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【お互いに】発注者も受注者もそれぞれの「器」がポイント

仕事において、それぞれの立場で意識するプロとしての「器」は重要。自分の手から離れたことに責任を持てないと、その仕事は・・・という話

来年1月の施工予定の打合せを元請業者と行っていた。

この工事においては今のところ大きな問題はない。がしかし、それなりにまとまった金額の工事になるゆえ、1月の着工までは心配事はひとつでも潰しておいた方がいいということで、月1の打合せを予定して内容を詰めていく方針だ。



打合せも終わり、元請業者と世間話をしていたところ、現在進めている別の現場でのちょっと面倒な話を聞かせてくれた。

その現場の関係者に病的なクレーマーがいるという。仕事は終始そのクレーマーのご機嫌取りとなり肝心な工事が思うように進まないという軽いグチであった。



グチの内容はさておき、わたしは常々発注者と受注者の関係性において、フランクな世間話ができるていどが望ましいと考えている。そしてもっといえばひとつの案件を良いことも悪いことも話し合いながら進められる関係性が成功の要因だと思っているのだ。



ときどき、発注者には「仕事を出してやっている」というポーズをとり、明らかなマウントを取りたがる人がいる。そういう人は仕事こそ提供するが、いわゆる「丸投げ」という放り込み方で、その仕事に対しての当事者意識は欠けている。

であるからして、打合せをしようにも「そんなことわからないから上手くやっといて」に終始し、こちらが発注元側で確認してほしいことについても協力的ではないことが多い。



それでは仕事は上手くいくはずがないのだ。わたしは発注者にも受注者にもそれぞれの立場で「器」があると思っている。その器は各分野の立場において「案件の成功」という目的に意識が向いていることが条件である。

であるからして、発注者は受注者が困った際などの対応や相談する窓口の役割りを担うべきであり、その器が受注者の士気を高めて結果的に仕事の質にかかわるということなのだ。



わたしから言わせれば「仕事を出してやる、あとはなんとかしとけ」と距離を置かれることはお互いに信頼関係をきずくつもりがないという態度と同義である。

よって、その場合仕事で問題が起きようが一時的に責任を放棄してしまった発注者の非が大きいと思うのだ。



わたしはそんな不毛なやり取りが苦手なこともあり、発注者にその「器」がない、と判断した場合、仕事を断るケースもある。憤慨されることもあるが、同じ価値観でプロ意識をもてないのであれば、いずれ大やけどをするハメになる。

このグチをこぼしながらでも、仕事の内容を詰める姿勢が未然に大きな問題になる芽を摘み、お互いにできることを確認し合う環境をつくる。



とはいえ、そこは甘えた友達関係ではない。前提として当事者意識を強くもったプロフェッショナルという条件が不可欠である。

関係者が仕事に同じレベルで当事者意識をもてるかどうかが成功のカギである


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