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【倒れる前に】丁度いい仕事量のバランスを考えるのは贅沢か?

ハードワークの上に成り立っている会社はいずれ破綻する。丁度良く働き、適正な報酬を得られる状態を真剣に実現させよう、という話

最近、自身の仕事量について考えている。

一応日曜祝日は休みだし、いわゆる大型連休もほとんど出勤することはない。

だが、現状の会社の売上げや利益率、ひいては自身の役員報酬にいたるまで、決して満足のいくような状態ではないこともあり、「稼動と利益」のバランスについて考えているのである。



先日、とある同業者の社長が来社した。

ときどき顔をのぞかせては近況を伝えてくれるのだが、ここ1年くらい、いよいよ上昇気流に乗っているらしく、自身もかなり忙しいらしい。

話によればもう3ヶ月以上休みを取っておらず、1日のスケジュールも早朝から帰宅後の夜遅くまでフル稼働なのだそうだ。



もともと地頭がよく、営業から作業まで何でもこなすオールラウンダーなのだが、現在自身のポテンシャルをフル動員でその上昇気流に対峙している。

ただ、わたしは数年目前に過労で倒れ、救急車で運ばれた社長の体を心配しているが、この社長に限らず、世の小さな会社の社長は気合いで会社を何とかしようとする人が多いと感じている。



たしかに小さな会社のリソースひとつは「社長の元気」という点はある。だが、その社長が体を酷使して成り立っている状態は強みのような弱みでしかない。

ひとりのブルドーザーのような馬力はひとたび調子を崩すと、その月の売上げに大打撃を与えることになる。



そういった意味でも、同じように自身の属人性に依然しているわたしの会社も、仕事量を増やすことで売上が伸びるという状態を軽減させたいと思い考えている。

わたしも仕事は嫌いじゃないので、ハードワークもある程度こなしてしまう節があるが、たまにポッとできる「丁度いい1日」を理想的だ、と感じる。



そんな丁度いい仕事量で、今よりも成果が上がれば申し分ないとも思っているのだが、こうした考えを甘いと考える風潮もある。

「ラクして儲けるな」というなんともハードワーク至上主義のような考え方が世の中にあるようで、儲かっている場合の免罪符として誰の目から見ても働きづめ、という状態をアピールする方が敵をつくらない。



だが、よく考えてほしい。

誰だってやるべき仕事をした前提では、大変よりラクなプロセスで報酬を得たいと願っていると思う。

今がギリギリの状態だ、これ以上働けない、という状況なら「丁度いい仕事量で会社を維持する」道を真剣に模索してみてはいかがだろうか。

一部のリソースのみが異常に稼働して成り立つ状態は、それ自体が“リスク”である



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