がん(放置)とナルコレプシー(お手上げ)。男。アラフィフ。

19年末膀胱がんと診断されました。ひとまず放っておこうと決めました。「放置」の行方を残…

がん(放置)とナルコレプシー(お手上げ)。男。アラフィフ。

19年末膀胱がんと診断されました。ひとまず放っておこうと決めました。「放置」の行方を残せれば良いと考えています。 「過眠症」を隠しながら航空会社の営業マンとしての毎日を何とか凌いでいます。 85歳になる父の天王寺高校時代の同級生にはエピソードが多く、聞いてきた話を残しておきます。

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東京はもう飽きたと感じている方ヘ。東京を歩き尽くす表参道住まいの夫婦が知った穴場⑥昭和が残る風景・河川敷の野球グラウンド

東京の人間にとって河川敷のイメージとは寅さんや金八先生が歩いているそれであり、整備されたスポーツグラウンドが敷設されている光景を当たり前のごとく感じてはいるが、意外と日本の特殊風景だったりする。 長方形で作っておけば、サッカーばかりでなく、ラグビー系、アメフト、ホッケーなど多種のスポーツの練習に対応が可能であるにも関わらず、世界的にはマイナーな野球専用の練習場が、同数、もしくはそれ以上存在していることもまた日本の特徴である。 小学三年生のとき、通っている小学校の校庭をホームに

    • 東京はもう飽きたと感じている方ヘ。東京を歩き尽くす表参道住まいの夫婦が知った穴場⑤捨てたもんじゃない・都内の湧水地

      8年ほど暮らしていた東南アジアの国の川は都市部は真っ黒、奥地に行っても流れる水はなぜか淀んでいた。 国が違えば社会も文化も政治も異なり、ストレスを溜める異国人居住者は多いが、その国での生活においてわたしの最大の苦痛は清らかな水が見えないことだった。 その反動から、東京都が選定した57の名湧水地にこだわらず、グーグルマップに登録されている都市部の湧水地を片っ端に巡っている。東京の都市部には水が湧くところは多いものの宅地化により現場は見つかりにくく、水量も決して豊富とはいえない。

      • 東京はもう飽きたと感じている方ヘ。東京を歩き尽くす表参道住まいの夫婦が知った穴場④定点観測・トー横キッズ/大久保公園/大久保コリアンタウン

        自宅から池袋方面に歩く場合、時間に縛られなければルートは無限だが、明治神宮、北参道、国立競技場などどこを経由しても、いったんトー横、大久保公園、新大久保コリアンタウンという歌舞伎町から靖国通りまでのおそらく500メートル平方内で隣接する三地点は定点の観察の場として通ることにしている。 トー横は訪ねるたびその姿を変えている。ブルーシートで覆われた資材が置かれたり、柵が設置されたりで、「キッズ」ばかりでなく、一般人も近づきづらい場所にしてしまった。 「トー横」の場所そのものに何か

        • 東京はもう飽きたと感じている方ヘ。東京を歩き尽くす表参道住まいの夫婦が知った穴場③人の営みが軽んじられた時代・都営三田線西台駅

          建築において日々の人々の営み以上に敬われるべきことはないはずなのに、時代を経てそれがとても軽く扱われていたのだと感じられる構造物がある。 高度経済成長期における都内への人口流入に対し、国や都は住宅不足の解消に急いだものの、東京都は用地取得に窮した。そして考え出したのが都バス車庫の高度空間利用だった。 理屈として分からなくはないが、知事のサインが入る過程で誰も止めなかったのか。今のような低公害型ではないバスが昼夜出入りする環境の上に住宅を作るという発想には、手段が目的化し、人間

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        • がん放置メモ
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        • 踊る阿呆論
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        • 父の同級生
          8本

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          東京はもう飽きたと感じている方ヘ。東京を歩き尽くす表参道住まいの夫婦が知った穴場②「ヒルズ族」から覗く素顔・いばらき市/六本木ヒルズ

