誤解はずっとある日

人生において誤解なき一日はあるだろうか。彼女は考えてみて、夕食でも、ベッドにいても、翌朝になっても考えた。

小学校に着けばまた例のあの子がいじめられている。イジメを傍観するしかできない。毎日だ。

なんせ怖いから。
まちがっているってわかる。

でも、怖いから……。

あの子を知っている。スマホのゲームがどう、レアがどう、最初のまだ起きていなかったころは笑顔で話していた。ふつうの子にしか見えなかった。

しかし。今や、卑屈で、うじうじして、変にニヤニヤして、なんだかムカりする瞬間があるようになった。虐められるのも仕方ないよね、だってあいつきもちわるいもん、そんな声に心のなかでは同意しそうになる。

でも知っている。最初はそうではなかった。彼女は知っている。あの子は誤解されているのだ。

みんなに。
誰かに。

外からの圧力が加わって。
輪になって囲んで、あの子を誤解どおりの人物に変えてしまった。変わってないかもしれない。でも学校のあの子は変わった。最初の面影が、無い。

誤解は怖い。
いじめを無視するのは怖い。

わたしも、怖い。
『彼女』である私も怖い。

私は小学生だろうか? 否、この道を歩んでもう6年になる、2年1組の担任。教師だ。

やっぱり、誤解は生まれるもの。

……あの子の親にそろそろバレて、上司経由でイジメ報告になるかな。助かる、正直。こうしたほうが私にヘイトが向かない、生徒からの、ヘイトが。

誤解って必ず生じるものだから。対策をしないと教師だって虐められてしまう、の、そんなのイヤ、彼女が。


END.

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