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【忘れがち】仕事なのか作業なのか、その境界線は目的が明確かどうかにある

依頼する作業において、発注者側の意図をしっかり伝え、その作業の先に何が形になるのかをイメージさせることが重要、という話

旅人が道を歩いていると、レンガを積んでいる3人の職人に出会い、「ここで何をしているのですか?」と尋ねます。

1人目は「レンガを積んでいるのさ」と答え、辛くて不公平だと考えていました。
2人目は「大きな壁を作っているのさ」と答え、家族を養うために仕事があることに感謝していました。
3人目は「歴史に残る偉大な教会を作っているのさ」と答え、教会の完成をイメージし、そこに訪れる人々の幸せまで考えていました。


いきなりイソップ寓話の「3人のレンガ職人」の要約から入ったが、最近読んでいるシステムのつくり方を指南する本の中で「発注者が意図をしっかり伝えることの重要性」を説いていた。

冒頭のレンガ職人のように、行っている作業は同じでも、意味合いが変わってくるのは、作業者が明確な目的を理解しているかどうか。「なぜこれをやるのか?」ということを知らされない作業者はモチベーションも上がらない。

一方で明確なゴールを知り、そのゴールが大きな価値になるものだとしたら、その一端を担う目の前の作業は崇高な仕事のように思えてくるだろう。



本を読んでいて思わず「ハッ」となったのは、わたしが普段スタッフや外注先に、依頼する内容のほかにしっかりと目的やゴールをイメージすることが伝えられていただろうか?という点が気になったのだ。

当たり前の話だが、発注者であるわたしは当事者意識から、その作業に対する熱意は高い。

だが、作業として処理手順などのみを伝えられた方としては、この作業が何の役に立つのかさえわからないことから、完成度やスピードなどの作業の質があいまいになりやすい。



ここに発注者と作業者の当事者意識の差から納得のいくレベルのギャップが生まれるのだ。

ゴールに到達できればまだいいが、現在進行形で「ただやれ」という指示のもと粛々と作業にあたるものにとっては精神的にキツイものがある。

これが何の目的でやるべきことなのか、いつまで続くのか、など伝えるべきことは伝えた上で、ときどき進捗を確認するなどのコミュニケーションを取ることで、作業者の気持ちも少し変わるだろう。



思わず「ハッ」としたのは、思い当たる節がわたしにあるからで、現在進めてもらっている作業に関してもあまりケアができていないと反省した。

反省をかたちにして、あらためてゴール設定を明確にし、こなしていただいている作業に意味を持たせる必要がある。今週中にでも進捗確認と称してコミュニケーションをとってみようと自分の至らなさに気がつく早朝の読書時間であった。

人は明確な目的があって、自身の行動に意味を見出せる


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