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画像生成AI「Midjourney」を本格活用してノベルゲームを作ってみたら、予想を超えるすごいことが起きたのでいろいろ考えてみた話

こんにちは!

画像生成AI「Midjourney」でほとんどのイラストを書いた
『ぼくとAIのなつやすみ』というゲームを作りました。

「AIに絵を描かせた夏休みの絵日記」を読み進めていく……という一風変わったノベルゲームで、PCブラウザで遊べます。
完全無料、10分くらいでクリアできるので、よかったら遊んでみてください。


これを公開したところ、予想外に嬉しいことがたくさんありまして、

大手メディアさんがたくさん取り上げてくれたり・・・

有名配信者さんが動画にしてくれたり・・・(25万再生超え・・・!)

エンディングシーンのファンアートを書いてくださる人が現れたり・・・
(これ、「AIが書いた絵」のファンアートを「人間」が書くという、何気にすごいことが起きてるのでは・・・?)

これ以外にも書ききれないくらいたくさんの方がプレイしてくれたり紹介してくれたりと、予想を超える出来事のオンパレードで、
「作ってよかったー!!」
と大喜びしているところです。

この勢いにまかせて、
「なぜこのゲームを作ったのか?」
「今後クリエイターは画像生成AIとどう付き合っていくのがよさそうか?」
みたいに考えたことを書き残しておきたいと思います。

なぜこのゲームを作ったのか?

ひとことで言ってしまうと
「流行りの画像生成AIを使ってなんかゲームを作ってみたくなった」
ということなのですが、もうすこし細かい思考の流れも書いておきます。

というのも、ここ数ヶ月の画像生成AI関連は状況変化がものすごく速く、自分の考えもどんどん変化していったので・・・

まず3ヶ月ほどまえ。

画像生成AIですごいクオリティの絵が書ける、といったことがSNSで話題になりはじめた印象です。

このときは絵単体を見て「AIすげー!!」とみんなが言うくらい。

画像生成AIを扱えるのは専門的な環境構築を行ったごく一部の人に限られていた状況だったので、もしこの時点で
「画像生成AIを活用したゲーム開発を行っています」
と言えばそれだけで注目が集まった可能性が高いですし、
「自分も時間ができたら環境構築をがんばってチャレンジしてみようかな・・・」
とぼんやり考えてもいました。

しかし、それからわずか1-2ヶ月で状況は一気に変化します。

Midjourney、Stable Diffusion といったサービスの登場により、誰でも画像生成AIを扱えるようになります。

特にMidjourneyの登場は強烈で、
「環境構築なし・招待なし・無料・テキスト入力だけ」
で画像生成AIをためせるのは超お手軽でした。
SNSは一気にMidjourney大喜利状態となり、絵単体で注目される、みたいな時代は急速に終わっていきます。

「じゃあ絵単体じゃなく、『AIが書いた絵を使った作品』を作ればーー」
と多くのクリエイターが考えたと思いますが、
そういった作品を発表する人も次々に現れます。

絵本・・・!

漫画・・・!!

もちろんゲームも・・・!!!

これくらいになってくると、「AIが書いた絵を使ってみた作品」というだけで注目される時代の終焉も近いです。

・・・しかし。

自分はここでふと、「まだギリギリ開拓が完了していない領域」がありそうだぞ、と思いました。

それは、

「画像生成AIを使っていることが作品内で意味を持ち、それが面白さに繋がっている作品」

です。

このコンセプトで何かゲームを作れないか、とおもむろに考え始めました。

画像生成AIを使っていることが作品内で意味を持ち、それが面白さに繋がっている作品、とは?

これには無数の答えがあり、まさにクリエイターの頭のひねりどころだと思いますが・・・

自分の場合はこんな風に考えていきました。

まず、なんらかの絵を作品内に登場させ、AIがその絵を書いていることを作品内で明示する必要がある。

しかも1枚では弱い。
たくさんのいろいろな絵が出てくる設定が必要。

「AIが書いた絵であることが面白さに繋がる」
とはどういうシチュエーションか?

・・・たぶん、「AIが人間のようなすごい絵を書く」ことよりも、
「AIが期待とは違うトンチンカンな絵を書く」シチュエーションの方が
簡単に面白さに繋がりそうな気がする。

期待とのギャップ、ズレ。コミカルな面白さ。
これなら現状の画像生成AIの弱点である
「狙い通りの絵を書かせることが難しい」
ということもむしろ強みになり得る。

この構造を成立させるには、遊んだ人が
「こういう絵が出てくるだろう」という期待
を自然に抱くシチュエーションを用意する必要がある。
期待のないところにズレもギャップも生まれないから。

かつ、1枚・1種類の絵ではなく、いろいろなバリエーションを生み出せるシチュエーションじゃないといけない。

うーん・・・

(アイデアを求めて周囲に目をやる。もう8月も終わりかぁ・・・)

あ、夏休みの絵日記はどうだろう?

絵日記なら、文章で「期待」を作り、絵で「ズレたことをする」のがやりやすい。
「おじいちゃんとおばあちゃんの家に行きました」と文章で書いてあったとして、出てきた絵が日本人離れしたファンキーすぎるおじいちゃんおばあちゃんだったら「おいAIww」みたいになりそうだし。

かつ、1日1日の出来事次第でいろいろな絵のバリエーションも作れそうだし・・・

これだ!!!

