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『あ、まさか白馬の王子様は漏れなくイケメンとか思ってない? まあ、白馬の王子様がブ男程度なら高須クリニックに行けば一皮ムケるからYES! でも、ようやく出会えた白馬の王子様がもう死んでたらどうすんNO~? コレも運命と受け入れて、死人に一生操を立てて生きてくの? それともワリキリで適当な新しい白馬の王子様を見繕ってはズッコンバッコン? 俺なら白馬の王子様なんかより、白馬の馬並み~がいいね! 第1回(第19稿)』

 3食昼寝付き稼業も楽じゃないぜ。夏バテでどんなけ食欲がなくても、1日3食のノルマは変わらない。超キビシ~おそろしい世界だろ。それでも何とか1日3食を細々とクリアし、ついでに10時と3時のオヤツも欠かさない。

 サマーは三大欲求の食欲ですらこんな始末ゆえ、筆欲と来た日にはフニャマラもいいとこですが、毎日のノルマをフニャフニャこなし、毎週水曜は3時のオヤツ的コレまでシコシコ。

 さて、3時のオヤツも食べたことだし、そろそろ子供のスイミングに行くとするか(2014年8月20日(水)15時22分)。


 ハイ、じゃあ、お時間ですから、普通のおじさんから、戦場童貞のおじさんに変身しますよ~、1・2・3・4・5・6・7!(2014年8月20日(水)23時59分)

 ああ、もうこんなになっちゃったよ~。

 まあ、まだ7分咲きでビンビンじゃないんですけど、この程度あれば何とかブチ込めるでしょ、戦場童貞業界の未来とかいろいろ。さ、中折れしないうちに、さっさとイクよ!

 3時のオヤツのメインこと、漫画化ノンフィクションから!

(*漫画化ノンフィクションとは、うちの戦場童貞ノンフィクション(全53回予定)を、「1回につき1人の漫画家さん」形式で、合計53人の漫画家さんに漫画化をお願いし、その一部始終をリアルタイムドキュメンタリーしちゃう感じのHなヤツです)

 うちの戦場童貞ノンフィクションは今回を含めて残り35回で、まだ47人もの漫画家さんに漫画化依頼をしなきゃいけません。

 現在、6人の漫画家さんに漫画化ノンフィクションを仕掛けさせて頂きました。

前回は山本さほ先生。

前々回は中川いさみ先生、相原コージ先生、ほりのぶゆき先生。

前々々回は大谷秋人先生。

前々々々回は若狭たけし先生。

 現在の戦績は6戦0勝2敗で、4試合はまだ勝負中です。詳細は随時更新中の各回をご参照ください。

 今回、漫画化ノンフィクションを仕掛けさせて頂く7人目の漫画家さんは、「古泉智浩先生」(https://note.mu/koizumi69 )です!

 まずは恒例の「大人の金コミュニケーション」でお近づきのご挨拶!

(注:「大人の金ニケーション」とは、「まず『note』にいる漫画家さんの有料マガジンや有料ノートをショッピングし、ついでにフォローをします。続いて、仕返しの大人の金コミュニケーションでショッピング返しはなくても、フォロー返しくらいならちょっと増えるんじゃね、金の力で」のことである)

 いきなり挨拶運動失敗! 古泉智浩先生は現状、有料マガジンも有料ノートを販売されていませんでした。とりあえずフォローだけさせて頂き、挨拶運動第二弾の「スッキ二ケーション」を『STAP細胞は……あります!』と『RYUTistTシャツイラスト』にスッキスッキ攻撃!

(注:「スッキニケーション」とは、「おはようのスッキから、おやすみのスッキまで、今日もスッキスッキ大作戦!」と題して、とりあえず「好きって言っとけば問題ないっしょ」とばかりにお目当ての漫画家さんが新規ノートをアップした際などにスキボタンを押して、下心丸出しコミュニケーションを図ろうとする大人の恋愛行為のことである)

 もうヤレることはすべてヤッた。コピペ説明もしたった。後はおとなしく様子見するのみ。

 尚、今後の予定としましては、「大人の金ニケーション」や「スッキニケーション」のおかげで、フォロー返しやスッキ返しなどの反応があるやいなや(いや、別に「ないやいなや」でも可ですが)、「お前はもう俺のフォロワーだ!」面丸出しや「俺のこと、スッキなんだろ、お前は!」面モロ出しで、「あの~、うちの戦場童貞ノンフィクション原稿の1回分を漫画化して欲しいなあ」とお願いしちゃいます、具体的にはこんな感じで!


【漫画化詳細】

 まず漫画化をお願いする原作回をコチラで指定させて頂きます(変更も逆指名も何でも可です)。後はもうすべてお任せします。1コマ漫画でも4コマ漫画でもストーリー漫画でも(1ページでも100ページでも)、ネーム段階のままでも下書き段階のままでもペン入れ段階でも何だって構いません。どこかに「原作回のタイトル」さえ明記して頂ければ、全然関係ない漫画でも白紙のままでももう何でもいいっす。こんな原作なんて気にせず、好き勝手やっちゃってください!

