東京はもう飽きたと感じている方ヘ。東京を歩き尽くす表参道住まいの夫婦が知った穴場⑬パラリンピックのアンチテーゼ・駒沢公園

駒沢公園の陸上競技場の入場ゲートが開放されていた。高校時代、所属するハンドボール部の行事で参加し、そこで他校の生徒二人組と喧嘩になり、左の耳たぶがちぎれながら電車で浦和まで帰ったという苦い思い出の場所であるのだが、妻が未見というので、あれから30数年ぶりに中に入った。
トラックでは100m走が行われていて、高校生から社会人まで、いわゆる「健常者」から義足、様々な先天、後天的な「障害」を持つ人がところてん的に同じトラックに並び、それぞれが自己記録に挑んでいた。
話は変わるが、今、ドイツのバードライヘンハルという街にいる。今年2度目のドイツ旅行となる。いわゆる「スタンバイ」チケットで行くため、チェックインが出来たら出発ロビーで慌ただしく当日の宿だけを確保し、その後は現地に到着してからの対応となる。訪問地はGoogle Mapをみながら決めてゆくのだが、「高齢者」「車椅子」での訪問可否について言及しているドイツ人の口コミが多いことに気づく。実際、数日前はベルヒテスガーデンというアルプスの麓の街にもいたが、どちらの街のトレッキングルートにも日本で云うところの後期高齢者、歩行にハンデを負っている人を多く見かけた。場所により道幅が十分に確保できず、「渋滞」を発生させたとしても慌てることなく歩を進め、後ろで並ぶ人たちも彼らの自主性を尊重し、手を貸すことなく平静にその時間を受け入れている。
日本では高齢や精神的身体的ハンディキャップを負うと、自身が、或いは家族が「世間」を慮り、家に籠りがちだが、こうした人たちが積極的に外に出て、世界と触れ合うことにより、周りの人間に対し世の中の多様性について考える機会を与え、社会は成熟していくものだと信じている。
ひと様々な障害を大雑把にカテゴリー分けし記録や順位を競うパラリンピックよりも、我々が見た駒沢の光景のほうがよほど清々しく、時代を先に進めるものだと思う。


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