          霊友会釈迦殿の裏は大きく窪んだ土地で、そこには時代から取り残された一戸建の民家やアパートが建ち並んでいた。散歩で通るたびに人の暮らしの匂いが薄くなっていったので、何かしらの再開発の対象区域になっていることは想像がついたものの、後年、麻布台ヒルズのプロジェクトを知り、その都心の住宅地を丸々と飲み込むというスケールの大きさに言葉を失った。 エリア内にあったすべての構造物の撤去工事が終わり、高台にある麻布通りから桜田通りまで見渡せた時期があったのだが、まるで巨大隕石の衝突跡だった。

          東京はもう飽きたと感じている方ヘ。東京を歩き尽くす表参道住まいの夫婦が知った穴場②「ヒルズ族」から覗く素顔・いばらき市/六本木ヒルズ

          東京はもう飽きたと感じている方ヘ。東京を歩き尽くす表参道住まいの夫婦が知った穴場①背伸びをした自分を写す足もと・有明ガーデン

          夫婦で暮らす狭いマンションの部屋から青山パークタワーがよく見える。錬金術を手にし、そしてマスコミを抑え込んだジャニー喜多川氏の、現代のハーレムを具現化した最上階の部屋は死後10億で売りに出されたというが、そんな事故的物件をも持て余した富の出口として簡単に買い手がつくのであろう。 パークタワーは渋谷だが、隣接する、不動産業界的に「3A」と呼ばれる「麻布・広尾」「青山・神宮前」「赤坂・六本木」エリアには、そんな金額の売買が日々淡々と行われている。そのこと以上に、昨年父が死に何も残

          東京はもう飽きたと感じている方ヘ。東京を歩き尽くす表参道住まいの夫婦が知った穴場①背伸びをした自分を写す足もと・有明ガーデン

          「杜」は美しいのか?

          坂本龍一や桑田佳祐、最近では村上春樹が再開発反対を表明した神宮外苑であるが、毎週のように散歩で立ち寄るわたしにとっては、再開発の中身はともあれ、いずれにせよ一度整理が必要と思っている。 本当にどうでも良い施設が面積を占有し、機能性に著しく欠けているのだ。 桑田佳祐は「美しい杜」なんて情緒を煽るものの、並木道がなくなるわけではなく、そこ以外のどこに「美し」さを感じられるのか訊いてみたいものだが、スポーツ施設利用者しか享受できない限定的な「杜」を、もう少し広く開放したほうが良い。

          「主治医」主犯説

          兄が入院したという義姉からの連絡を受け、その週末に見舞いに行った。 想像を遥かに超え衰弱をしており、兄はまだ還暦を迎えていないが、目の前で首元がズレたジャージを着て横たわるその姿は、完全に老人だった。 内臓系、ということらしい。 いつもあそこが悪い、ここが痛いと言っている人間で、メールや電話で知りたくもない情報を一方的に寄越してくるため、兄夫婦の生活については何も知り得ないが、病気の遍歴だけは常にアップデイトさせられていた。 「主治医」なるものがいて、身体の不調を感じるとすぐ

          虹色

          固定観念を取り払おうというLGBTの運動の入口に生物学的性差との着地点を示す看板がなければ、何の覚悟も犠牲もないまま観念的な「平和」だ、「自由」だ、「平等」だと唱えている輩と同じ穴の狢なわけだが、それ故、上っ面なイメージにノる、難しいことを考えることが苦手な「ライト層」を取り込むことに成功したともいえる。 近年のSEALDs, BLACK LIVES MATTER, 氷水を頭からかぶるやつ(筋萎縮性側索硬化症の研究支援が背景だそうです)等々の一時の熱狂と痛ましい忘却を想起する

          こんなもんでないかい?

