の七夕という日も、あと数分で終わる。


ベランダに出て空を見上げてみた。故郷の空とは違う色。ぼんやり灰色がかった藍色で、趣はない。星もない。というか、東京に来てまだ一度も星を見たことがない気がする。

それでも、この空のどこかに天の川があって、織姫さまと彦星さまが今、まさに再会しているところだろう。そして、みんなの七夕の願いを叶えようと色とりどりの短冊をたくさん手にしていることだろう。

この星ではアリンコみたいに小さく無力な私だけれど、せめて七夕の夜には空を見上げ、どこかの誰かの切実な願いが織姫さまと彦星さまに届くように一緒に祈りたい。

それから、この星に住む全ての“明日が誕生日の人”に言いたい。
おめでとう!と。



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