・・・とまぁこんな感じで「AIに絵を描かせた夏休みの絵日記を読み進めていくノベルゲーム」のアイデアがまとまりました。

余談ですが、今回の企画のような

「誰もが知っている学校ネタ x それとは結びつきそうにない現代的なネタ」

という組み合わせは、広まりやすいし、特にメディアが取り上げてくれやすい気がしました。
(今回だと「夏休みの絵日記 x 画像生成AI」という組み合わせ)

これからの画像生成AIとクリエイター

これからの画像生成AIはどうなっていくんでしょうか。
そして自分のようなクリエイターはどう付き合っていけばいいんでしょうか。

専門家ではないので偉そうなことは言えませんが・・・
今回の経験を通じて考えたことを書いてみます。

まず「これからの画像生成AI」の未来の一方向として、
「めちゃくちゃ進化してめちゃくちゃ便利になって誰もが簡単に使えるようになる」
というのは間違いないことでしょう。

現在の画像生成AIが苦手としていること、たとえば
「意図した絵を書かせづらい」
「同じ人物を別角度から書かせづらい」
といった課題も解消されていき、できないことがどんどんなくなっていくと思います。

ただ、自分のような1クリエイターが、(よほど技術そのものに関心があるのでなければ)張り付いて情報を追いかけ続ける必要もない気がします。

定点観測的に情報をチェックしたりツールを触ったりして認識をアップデートしていくくらいでいいのかなーと。

特に、現環境での細かいTips、たとえば
「Unreal EngineとかPlayStation5という単語を入れると画像が精細になる」
みたいな裏技的知識を溜め込んでも長期的には無意味になる気がします。

クリエイター視点、特に作品作りという面での「画像生成AI」はこれからどうか。

話はそれますが、よく「画像生成AIの登場はカメラの登場と同じである」と言われます。
もう少し身近でクリエイター的な例を出すと、これは「ボカロの登場」にも近いのかな、と思います。

「ボカロでどれだけ人間の自然な歌声に近づけられるか」
という技術的な追究は
「AIにどうやって人間らしい絵を書かせるか」
という追究に近いですし、

クリエイターにとっては
「技術よりも、ボカロを使ってどんな曲や動画を生み出すか」
の方が最終的に重要だったであろうことも、今後の画像生成AIとクリエイターの付き合い方を示唆している気がします。

ボカロの歴史をwikipediaで見てみると、次のような楽曲の傾向をたどったとあります。

1 既存の楽曲を歌わせたカバー曲
2 オリジナル曲
3 「歌うソフトである初音ミク」の立場に立った楽曲
4 普遍性のある楽曲

画像生成AIを使った作品作りも少し似た流れを辿っている気がします。

1 とりあえずなにか絵を書いてもらう
2 オリジナル作品
3 「AIを使うこと」に意味を持たせた作品
4 普遍性のある作品

今回作った『ぼくとAIのなつやすみ』は3のチャレンジということになりますが、この領域はまだ掘り下げる余地がありそうだな、と感じました。

自分が企画当初に思い描いていた「ギャップの面白さ」を出し切れたとは言えないですし、ほかにも「AIを使うこと」に意味を持たせた作品のパターンはまだまだありそうです。

また、メディアでの取り上げられ方を見るとまだ2の切り口だけで取り上げてくれているところも少なくない印象で、3の時代はもう少し続く可能性を感じました。

自分のような個人クリエイターであれば、今から3の領域を狙うのはまだ悪くない気がします。
それに、ここはアイデア勝負なので、個人クリエイターでも頭のひねりがいがあるところです。

最先端の技術を追いかけることや、それでコストダウンすることも良いですが、
「それを使ってどんな新しいクリエイティブなことができるか?」
を考えるのも楽しいんじゃないかなと思います。

少なくとも自分は『ぼくとAIのなつやすみ』でそれが考えられて、とっても楽しかったです!

画像生成AIは手段でしかない

最後に身も蓋もない話をします。

今回の『ぼくとAIのなつやすみ』で画像生成AIを使ったのは、まず作品に興味を持ってもらうための手段でした。

「文章とAIが書いた絵のギャップの面白さ」にしたって、作品内で細かい面白さを生み出すためのギミックでしかありません。

上でも述べましたが、結局は『4 普遍性のある作品』に行き着きます。
その作品が普遍的に面白いのか面白くないのかがすべて。
結局はここから逃れられませんし、クリエイターはここで戦わなければならないのでしょう。

今回の『ぼくとAIのなつやすみ』は3へのチャレンジではありましたが、できるだけ普遍的に面白い作品にすることも目指して作ったつもりです。

序盤はできるだけ謎を散りばめて続きが気になる感じにしたい・・・・

中盤はゾクッとくる展開を見せて感情に揺さぶりをかけたい・・・

終盤はひっくり返して王道的な感動展開にして余韻を残したい・・・

もうAIとか関係ないですね。

こんなことを考えながら、少しでも作品を良くするべく、限られた時間内で精一杯がんばりました。

結果はどうだったか・・・


やったーーーーー!!!!


嬉しいーーーーーーーー!!!!


がんばってつくってよかったーーー!!!!


自分にとってすべては(AIも、ゲームを作ることさえも)、この喜びのための手段でしかないのです。


宣伝

最後に宣伝させてください。

新作ゲームとして
「会話中にうっかりできちゃった淫語を見つけるADVゲーム」
を作ってます!

これも普遍的で大号泣できる感動作を目指して開発しておりますので、興味を持っていただけましたらどうぞよろしくお願いいたします!

(本当はウィッシュリストのリンクを貼りたかったんですが、ストアページが間に合わなかったので、興味持ってくれた人はTwitterをフォローしておいていただけますと嬉しいです・・・)

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