恥ずかしさの正体 【この靄を抜けて】小説
集団にいるとき、居心地が悪く、なぜかわからないが恥ずかしくてもじもじしていた。
なぜ私は恥ずかしかったのかが、発覚した。
比較的幼い頃の記憶はしっかり残っている。
まだ乳母車に乗っていた頃の思い出。
チャイルドシートのような脚と脚の間に柵がある椅子に座らせられるのが気持ち悪かったこと。
幼稚園の入園の際に面接を受けた後、いちごのアイスシャーベットを園長先生に貰ったこと。
園の客室間に水槽に金魚がいたこと。
思えばいつだって集団でわさわさといるのが苦手だった。
みんなが教室をぐるぐる走り回りだした時、一人体育座りをしきりにしていたのも記憶にある。
表現できなかったが、なんだか気持ち悪く違和感を感じた。
この不安は何なのだろう?周りの子たちはどうやら感じていないようだ。
恥ずかしいような気持ち。
恥ずかしいってどんな気持ちなのかというと帰属社会で迫害される事に危機感を感じる人間特有の感情らしい。
周りと違う事で注目され、その集団から浮くことへの危険信号のようなものらしい。
恥ずかしい。
自分がここにいる事がなんだか恥ずかしく、自分の存在が恥ずかしく思えていた。
それがなぜなのかを考え込んでしまっていた。
なんでここに生まれたんだろう。
この気持ちはどうして生まれるのだろうか。
その頃から哲学的で、深く考え込まずに動き回る周りの子たちと明らかに何かが違っているのを感じていた。
どうやら私は人と何か違うようだ。
なんで、そのまま行動できないのだろうか。
あの恥ずかしさの正体は、みんなと違う自分が類似性のある集団にポツンといる事への恐怖心だったんだと今ごろになって妙に納得がいった。
30年間私を覆っていた一つの靄が晴れた。
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