【原稿料】

 些少で大変恐縮ですが、「原稿料2万円」プラス「漫画化が完成しましたら、ご自身のノートにて、最高値付けの1万円で売ってください。私が即買います!(私の購入確認後、お好きな値付けでそのまま1万円なり1000円なり100円なり無料なりと値段変更して頂いて構いません)」という条件でお願いさせて頂けないでしょうか。尚、原稿料2万円は漫画化承諾を頂いた直後、ご指定口座に振込みます。振込をご確認後、漫画化に着手して頂ければ幸いです。

【締切】

漫画化ご承諾後の振込確認から2~3か月後くらいを目途に、そこを何とかどうか宜しくお願い致します。


 以上、簡単にまとめてみました。

 今のところ、古泉智浩先生には『水曜スペシャルノンフィクションどうでしょう 第1回(第5稿)』の漫画化をお願いするつもりです。

 古泉智浩先生の漫画化ノンフィクションの続きはココこと、今回にドンドン更新していきます。


【古泉智浩先生の漫画化ノンフィクション】

●2014年9月27日(土)21時14分、古泉先生に以下の漫画化依頼ラブレターをメールにてお送りする。

「古泉智浩様

冠省
 突然、かようなご連絡を差し上げる無礼をまずはお許しください。
 私、『note』ネーム、「カリスマ戦場童貞」(https://note.mu/ganbarewebmesi )こと、●●●●と申します。

 こたび、古泉先生に是非とも私の戦場童貞ノンフィクション原稿の漫画化をお願いさせて頂きたく、不躾ながらもご連絡させて頂いた次第でございます。

 現在、私は『note』にて、『ベトナム戦争従軍希望記 「カレン民族解放軍従軍希望記」編』(https://note.mu/ganbarewebmesi/n/nfc0900ba933a )と題した戦場童貞ノンフィクション全53回(現在、まだ24回目です)を、毎週水曜に発表しております。

 つきましては、是非とも古泉先生に、私の戦場童貞ノンフィクション原稿『水曜スペシャルノンフィクションどうでしょう 第1回(第5稿)』(https://note.mu/ganbarewebmesi/n/n5c2891d98c8d )の漫画化をお願いさせて頂きたく、単なる一ファンが僭越ながらご連絡差し上げた次第です。

 以下に記載する原稿料と締切の条件に見合った範囲内(1ページ漫画でも4コマ漫画でも1コマ漫画でもイラストでも何でも構いません)で、漫画化して頂けないでしょうか?


【原稿料】

 些少で大変恐縮ですが、「原稿料2万円」プラス「漫画化が完成した原稿を、ご自身のノートにて、最高値付けの1万円で売ってください。私が即買います! 私の購入確認後、お好きな値付けでそのまま1万円なり1000円なり100円なり無料なりとお好きな値付けに変更して頂いて構いません」という条件でお願いさせて頂けないでしょうか。

 尚、原稿料は漫画化承諾を頂いた直後、ご指定口座に振込みます。振込をご確認後、漫画化に着手して頂ければ幸いです。

【締切】

 漫画化承諾直後の振込確認から2~3か月後くらいを目途に、ご多忙の折に大変恐縮ですが、そこを何とかお願い致します。



 以上です。

 もし少しでもご興味を持って頂けましたら、ご多忙中にお手数をお掛け致しますが、お時間ある際に一度ご連絡なり頂ければ幸いです。

 もちろん「このような話はちょっと…」ということでございましたら、私がご迷惑も顧みずに一方的にお願いしたことでございますので、このまま捨て置いて頂いて構いません。

 もし後者のようでしたら、貴重なお時間をお取りさせてしまい、また非礼なお願いを申し上げたこと、改めて重ね重ね誠に申し訳ございませんでした。また機会がございましたら、是非よろしくお願い致します。陰ながら益々のご活躍をお祈り申し上げます。

 それではもしご縁がございましたら、お時間がある際にご連絡頂ければ幸いです。

●最後になりますが(長くて申し訳ございません)、『ベトナム戦争従軍希望記 「カレン民族解放軍従軍希望記」編』などと名乗っておりますが、私はバリバリの「戦場特派員歴=戦場童貞歴=四半世紀」ゆえ、戦場とか鉄砲とか難しい専門的な話とかは一切出て来ません。こんな戦場童貞にできることは当然のことながら、すべて精一杯ご協力させて頂きます。

●ご質問やご不明点や資料等が必要でしたら、何なりとお申しつけください。


□メルアド:「●●●@●●●.●●●」

□ケータイ:「●●●-●●●●-●●●●」

 以上でございます。文中での数々のご無礼、何卒寛大なお心で平にお許しください。
 それではご検討の程、何卒よろしくお願い致します。 不一」


●2014年10月1日(水)6時2分、古泉先生から以下の返信メールを頂く。

「初めまして漫画家の古泉智浩です。

 noteの文章を漫画にして欲しいとのことですが、ざっと見てみたところ、前置きみたいな文章ばかりで、どこがベトナム従軍なのか、さっぱりわかりませんでした。戦場童貞というのは、戦場にあこがれているけど、それが果たせないという意味の童貞なのですか?

