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働いた内容に対する代価、割に合うか合わないか

ひとつの仕事の内容を利益ベースで考えるか、認知ベースで考えるか。その仕事をすることによって起こる可能性を考える、という話

「仕事は内容によって選ぶ」

こう書くと随分と高飛車で高慢ちきの嫌なヤツみたいに聞こえるが、弊社のような弱小零細企業においては、いただいた仕事を全てありがたく頂戴する、というスタンスをとると、たちまち経営が立ち行かなくる。

何でもやりますよ、とすれば実入りのいい仕事も悪い仕事も関係なく流れ込んでくる。そしてそうした場合、零細企業に流れ込んでくる仕事の多くは実入りの悪い仕事になる。

なぜなら、何でもやりますという会社に割り当てられる仕事は他の会社が嫌がる仕事、もしくは儲からない仕事が行き場を失い、都合よく安請け合いする会社を探しているような類のものがほとんどだからだ。

視点を変えて、その様な仕事をきっかけに自社の取りたい仕事に繋げる設計図がある会社なら問題はないが、何の計画もなしに来たものを何でも受け入れるスタンスは自ら身を滅ぼしかねない。

先日も、個人で商売をしているある業者が相談に来社した。

雑用をきっかけにハウスクリーニングの仕事を受注する形態らしいのだが、お困りごとを全て受け入れては四苦八苦しているらしい。

専門外の分野の雑用を引き受けて自分なりに工夫してはみるものの、クレームになることも多く、休日も無しに働いているがまったく儲からないとのこと。相談の内容も「安価にこういうことができないか?」という発想であった。

相談内容を一通り聞いて、お伝えしたのが「できることとできないことがある」ということと「できることを実行するにはそれなりの費用がかかる」という当たり前のこと。

人のいい業者のよくあるパターンだが、依頼された仕事をすべてやる前提で考えはじめるのだ。

よく考えればコスト的に無理があったり、苦労するのが目に見えているのに断らなかったり、自分ばかり損することになるにもかかわらず仕事を請け負ってしまうのだ。

指摘をすると決まって言うのが「仕事なんだから仕方がない」ということなのだが、都合よく使われることが仕事というのは何とも寂しいことだと思うのだ。

本来、その様な割に合わない仕事こそ、資本力のある大きな会社がすくい上げる必要があると思うのだが、現実には割に合わない仕事は誰にとっても距離を置きたい仕事である。

そして発注者が「なるべく安く」とオーダーする仕事にかぎってクオリティーにクレームが入りやすい。往々にしてお金は出したくないがそれなりのものを施してほしいと思う発注者と施工者のギャップは埋まりにくい。

よって、弊社では無責任に安請け合いすることでお互いにとって不幸になる仕事ははじめからお断りさせていただいている。

そこに時間や労力を割けないような資源しか持ち合わせていないということもあるが、自社の価値を最大限発揮して提供するにはどうしても対象の顧客を絞ることが必須となる。

冒頭の「仕事は内容によって選ぶ」という真意は少ないながら確実に価値をお渡しすることのできるお客様に喜んでいただくための姿勢から出た答えである。

なぜその仕事をするのか、考えるクセをつけた方がいい


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