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【読書記録12】現代思想を使いながら学べる稀有な本

 皆さんいかがお過ごしでしょうか。今回紹介する本は、難波江和英、内田樹著『現代思想のパフォーマンス』(光文社新書)です。

本書の狙いと構成

 『現代思想のパフォーマンス』は他の現代思想に関する書籍とは一線を画す特異な本です。なぜなら、本書は現代思想をただわかりやすく解説しただけのものではないからです。
 本書の企図は「まえがき」で説明されています。

本書は、これまでにない種類の本である。その目的は、現代思想の概説ではなく、現代思想をツールとして使いこなす技法を実演(パフォーマンス)することである。

まえがき

 『現代思想のパフォーマンス』では6人の思想家が紹介され、それぞれに案内編、解説編、実践編が付してあります。本書で紹介されている思想家は、フェルナン・ド・ソシュールロラン・バルトミッシェル・フーコークロード・レヴィ=ストロースジャック・ラカンエドワード・サイードの6人です。彼らの生い立ちや学問的な立ち位置が案内編で紹介され、次に解説編で彼らの思想が簡潔にまとめられています。最後に、実践編でその思想を用いて映画や文学作品が分析されます。つまり、思想を実際に道具として動かしてみるということです。

難解な概念が簡潔にまとめられている

 本書で紹介されている思想家の概念や文章は難解なものばかりです。例えば、ソシュールの『一般言語学講義』は睡眠を約束させるほどの晦渋な書物です。また、ソシュールの思想を解説した本もオリジナルに負けず劣らず難解なものが多いです。
 翻って、本書『現代思想のパフォーマンス』では、解説編でソシュールの思想がかなりわかりやすく簡潔に説明されています。これは本書が構成上、実践編でその思想を実際に用いることもあり、解説編では思想の概説が枝葉末節に拘り過ぎず、説明が冗長にならないように簡潔にまとめられているからだと思います。ゆえに、本書は抽象度が高くなじみのない難解な概念が平易な言葉で整理されて説明されている稀有なものとなっています。

構造主義の骨格を理解する

 現代思想において「構造主義」は重要なパラダイムですが、「構造主義」を短い言葉で分かりやすく説明することは簡単ではありません。
 ありがたいことに本書ではレヴィ=ストロースの章において、構造主義について手短にまとめられています。

 のちに「構造主義」という名で呼ばれることになる学術的方法論の基本的な理念はここに尽くされている。あらためて列挙すれば、
 (1) 意識的な境域ではなく無意識的な境域に注意を向ける
 (2) 「実体」ではなく「関係」を分析の基礎とする
 (3) 「システム」という観念を導入する
 (4) 一般的法則の発見を目指す

Ⅳ クロード・レヴィ=ストロース

 構造主義の核心を言い表していると思います。ですが、これだけだとやや抽象的すぎて理解しにくいかもしれません。

 そこで、次に紹介するのはミッシェル・フーコーを案内した箇所です。ここでは、フーコーの系譜学の方法がマルクス、フロイト、そしてソシュールと一本の線で繋がっているということが指摘されています。
 フーコーの系譜学という方法は、取り扱う対象(例えば歴史)に「本質」を見ようとする姿勢を問題にしながら、その「本質」を「真理」として制度化していく方法そのものを歴史的に解明しようとする方法です。
 ここでのフーコーが用いる「真理」という言葉は一般的な定義と異なります。少し引用します。

 彼の表現によれば、真理とは、「歴史のなかで長らく焼かれて、かたちを変えられないほど固くなっているので、もはや論駁できない種類の誤謬」のことである。

Ⅲ ミッシェル・フーコー

 つまり、フーコーの系譜学という手法は、わたしたちが気づかず誤謬となっているものが制度化していく方法を解明するというものです。したがって、私たちが当然のものだと享受しているものの考え方や捉え方は、歴史的に形作られていく思考パターンに規定されているということです。
 先述したように、この発想がマルクス、フロイト、ソシュールの思想と符合しており、そしてその思想の繋がりを理解することが「構造主義」の理解を促します。少し長いですが、引用します。