 四コマ漫画くらいならすぐ描けるので、描きます。お金はいりません。大丈夫です。

 中学生が戦場ルポの本を読んで、戦場特派員に憧れたというような内容でいいんですよね。そのまま描いていいですが、僕の解釈で4コマ漫画に してもいいですか? もうちょっと具体的に、人に話したとか、実際に憧れてその準備をしてみたとか、そういったエピソードがあるといいかなと 思いました。ただ、強い思いはつづられていると思うのですが、映像が見えるといいと思います。戦場特派員のどこがそれほどかっこいいのですか? かっこいいだけでそれほど強く引き付けられるものなのでしょうか? 目標とする戦場特派員は岡村昭彦さんなのですか? 気になりまし た。

 それではどうぞよろしくお願いします。」


●2014年10月1日(水)16時頃、古泉先生に以下の回答メールをお送りする。

「古泉智浩様

前略

 ご多忙の折、ご丁寧なご返信、そして漫画化依頼のご快諾、誠にありがとうございます。カリスマ戦場童貞こと、●●です。

 このたびは、私の文章の不手際で余計なお手間をお掛けして誠に申し訳ございません。

 取り急ぎ以下に、古泉先生に頂いたご質問の回答をさせて頂きます。お時間ある際にお目を通して頂ければ幸いです。

 ご多忙中何度もお手数をお掛けして大変恐縮ですが、何卒宜しくよろしくお願い致します。

●「noteの文章を漫画にして欲しいとのことですが、ざっと見てみたところ、前置きみたいな文章ばかりで、どこがベトナム従軍なのか、さっぱりわかりませんでした。戦場童貞というのは、戦場にあこがれているけど、それが果たせないという意味の童貞なのですか?(略。略した部分は別途下記に記載)中学生が戦場ルポの本を読んで、戦場特派員に憧れたというような内容でいいんですよね。そのまま描いていいですが、僕の解釈で4コマ漫画にしてもいいですか?」

 ハイ、古泉先生のお好きなように描いて頂いて構いません。

 私は中2の頃から39歳の今まで、25年間戦場特派員に憧れ続けていますが、いまだにその思いを果たしておりません。最初の10年間は「戦場特派員になりたい」と憧れ、残りの15年間は「戦場特派員じゃなくて、ベトナム戦争の戦場特派員になりたい」と憧れている感じです。

 古泉先生が著作でよく描かれる竹夫がキャラ的に大好きで、確実に私の戦場童貞ノンフィクションも影響を受けていて、「もしも竹夫が戦場特派員に憧れたら」ってイメージしたりしております。

 そんな古泉先生のイチファンとして、「ああだ、こうだとどうでもいい屁理屈だけ並べて、結局25年もの間、特にナニもせず、四半世紀戦場童貞のまま」って痛い童貞感を強めに入れて頂いたら、もう望外の幸せです。

 あ、申し訳ございません、生意気にもつい余計なことを書いてしまいました。もちろん古泉先生に描いて頂けれるなら、なんだってうれしい限りですので、お好きに解釈し、好き放題描いて頂いて全然構いません。

 以下は、簡単にまとめた私のプロフィールです。

【私のプロフィール】

 ベトナム戦争が終結した1975年●●生まれ。

「俺は生まれつき戦場特派員で、しかもベトナム戦争で殉死した戦場特派員の生まれ変わりだった」ことに1989年、14歳の時に初めて気付く。

「うわ、コイツ、危ない奴だ」と今、ユーが思ったのにも気付く。

 1999年、24歳の時に戦場特派員を創業し、ビルマのカレン民族解放軍の従軍取材に挑む。

 主にインドシナ半島のメコン川流域の国々の戦場、紛争地を中心に活動予定も、初従軍取材中に「運命の戦場はベトナム戦争の戦場だった」ことを悟る。

 戦場童貞を好きでもない戦場で捨てることを潔しとせず、己の生誕2ヶ月前に終了済みの白馬のベトナム戦争王子様に純潔を捧ぐ覚悟を決める。

 戦場特派員業から、カリスマ戦場童貞業にトラバーユし、タイムマシーンの完成を待ちつつ、「文章の力で、ベトナム戦争の最後の戦場特派員になるったら、なるの!」とシコシコ書き続けて、もう早15年。

 でも万が一、ピチピチの新しい運命の戦場が現れるとアレなので、古い運命のベトナム戦争なんかポイ捨てし、すぐ乗り換える心の準備と新しい運命の戦場探しだけは日々欠かさぬ正直者です(今のところ、浮気0)。

 尚、戦場特派員業もカリスマ戦場童貞業も創業以来15年間、主に絶賛開店休業中ゆえ、様々な副業をしながら本業の放漫経営を支え続けています。

 来年2015年、40歳の時に戦場特派員業&カリスマ戦場童貞業の15周年、ついでにベトナム戦争終結40周年(ちなみに、ベトナム戦争は1960年~1975年までの15年間)も迎える。

 それを一区切りとして現時点、15年分の「文章の力で、ベトナム戦争の最後の戦場特派員になるったら、なるの!」の集大成を発表すべく、今年2014年、39歳の時に『note』にて『ベトナム戦争従軍希望記 「カレン民族解放軍従軍希望記」編』(https://note.mu/ganbarewebmesi/n/nfc0900ba933a )の週刊連載(全53回、2015年4月に完成予定)を始める。

 その一環として、ひとりメディアミックス作戦と題し、漫画化プロジェクトも始動し、現在に至る。

●「戦場特派員のどこがそれほどかっこいいのですか? かっこいいだけでそれほど強く引き付けられるものなのでしょうか? 目標とする戦場特派員は岡村昭彦さんなのですか? 気になりました。」

