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バレエ小説「パトロンヌ」(61)

KAI暦16年

バレエKが独自のバレエスクールを創立するというニュースを聞いた時、ミチルは当初首をかしげた。
甲斐は一貫して日本におけるバレエダンサーの地位の向上と独立、職業としての安定を訴え、日本のバレエ教室にありがちな「習い事」と一線を画して活動してきたという経緯がある。
一般的に「発表会」的な公演の場合、主役を踊る人は自分の衣裳を自前で調達しなくてはならない。さらに、役が大きければ大きいほどチケットノルマも大きくなる。「踊ってお金をもらうのがプロのダンサー」のはずが、なぜ「お金を払って踊るダンサー」になってしまうのか。ダンサーが毎日1足は履きつぶすというトゥシューズも、ヨーロッパの有名バレエ団では無料支給が当然のところが多いというのに、これも自前。「バレエ教室」ならいざ知らず、「バレエ団」という名のつく有名な団体でも多くが似たり寄ったりであることに、長年ロイヤルで踊り続けてきた甲斐は容易に受け入れられない。
また、「お家元制度」的な師弟関係の強さによって、ダンサーが活躍の場を他のバレエ団に求めにくいことにも苦言を呈す。甲斐はそれらの「慣習」に、一つ一つ「No」をつきつけてきた。上位の団員には毎月給与を支払っていたし、日本では珍しくオーディションも頻繁に行って国内外を問わず一定のダンサーは常に入替を常としていた。

その甲斐が、ついに禁断の「下部組織」を持つというのか? 
やはり自前のダンサーの方がいいのか? 
甲斐もとうとう「ダンサーの囲い込み」に走ったか?

しかし、それらはやがて杞憂と知らされる時がくる。甲斐のバレエスクール設立には、日本のバレエ界がとりつかれているもう一つの「病い」に関係していたのだ。彼は記者会見で、そのことに言及した。

「日本のバレエは、子どもたちを早い時期からコンクールに出しすぎます。たしかに日本人のジュニアたちは優秀で、国際的なコンクールでも多く活躍します。コンクールで勝つためのテクニックには長けている。けれど、それだけではダンサーは大きく成長しないのです。もっと大局的な能力の育成。素晴らしい音楽、素晴らしい絵画、作品が生まれた背景、そういうものに囲まれ、キャラクターダンスと言われる世界の民族舞踊を知り、そして自然に触れ、踊るころを楽しみ、芸術的な感性を育てなければ。また、幼い頃からトゥシューズを履くと、骨の変形やケガにもつながりやすい。そこを『なんとしても入賞』などといって無理をさせても、長い目で見たら彼ら彼女らのバレエ人生に必ずしもプラスではありません」

それは野球やバレーボールなど、スポーツにも言えることかもしれない。日々「勝つため」の練習だけをさせられる。怪我や体調不良があっても、周りに迷惑がかかるからと言い出せない。優秀でレギュラーの子であればあるほど、責任感から言い出せない。それがひいては致命傷となって引退を余儀なくされたり、精神的に追い詰められて続けられなくなったりにつながる例を、私たちはいくらでも知っている。若い才能を早期に食いつぶす弊害を生みやすい日本の「習い事」の精神構造を、甲斐は心から危ぶんでいるのだ。

一方で、彼はシビアな面も持っていた。
「努力だけでは、一流のダンサーにはなれません。努力は当然のことであって、バレエに必要な体型があり、感性があり、センスがあり、技術があって初めてプロになれるのです。無理だと思ったら、早めにそれを伝えるのもまた、指導者の務めではないでしょうか」

パリのオペラ座付属のバレエスクールに入るためには、三親等(祖父母)の代にまでさかのぼって、広く親戚の体型チェックが行われるという。バレエKはそこまではしないけれど、アッパークラスへの移行には目が光る。「楽しくバレエを楽しむ人生」を選ぶか、それとも「プロとしてバレエを生業にする人生」を選ぶか、常に選別することを前提として彼はバレエスクールを創ったのだ。いわば、バレエ界の裾野づくりに着手したのである。

「バレエスクール付きのバレエ団……。甲斐は、日本のロイヤルバレエをうち建てようとしている……」
ミチルは、彼の壮大な計画を感じて身震いした。
一方、同じニュースに接しながら、リカはまた違った感慨に耽っていた。(つづく)



 

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