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ターゲットを情弱に設定するさもしさよ

高齢者などの情報弱者を対象に高額な商品を売りつけたり、契約を迫ったりすることで利益を上げるビジネスモデルのせつなさ、という話

私が会社を引き継いだ頃、売上げの減少、多額の債務、取引きの夜逃げの他に地味にツラかったのが「複合機をはじめ周辺機器のリースの支払い」である。

簡単に言えばFAXがついた一体型のコピー機とパソコンや電話などに関するよくわからない周辺機器なのだが、それらのほとんどは私が今の会社に入る前からの契約であり、私もしばらくはそのリースの存在にすら気づいていなかった。

その後も何かにつけてあまり機能しない周辺機器やメンテナンスサービスの契約を私がいないタイミングを見計らって、父にコンタクトを取り「長い目で見て通信費を削減できます」とか「これからの時代には必要です」などともっともらしいことを言っては数年のリース契約を結ぶのである。

しかもセールストークは複雑かつ巧妙で、高齢者でなくとも理解できないような専門用語混じりで展開され、聞いている方が理解するのを諦めるのを狙いとしているようにすら感じるのである。携帯電話のわかりにくい料金プランのようなものだ。

会社を引き継ぎ、全体の収支を把握している段階で複数のリース契約の総額が地味に経営に影響していることを理解した。

私が引き継いだ時点で一番長いもので7年のリース残債があった。しかもトータルで月に15万程度、年間にしたら実に180万である。

リースの内容をひとつずつ調べてみると、自社には必要のないものがほとんどで、機能してないわけではないが、完全にオーバースペック、従業員100人以上の会社が使用するようなものばかりが設置されていたのだ。

営業する側も仕事だし、ノルマもあるだろう。

しかしながら、心の中で「必要ない」、「意味がない」とわかっていながら売り込む心境はどのようなものなのだろうか。

相手が自分のトークに言いくるめられていることに快感を覚えるのだとしたらそれはかなり危険な心理状態だと言っていい。法に触れなければ必要のないものを情報弱者に売りつけてしまおうという自分勝手な姿勢は不幸しか生まない。

私のいる建設業界でも高齢者をターゲットに言葉巧みに高額な工事を売り込む業者が存在するが、商売をするものとして利益の上げ方に道徳心は働かないのだろうかと考えてしまう。

振り込め詐欺のような犯罪集団は論外だが、自分の働きかけたことによって目の前の人が不幸になる仕事を平然とやり続けることに精神は削られていかないのだろうか。

そんなことを考えたのは最後のリース品がこの度終了するからだ。その際に返品の手続きを行うのだが、返品処理をする業者の適当な対応も業界の価値を生まない構造の一端なのだな、とただただ残念な気持ちに終始したのである。

7年も払い続けてこんなにも晴れやかな気分にならないビジネスはせつない。1ミリも継続した関係性に価値を感じなかったのは、いつも提供する側のベクトルがノルマや利益という自分本位にしか向いていないからだとつくづく感じたのだ。

ビジネスモデルが自社の都合ばかりよくするものであってはならない

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