 私は、『あしたのジョー』など梶原一騎的なモノに、よく言えば素直に感応する、悪く言えばまんまと踊らされる中学生だったので、「男一匹、人生と命をかけて(戦場特派員は実際に命をかけるので分かりやすかった)、金も地位も名誉も関係ねえと一生バカをやっていけるのが、カッコよくてイカした漢の中の漢の仕事だ」と、田舎の中坊らしく思い込んだだけだと思います。昔の言葉で言えば、ビビビ婚的勘違いと申しますか。

 ただその後も、「戦場特派員ってカッコよくてイカしてるぜ」と憧れ続けた理由ですが、長年検討してきた結論として、冷静に客観的に戦場特派員を全方位から思いっきり贔屓目で見ても、世間的にいいところなんて1コもないんです。 

 仮に、戦場特派員が戦場で大スクープを一発当てたところで金銭的にはたかがしれた金額ですし、戦場特派員界のテッペンになれたところで、毎晩うまい酒飲んでいい女抱いて、高級外車乗り回して田園調布に家が建つわけではないのはもちろんのこと、いくら戦場特派員を続けたところで何の安定も保証もなく、戦争なんて他人の不幸をガツガツ漁るハイエナみたいな薄汚いヨゴレ仕事に地位や名誉なんてあるわけもなく、男が人生と命を張っても、何にもいいことがないどころか、ろくでもないことばかり!

 でも、そこがまたたまらなくいい! ってあばたもえくぼに思える単なるバカなんだと思います、自分は。

 ただ戦場特派員は、バカ男子にとっては、男子一生の仕事です、いわんやカリスマ戦場童貞をや。

 正直、目標とする戦場特派員はいません。ただヤクザ映画をたくさん見て、いろんなヤクザのいいとこどりで、自分だけの理想のヤクザ像を寄せ集めで作り上げるみたいにしてでっち上げた、理想の戦場特派員像はあります。

 もちろん岡村昭彦氏、俺は勝手に岡村昭彦氏のことをアニキと呼ばせて貰ってますが、アニキは私の理想の戦場特派員像の結構な血肉や骨子にはなっています。

 理想の戦場特派員像を語り出すと、前置き以上に長くなりそうなので(既に長くて申し訳ございません)、アニキの著書『兄貴として伝えたいこと』から2、3の血肉や骨子のみ引用します。

「フリーランスとスタッフとは、生きる目的が違う以上、手段も違うべきだというのが私の考えである。生命の危険をともなう戦場の中で、フリーランスはフリーとは何かということを、いつもかみしめていなければならぬ」(同書9ページ)

「フリーランスは、自分の意図で戦場に行くのだ。出張命令で行くのではない」(同書32ページ)

「だが、いま嶋元がお金をためている方法では、永久にグレート・ニュース・フォトグラファーにはなれない。面子などにこだわらず、小さなレストランを開き、五百万円の金をフリーランスの勉強のために投資できるように、まず金をつくることだ、そうでないかぎり、大新聞社や雑誌社の下請けか、第二組合員として使われ、最後にはボイと捨てられてしまう。これからのフリーランス・ウォー・フォトグラファーは、独自な歴史観をもった個性の強い人間でないかぎり、どの国際雑誌も、その記録を使わない時代がすでにやってきているのだ、サイゴンにいるカメラマンたちは、まだそういう新しい時代がはじまったことに気づいていないのだ、と私は言った」(同書25ページ)

「しかし、自分の失敗の体験を振り返ってみても、フリーランスをめざす若い人々のほとんどが、この興奮状態に酔い、スタッフと一緒に駈け出してしまうものだ。だが、早く酔いからさめなくてはいけない。私は、この興奮に酔い、一秒を争う報道に血をわかす以外に、フリーランスの生きる道があることを、実際に今回の作戦で嶋元に示す責任がある」(同書37ページ *この引用は後から追記しました)

「私は「僕たちフリーランスは、スタッフのまねできない強い個性をもったスペシャリストだ。嶋元はスタッフの代行をするため、一日一五〇ドルで命を賭ける必要はなかった。僕はフリーランスだから『ライフ』のためには死なない。僕が戦場に行くのは、僕自身が、ラオスで何が行われようとしているか、知りたかったからだ」と主張した」(同書55ページ *この引用は後から追記しました。尚、嶋元とは、1971年2月10日、南ベトナム政府軍のラオス侵攻作戦を取材すべく乗り込んだヘリコプターが、ラオス上空にて、北ベトナム軍によって撃墜され、命を落とした嶋元啓三郎氏のこと。『彼はベトナムで死んだ―嶋元啓三郎遺作集』)

 ぶっちゃけ、アニキは写真も文章も別に上手じゃないし、小さいことは気にしない大言壮語タイプで、毀誉褒貶の激しさも戦場特派員らしいまさに戦場特派員で、1965年にベトナム戦争真っ盛りの南ベトナム解放民族戦線(俗に言う、ベトコン)の解放区に潜入取材しスクープをかっさらい、アメリカの傀儡政権南ベトナム政府から5年間の入国禁止処分を受けたり、その処分が明けたばかりの1971年には南ベトナム政府軍のラオス侵攻作戦に極秘従軍したスクープで、南ベトナム政府から2度目の入国禁止処分(7年間)を受けた、ヤルときにしかヤラない、グレートなアニキって感じな人です。

●「もうちょっと具体的に、人に話したとか、実際に憧れてその準備をしてみたとか、そういったエピソードがあるといいかなと思いました。ただ、強い思いはつづられていると思うのですが、映像が見えるといいと思います」。

 中2のベトナム戦争を覚えたての頃は、もうガンガンと友達に「ベトナム戦争の本はすごいぞ、読んでみろ」とススメたりした記憶があります。でも私以外の田舎の中坊は誰もベトナム戦争なんかに興味を持たないどころか、本はエロ本しか読まない感じでした。

 高校や大学の頃は、彼女ができるたびに「俺は戦場特派員になる!」って寝物語で熱く語って、「ハイハイ、またその話ね。話は長いよね」ってうざがられる早漏な感じで、もう回数で誤魔化してやりましたよ!