 このフーコーの方法はまた、マルクスやフロイトの方法にも共通したところがある。たとえばマルクスは、人間がものをつくるときの生産活動のネットワーク(生産関係)が社会の下部構造としてはたらいて、社会の上部構造にあたる政治・法律・芸術・宗教といった人間の日常生活を広く規定していると考えた。
 この上部構造と下部構造の関係をフーコーの方法に重ね合わせれば、わたしたちの現在のものの見え方や考え方(上部構造)は、その基盤にある既存の「思考パターン」(下部構造)によって決められていると言えるだろう。
 さらにこの上部構造と下部構造を、意識と無意識の関係に置き換えれば、そこからフロイトの思想の基本が見えてくる。つまり、わたしたちの「意識」(わたしたちの現在のものの見え方や考え方=上部構造)は、わたしたちの「無意識」(わたしたちが意識できない既存の「思考パターン」=下部構造)によって決められている。こう考えれば、フーコー、マルクス、フロイトといった思想家の発想が一本の線として見えてくる。
 しかもこの線は、ソシュールの言語論にもつながっている。すでに見たとおり、ソシュールの発想では、語がモノより先にある。つまり、モノの存在が語の使い方を規定しているというより、語の使用がモノの存在を規定している。

Ⅲ ミッシェル・フーコー

 レヴィ=ストロースの構造主義の説明の1つ目で挙げた「意識的な境域ではなく無意識的な境域に注意を向ける」の無意識的な境域がまさにここでの下部構造に当たります。
 フーコーの主張は、私たちは自由に物事を見たり考えたりしているように思えても、実はそれは歴史的に形成された既存の思考パターンに支配されているものであるということです。また、マルクスの資本論で展開されていることは、私たちが「社会」と呼んでいるもの(例えば政治や法律)は生産活動の生産関係、つまり資本家と労働者の関係によって規定されているのであるということです。さらに、フロイトの精神分析では、「意識」と呼ばれるものは、意識できない「無意識」にコントロールされていると論じます。そして、ソシュールの言語学は、私たちが「現実」と思っているものは、私たちの言語のはたらきからつくり出されたものであるということを明らかにしました。
 この上部構造と下部構造について自分なりにまとめたものが下のFigure 1です。

Figure 1

 フーコーの主張は、私たちは自由に物事を見たり考えたりしているように思えても、実はそれは歴史的に形成された既存の思考パターンに支配されているものであるというものです。また、マルクスの資本論で展開されていることは、私たちが「社会」と呼んでいるもの(例えば政治や法律)は生産活動の生産関係、すなわち資本家と労働者の関係によって規定されているのであるということです。さらに、フロイトの精神分析では、「意識」と呼ばれるものは、意識できない「無意識」にコントロールされていると論じられています。そして、ソシュールの言語学は、私たちが「現実」と思っているものは、私たちの言語のはたらきからつくり出されたものであるということを明らかにしました。
 この目に見えない下部構造が私たちの現実を規定しているというのが構造主義の基本的な考え方です。

まとめ

 本書『現代思想のパフォーマンス』は現代思想の面白さが詰まった内容になっていると思います。私は哲学(特に現代思想)を援用して文学や映画を読み解くという批評を読むのが好きです。「なるほど、そんな見方があったのか」と思わず膝を打ちたくなります。そんな文章に多く触れていると、自然と現代思想への関心は強まっていき、現代思想を学ぼうと様々な本を読んでいくにあたって本書に出会いました。多くの作品や社会現象に応用できることも現代思想の魅力の1つだと思います。ゆえに、現代思想の実演を読者に見せてくれた本書は現代思想の魅力を伝える書でもあると言えます。
 現代思想は哲学の訓練を受けていない私のような者にとっては呪文のように難解なものです。そこで、現代思想の解説本に頼るのですが、分かりやすく解説されているものほど、内容がスカスカで、「結局どういう思想なのかよく分からない」という感想を持ってしまいます。しかし、本書は学術的なレベルはあまり落とさず、尚且つわかりやすいつくりになっていると思います。特に私は本書を読んではじめて、構造主義の骨格を理解できた気がします。
 また、この記事では実践編について触れませんでしたが、実践編も秀逸な内容になっています。特に、ジャック・ラカンの実践編でのカミュの『異邦人』の読解は目から鱗です。
 本書は、現代思想や哲学に興味のある方や、このような分野の本もこれから読んでいきたいと考えている方にもおすすめです。

 今回は以上です。

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