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命懸けの手紙配達 1917 命をかけた伝令 レビュー

・この映画は一切まばたきをしない

この映画は公開前からも話題になっていた。
本作は「全編1カット」で構成されている映画だと。

ちょっと前に日本でブレイクした「カメラを止めるな!」も、ワンカットを売りにした作風で話題になった。この映画もそれと同じく1カットで構成されているが、前者と違うのは、最初から最後まで本当に1カットだということ。(ホントのことを言うとそういう風に見えるように作ってる)

基地を出発し、戦場の最前線にいる別の分隊に伝令を届けるまで、主人公の身になにが起ころうとカメラは常に止まらない。


・極限までフォーカスすることで見えてくるもの

この映画の主人公はスコフィールドとブレイク。2人は若いイギリス兵でありながら、最前線にいる分隊に1つの伝令を渡す任務をうける。彼らは幾度の戦場を生き抜いた兵士ではなく、まだ兵士としての歴は浅い若手。

道中も有刺鉄線を無理やりかいくぐったり、敵が残したトラップに巻き込まれて生き埋めになったり、文字通り屍の上を超えて、戦場の残酷さ、無慈悲さをひしひしと感じる。

そしてその屍たちも無駄にリアル。風穴の空いた死体や、何なら白骨化した馬まで映っていて、ギリギリRしていにかかってない感じがする。

彼らただの若者だ。とあるアクション映画に出てくるようなヒーローでもエージェントでもない。そこらへんにいそうな若者がジリ貧な装備で、死と隣り合わせの戦場を恐る恐る進んでいる臨場感はとても息を呑む体験だ。


・1カットの映像における音楽が担う大きな役割

1カットということは「カット割り」がないということ。映画は本来、カットを割ることで、作品のテンポ感や雰囲気を演出する。

会話をしている時は、両者のカメラを変えることで会話の内容をより理解しやすくするし、戦闘シーンでは目まぐるしくカットが変えることで、戦闘中の臨場感やスリリングさを生み出している。

1カットとなれば、テンポ感を演出手段はどうなるのか?カメラワークに頼るしかないのか?そこで出てくるのが音楽だ。

静かな音楽、激しい音楽、時には音楽を流さないことで、作品全体の起伏をしっかり演出している。

従来の映画ならカット割りと音楽が流を流すことは同時に行われることだが、この映画では音楽だけで作品のテンポ感を演出している。

故にこの映画における音楽の結果これ以上ない臨場感を演出していた。
1カットしかない分、常に観客は戦場にいる主人公と気持ちがシンクロし、その心情の状態を音楽が演出することで絶大な没入感を生む。


・彼はメロスのように走る

太宰治の走れメロスは、メロスが娘の結婚式に参加し、3日後の日没までに親友セリヌンテゥスの元に戻って、王に人間の信頼する力を認めさせる話。

1917もそれと同じく、主人公であるスコフィールドとブレイクの必ず自分の足で味方の元にこの伝令を届けるんだという信念を感じた。

メロスと違って、戦争中である今作では逃げる場所はないかもしれない。でも、途中で基地に帰るという選択を取ることだって出来る。(実際に帰るかどうか悩むシーンもある)それでも2人は最前線にいる仲間のものに、もっと言えば、ブレイクの兄の元まで、この伝令を必ず届けるんだと、戦場を突き進む。

1917は、戦場の恐ろしさ、無慈悲さを伝えながらも、人間と人間を繋げる愛情や信頼といったものも伝えている。

出血しようが、爆発に巻き込まれようが、溺れようが、伝令を届けるという使命を果たそうとした勇敢な姿をノーカットで映した1917をぜひ劇場で見てほしい。


ここからはネタバレを含む内容なので、有料にさせてもらいたい。(間違ってスクロールしたりして、ネタバレを見てしまわない為にも)

ネタバレを気にしないか、鑑賞後にこの記事と感想を照らし合わせたいといった人はよければどうぞ。

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