 その間も、なぜか一貫してカメラにはどうしても興味を持てず、「アニキ、すんません。俺は文章一本槍でやっていきます」と決めた程度で、ベトナム戦争関係の本を中心に繰り返し読んでいたくらいです。

 ただ大学時代は運試しのために体育会系の山岳部に入部し(入部する2ヶ月前に、3人遭難死していたので不謹慎ながらココで運試しをしようと思った登山童貞でした。ちなみに、小1~高3までは登山とは一切無縁の剣道をやってました)、年がら年中、山々を縦走したり、岩登りや沢登りなんかもしていました。

 大学時代は他に、ベトナムやタイなどを中心に海外旅行したくらいです。「どうせどっかの戦場で死ぬまで戦場特派員を続けるんだから、学生時代は遊んでよ」という大前提で基本、学生時代は具体的に戦場特派員の準備とかはしていませんでした。

 1999年4月、大学卒業と同時にエスカレーター式に、晴れてフリーランスの戦場特派員になれました。

 同年1月から、フリージャーナリスト集団に出入りしていた関係で、戦場特派員の先輩たちに「ずっと戦場特派員に憧れてきて、ようやく戦場特派員になったんですが、こうグッと来る、ココなら今すぐ死んでもいいって戦場がないんです」って青臭いことを言ってたら、「ああ、分かった分かった、もう能書きはいいから、とりあえず黙ってそこらへんの戦場で戦場童貞をとっとと捨ててこいや。まあ、でも、最初は経験豊富な戦場がいいだろうな」と言うことで、「1999年当時で半世紀以上、ビルマの軍事政権に対し、反政府ゲリラ闘争を続けている、ビルマの少数民族カレン族の軍事組織、カレン民族解放軍の従軍取材」と「ビルマの軍事政権に迫害されたカレン族が逃げ込んだ、隣国タイにある国境の町メソト周辺に点在するカレン族の難民キャンプ取材」の2本立てを、「筆おろしのうまいベテランソープ嬢がいるんだよ。一応、抑えのソープ嬢も用意しといたから」との無料風俗紹介所の斡旋感覚で、紹介されました。

 当時はまだ駆け出しの戦場童貞だったので、「そんな好きでもない戦場に行くなんて、ふしだらよ」とまったく納得のいかない思いがしたのですが、「でも、別に好きな戦場もいないし、ま、いっか」と無理矢理青臭い違和感を押さえつけて、1999年4月~12月までバイトして金を貯めて、これまたホントはヤリたくなかったカメラやビデオカメラなどの取材機材などを買い、本や新聞、雑誌でリサーチ調査をし、国連難民高等弁務官事務所や国境なき医師団の国内取材をしたりしました。また、カレン民族解放軍には、自衛隊上がりの日本人義勇兵がボランティアで戦闘に参加しており、フリージャーナリスト集団の先輩にたまたま帰国していた日本人義勇兵のひとりを紹介して貰い、従軍取材の口利きなどをお願いしたりもしてました。

 1999年12月15日~2000年2月5日までの約2ヶ月間、初海外取材で「カレン民族解放軍の従軍取材」と「カレン民族の難民キャンプ取材」をするべく、タイへ行きました(当時のビルマでは、外国人は自由にビルマ国内を移動できなかったので、タイ側からビルマに密入国し、カレン民族解放軍の従軍取材をするつもりでした)。

 しかし、カレン民族解放軍の従軍取材は唯一の伝手、日本人義勇兵とうまく連絡が取れず、新たな伝手を探す目的も増えたカレン民族の難民キャンプ取材も思うようにことが運ばず、ただただ無為な時間を過ごし、「ああ、どうして、せっかく念願の戦場特派員の第一歩を踏み出したのに全然うれしくないんだろう。こう熱く燃えるものがまったく来ないのはなんでだ」などと考えるくらいしかヤルことはなく、初海外取材の終わり頃になってようやく、「あ、ちょっと間違ってたんだ! 俺は戦場特派員じゃなくて、ホントはベトナム戦争の戦場特派員になりたかったんだ!」って気づいたのです。