          ベトナム語で神様は「オンチョイ」という。「オン」は敬称。「チョイ」は天気の天。つまり「天様」ということになるが、よほど神の実体に近い表現だと感じている。 農耕民族にとって天候は生死に直結する。自身の力で万策を尽くしたら、あとは力の及ばない世界に対して祈るほかはない。 夜空に、風に、川の流れに、或いは造形物に個々が託していた自然現象に対する祈りは、エリアで際立った何か(山、大木、巨岩等)、なければ石を積み、祠を建て、それを自然の象徴とすることで、集約がされていった。 しかし、シ

          午後七時の夫婦

          同居する父が死に、浅草から表参道(神宮前五丁目)の狭いマンションに越して半年が過ぎた。 前の住居が南向きの高層階で、一年中冷暖房を点ける必要のなかった環境であったため、2階に住む今は寒い、暑い、湿気、虫等々、当たり前の現実に(妻が)右往左往しているが、何より深刻だったのは食材の購入場所だった。 最寄りは紀ノ国屋か、渋谷駅周辺の地下食品街ということになる。 引っ越し当初は、ピカールを利用したり、国連大学前の週末のマーケット、或いは土曜の朝に早起きして六本木ヒルズの朝市まで足を運

          ボクシングを語ってくれ

          僕の目には大人と子供の戦いに写った。 井岡が試合後語っていたように、終始プラン通りであったと思う。いつも以上にいつもの戦いを貫いた。まともなパンチを一つでももらったようには見えなかった。 唯一の誤算は、決定的なカウンターが入らなかったこと。 肉を切らせて骨を断つ。 踏み込み、角度、力加減等々、相手がぶっ倒そうと本気でくるから、その反作用が大きくなる。自分の技術では井岡は倒せない。相手の手数の多さは、攻撃にみせかけた防御のようだった。 トンチンカンな話をするが、サッカーワールド

          60時間。6時間。

          年末年始は夫婦で妻の実家で過ごすことがこの10年の恒例である。マンションという逃げ場のないフラットな空間で、言ってしまえばアカの他人である父との3人での生活を送る妻がひと息をつける希少な機会でもある。 昨年末12月29日から今年1月3日まで、いつものように北海道に戻った。妻が一日前で往路のフライトを予約していたり、帰りの3日が大雪で函館本線の特急が間引きされ、大事を取って本来指定席を購入していた列車より1本前の、深川から乗車したカムイが朝の東西線並みの混雑具合であったりと、往

          虚実皮膜

          わたしが暮らしていた東南アジアの街に読売新聞の女性特派員がいて、何度か会った。政治が安定し、大きな事件も起こらないこの国で書いた記事をいくら本国に送っても本紙に掲載されることがないから、(当時激しい独立紛争のさなかにあった)東ティモールに行きたいとよく口にしていた。 新聞がいくら理想を語ったって、記者レベルでは所詮平和よりも自己顕示欲が勝るのである。 政治家や派閥に付く番記者も親分が小物であれば、掲載される記事も少なくなる。自分が記者なら、その政治家を実態より「盛る」ことで、

          それは逆

          障害者基本法において「障害者」とは、「身体障害、知的障害又は精神障害があるため、継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける者」と定義されている。 当たり前の話だが、社会の形成は人間の存在の後だ。 「日常生活」「社会生活」に対し、相当な制限を受ける身体、知的、精神の「障害」を持つものがいるわけではなく、身体、知的、精神の「障害」を持つものを省いた「日常生活」「社会生活」を作り、結果彼らがが相当な制限を受けている、と解釈するのが道理にかなう。 人はもっと謙虚になるべきだと思

          自身を解放させるために

          俺とお前は違うし、あいつとそいつも違う。 人間社会は無数の点描画が果てしなく広がっているイメージだ。その見え方も立場によって、まるで異なる。 通勤の銀座線で、眠りに入る前にSpotifyのポッドキャスト番組「コテンラジオ」をザクッと聴いているのだが、最近の回で興味深かったのは、「老人」について社会の捉え方の推移を調べたら、結局「老人」なんてものの実態はなく、社会(僕の解釈で言うと時の政権)が勝手に線を引いただけ、という話。その延長で「死」も、現代日本においてその判定は、呼吸の