 一般的な話で例えるならば、「中2の頃、大好きだった隣の家のお姉ちゃんがセックスしているのを偶然覗き見て、「ふぅ~。よし、俺も大きくなったら、好きな女とセックスするぞ」と思うも、実際大人になったが好きな女すらできず、仕方なくヤリチンに相談した結果、「とりあえず相手は誰でもいいからセックスして、とっとと童貞を捨てろ」と言われて渋々納得し、ヤリチンおすすめのソープ嬢とヤリに行くも、誰にでも簡単にヤラせるはずの筆おろしが得意なソープ嬢となかなかデキず、「ああ、もうどうすりゃいいんだよ!」とソープの店の前をウロチョロしてるとき、「あ、そうだ、俺は単にセックスがしたかったんじゃない! 大好きだった隣の家のお姉ちゃんとセックスがしたかったんだ! …でも、どうしよう? 隣の家のお姉ちゃんはとっくの昔にセックスのヤリ過ぎで死んじゃったし。もし生きてても、もう隣の家のおばちゃんの姿に変わり果ててるだろうし…。いちいちうるせえ、男がヤル前から簡単にあきらめるな! まあ、なんだ、アレコレがんばってれば、そのうち、ヒョンなきっかけで、あの当時の隣の家のお姉ちゃんとセックスできるかもしれんだろ。…嘘つき! 嗚呼、早くタイムマシーンできないかなあ、オナニーであの当時のお姉さんとセックスできないかなあ。もしくは新しい運命の隣の家のお姉さんでも可!」って感じでしょうか、なんか違う気もしますが。

 話が思いっきり脱線しましたが、「あ、ちょっと間違ってたんだ! 俺は戦場特派員じゃなくて、ホントはベトナム戦争の戦場特派員になりたかったんだ!」って気づいた俺は、「どうせ戦場特派員になれてもロクに食えないんだから、せっかく出会えた白馬の戦場様、ベトナム戦争の戦場特派員を目指し続けてみよう」と思い立ち、結論として、ベトナム戦争の戦場特派員になれる方法を2つ叩き出しました。

 ひとつは、「どっかの理系がタイムマシーンを完成する」、もうひとつは、「自分の文章の力で、ベトナム戦争の戦場特派員になる」。一応、抑えで「新しい運命の戦場が現れたら、その限りではない」という盤石の体制を整えました。

 あっという間に時は流れるも、この15年間変わらず、本業のカリスマ戦場童貞業は「文章の力で、ベトナム戦争の戦場特派員になるべく、金にならない文章を書き綴る」だけなので、いろいろと副業をやって甲斐性なしの本業を支えてきた感じです(追記:この15年間、ガツンとくるような新しい運命の戦場はまだ1コも現れてません)。

 来年2015年の6月に、私が40歳になることもあり(後、ベトナム戦争終結からもちょうど40年なので)、一つの区切りとして現時点での、「文章の力で、ベトナム戦争の特派員になる」という試みの15年分(ちなみに、ベトナム戦争は1960年~1975年までの15年間)の成果を発表しようと思い、ゆえあって『note』にて、今年2014年4月から週刊連載形式で『ベトナム戦争従軍希望記 「カレン民族解放軍従軍希望記」編』(https://note.mu/ganbarewebmesi/n/nfc0900ba933a )をはじめました(来年2015年4月に完成予定)。

 この週刊連載の流れで、ひとりメディアミックス作戦ということで、『note』をやられている漫画家さんに、私の原稿の漫画化をお願いする漫画化ノンフィクション(全53回を、1回につき1人の漫画家さん形式で、漫画化をお願いする)もスタートし、古泉先生にも漫画化依頼をさせて頂いた現在に至る。

●「四コマ漫画くらいならすぐ描けるので、描きます。お金はいりません。大丈夫です」。

 縁もゆかりもない、カリスマ戦場童貞を名乗る私のようなものに、そのような寛大なるお言葉を掛けて頂き、本当にありがたい限りで感無量でございます。しかし、プロの古泉先生に無料で描いて頂くことを心苦しく感じるのも事実です。

 実は、漫画化依頼をした漫画家さんは、まだ古泉先生を含めて3名の方々です。その内2名の漫画家さんには丁重にお断りされたので、漫画化を承諾して頂いたのは古泉先生が初めてで、この漫画化ノンフィクション自体がよく固まってなくて話が二転三転しますが、古泉先生のお言葉に甘えさせて頂き、

「締切はいつでも構いませんので、漫画化が完成した4コマ漫画を、古泉先生のnoteに1万円でアップして頂き、それを私が1万円で購入させて頂いた後、古泉先生のお好きな値段設定なり、投げ銭形式なりに変更して頂く」

 という形で改めてお願いさせて頂きたいと思っております。今一度ご検討頂ければ幸いです。

 以上です。

 結局、長々と書いてしまって、改めて申し訳ございません。

 それではご多忙の折、何度もお手数をお掛け致しますが、何卒宜しくお願い致します。 早々」


●2014年10月1日(水)23時59分、俺のnoteに、古泉先生の漫画化ノンフィクションの顛末(オマケで「戦場童貞ノンフィクションの四半世紀ダイジェスト」付き)を語った『今逮捕されると、「職業・自称プロ戦場特派員」ってニュースに流れそうなので、正しく「職業・自称カリスマ戦場童貞」呼ばわりされるよう、益々精進したい。ついでに、子どもが将来なりたい職業のナンバー1の座に、いつの日かカリスマ戦場童貞の名を刻みたい! 第1回(第25稿)』をアップする。


●2014年10月9日(木)9時18分、古泉先生から以下の返信メールを頂く。

「●●さまへ

 大変丁寧にご説明いただきどうもありがとうございます。

 実は僕もベトナム戦争には強い憧れがあります。高校生くらいの時に『プラトーン』『ランボー2』など面白い戦争映画がたくさんあって、その 影響です。ベトナム戦争独特の、当時の銃火器やヘリなどが、魅力的ですよね。2次大戦などよりずっと進歩していてハイテクな感じがしました。

 僕は他にも暴動やアフガンなどの近代の戦争にも同じように魅かれています。ガザ地区などの暴動に参加してイスラエル軍に投石したいなどと 常々考えております。

 戦場特派員には関心はないのですが、そういった物騒な現場を体感してみたいという好奇心は強くあります。震災1週間後に福島に一応ボラン ティア物資を運ぶ名目で津波の被災を見学に行ったりしました。津波の潮が引いた地点から100メートルも離れていないところでは、すでに自販 機が稼働していたのにはとても驚きました。

 ベトナム戦争は、ちょうど僕のお兄さん世代の70年代カルチャーなどとも結びついていて特に魅かれるものがあります。しかし、当時の戦場特 派員がそのような興味で戦場に足を運んでいたかというと違うのではないかと思うんですよね。まだ報道されていない場所で、何が起こっているの か右も左も分からない状態で戦場に足を踏み入れて、悲惨な状況に困惑したと思います。そして、そんな困惑も含めた報道に我々が後々魅せられて しまいます。

 ですので、もし自分が当時戦場特派員でベトナムに行ったとしても、今現在のような魅力を感じることができるのだろうかと疑問に思いました。 現場の現実はどんなことでも生々しく現実的に存在して、時代や空間的な距離を置いたものとは圧倒的に違います。

 カリスマ戦場童貞さんには、憧れや理想を追及するのも大切ですが、現在進行形の生々しい現実の戦場にもぜひ関心を抱いていただきたいと思い ました。

 料金なのですが、四コマ漫画はたいてい5千円くらいなので、5千円でお願いします。今月末くらいには描いてお送りしたいと思います。 noteはお金の設定をしていないので、銀行振り込みでお願いします。それではどうぞよろしくお願いします。

古泉智浩」


●2014年10月9日(木)12時30分、古泉先生に以下の回答メールをお送りする。

「古泉智治様(2014年11月6日(木)23時追記:大変申し訳ございません、このメールの古泉先生のお名前を一文字間違えてしまいました。正しくは、「治」→「浩」で、「古泉智浩」様でした。訂正し、お詫び申し上げます)

前略
 ご多忙の折、何度もご丁寧なご返信及び、四コマ漫画のお引き受け、誠にありがとうございます。
 カリスマ戦場童貞こと、●●です。

 何度もお手数をお掛けして大変恐縮ですが、お時間ある際に古泉先生の振込先の銀行口座をお教え頂ければ幸いです。

●銀行名:
●支店名:
●口座種類(普通口座、当座口座など):
●口座番号:
●口座名義人:

 振込先の銀行口座をお教え頂き次第、追って原稿料5000円の方を振込みさせて頂きます。

 また今回、古泉先生にして頂いたお話やご指摘などは、せっかくなのでちゃんと改めて私のnoteの新作に反映させて頂きたいと思います。

 取り急ぎ以上です。
 それでは宜しくお願い致します。 早々」


 現時点では以上です。また動きがありましたら、ココでご報告します!


 さ、続いてはヌカずの2回戦で、3時のオヤツの元メイン、現オマケの戦場童貞ノンフィクションのお時間にイキます!

 と、その前に、いつもの説明コピペからどうぞ!

 まずは簡単に今回の漫画化の原作につきましては、『ベトナム戦争従軍希望記 「カレン民族解放軍従軍希望記」編』の目次』からまずご覧ください。

●ご覧したくない方にも一応、簡単にどういう戦場童貞ノンフィクションなのか補足説明しておきます。

「中2のとき、『あ、俺ってば、ナチュラルボーン戦場特派員だった』と天啓を受けた俺がその10年後、戦場童貞を捨てるため、ビルマの軍事政権相手に半世紀以上、民族闘争を続けているカレン民族解放軍の従軍取材と、ビルマの軍事政権に迫害を受けて、隣国タイに国外避難しているカレン族の難民キャンプ取材をしに行くも、初海外取材の約2ヶ月間ことごとく失敗に失敗を重ねるだけ…しかし最後の最後に『あ、ちょっと間違ってたや。正しくは、俺ってば、生まれつきベトナム戦争の戦場特派員だった』と再天啓を受けたよ」って感じの戦場童貞ノンフィクションです。

 いいんです、ノンフィクションの醍醐味は成功譚ではなく、大失敗譚にあり!

 というわけで、基本的に初海外取材の2ヶ月間、何も起こりません。もうね、そんな危ない戦場とか特に危なくない難民キャンプとかもうどこにも、全然余裕で超たどり着きませんからご安心ください。

 そんな失敗の連続以外は何も起こらなかった戦場童貞な青春の日々を、いかに素敵なノンフィクションに書き上げるかが俺のヤルことで、漫画家さんには是非、その自称素敵なノンフィクションを叩き台の原作にし、見違えるように素晴らしい漫画にして欲しくて欲しくて、もうたまらないんだ、な、だから、いいだろ?

 と、いきなり迫られてもアレでしょうから、じゃあ、ちょっとコレってどんな感じの戦場童貞ノンフィクションで、どう漫画化すればいいのかなあなんてイメトレ練習がてら、お試しというか社会見学してみませんか?

 えっ~とまず、漫画化の練習台になるような日を初海外取材の53日間からセレクトしてみました。

 適宜、文中の()内で、(こんな感じで、漫画化して欲しいなあ)とつぶやいたりダンマリ決め込んだりします。気にしたり、気にしなかったりで前向きに漫画化の方を善処して頂ければ幸いです。

 それではお時間ある際に、お気が向いたら、どうぞよろしくお願いします。

 今回は初海外取材の何でもない一日をセレクト!(基本、「1回1日」主義です。たまに「1回4日」主義や「1回3日」主義が紛れ込みます。なぜなら、この『ベトナム戦争従軍希望記 「カレン民族解放軍従軍希望記」編』は全53回に、初海外取材の53日間(1999年12月15日~2000年2月5日)と1989年~2000年2月末までの戦場特派員エピソード(中・高・大・社会人・初海外取材の準備期間・初海外取材の事後処理期間)をギュウギュウに詰め込むので、こういう「1回4日」だ、「1回3日」だのまとめ回が必要になります、中学時代で3回分(『第1回(第5稿)』、『第1回(第6稿)』、『第1回(第7稿)』)も使ったりするゆえ)


【2000年1月20日(木)】
 
 朝11時、起床。
 昨晩は早帰りだったので、今晩こそは朝帰りして、目にものを見せてやると鼻息荒く4泊目(450B)。
 
 早いもので、自称プロ戦場特派員業から不良稼業に転職してもう10日目だ。もちろん中高生みたいに何も考えず、ただ単にグレていたわけではない。いい社会人たる大の大人がそんな不良ゴッコみたいなみっともない真似をさらせるか!

 敵を騙すにはまず味方から。昼行灯でまず己から騙す作戦発動中だ! 偽装不良化作戦の完璧なる計画をコッソリ披露すると、10日間くらい不良を気取って時間をヤリ過ごしてたら、にっちもさっちも行かなくなった状況が勝手にどうにかなるかなと思っていたが、まだまだ早かったみたいだ。

 この調子じゃ、不良ゴッコから足を洗って、今度は更生ゴッコをおっ始めたところで、まだまだ状況は好転しないようだ。不良も更生も甘かねえな。
 
 12時、すっかり俺の第3の足と化した、「第3の足には先客がいま~す」とチンコからクレームが出たので、第4の足と化したスカイトレインで(15B)、紀伊国屋書店へ行き、『スピリッツ』(176B)を買って、そごうのマックで昼マック(90B)。
 
 別にまた「逆ナンオフィスラブが一転美人局へ!」を今一度と期待しているわけでは決してない。

 あくまでコレこそが俺の日常なのだ。本買って、昼マックという黄金の流れに乗り、読書をしてひたすら時間を潰す。

 単にアレが非日常だったのだ。毎日変わり映えしない同じことを地味にコツコツひたすら繰り返す。それがお仕事ってもんである。
 
 17時、雑貨屋らしきで日用品(140B)を買ったり、銀行で1万円を3444Bに両替したりしてから、第4の足で(15B)、ホテルに一旦戻るも、それはフェイントですぐさま夜のバンコックへ繰り出す。

 19時、夕飯は8番ラーメンへ(103B)。食後も涼しい店内で読書三昧。

 21時、もうホテルへ。今日こそ朝帰りコースのはずが、今宵も夜遊びせず。だって、昼マック、夜8番ラーメンだとなんか体調も快調快調、なんと言ってもウンコの出がいいので、すぐに便意を催して、オールで、オール? 朝まで夜遊びもままならない。

 そもそもお金がない。残金計算は面倒臭いので省くが、とにかくもっと節約しなくては。どう考えても、今日の昼間に買った『スピリッツ』なんていらねえじゃん、取材に一切関係ねえし。まあ、取材って言い出すと今までのほぼすべて取材に関係ないからね。

 そんなことより、久しぶりに聞いたわ、取材って単語。ああ、あったあった、そんな日本語。大昔にちょっとやったことあった気がするなあ、ホント取材って懐かしい響きだね。

 ま、取材に一切関係ない『スピリッツ』は親名義のクレジットカードで買ったからどうでもいいや(2014年の俺です。当時、フリーランスの戦場特派員なんて、正攻法では部屋もなかなか借りられず、クレジットカードも作れなかった。まあ、当時教えて貰った裏ワザを使えばできたが、自分名義のクレジットカードを持った日にはカード破産まっしぐらは目に見えていた。戦場特派員なんかに部屋は貸さない、クレジットカードは作らないというのはある意味正しい判断ではある)。

 とまあ、今日は何のイベントもなかったのにちゃんと書けましたね、花丸。
 と書いたところで、急に金銭トラブルに巻き込まれた!
 
 なんとなくジャラジャラと溜まりに溜まった小銭を数えていたら、全部床にぶちまけてしまったのだ!
 
 慌てて、金策に走り回る。
 
 ベットの下を探し、シーツの中をまさぐり、家具の隙間をどかしと、額に汗水たらして、資金繰りに駆けずり回り、虎の子の300バーツをなんとか全部自転車操業でかき集められた。
 
 どうだ、見たか、俺の経営手腕を!
 
 …もう寝なさい。は~い。2時、就寝。
 
○本日の出費、「計算するのが面倒臭いから、各々で適当にしといてよ」B。ついでに一日の流れも「いちいちうっとうしいから誰か簡単にまとめといて」ジャ~。


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