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【神頼み】効果のほどは不明だが、とりあえず手を合わせに行ってきた

信仰心の有無にかかわらず、都合のいい時だけ神頼みしてしまう真理。効果より、なんとなくの姿勢としてやらないよりはマシ?という話

昨日は仕事で東京方面へ行く用事もあって、ついでに文京区まで足をのばすことにした。

文京区へは学問の神様として有名な湯島天神へお参りするのが目的。2月に中学受験を控えている双子の息子たちの合格祈願にと出向いたのだが、土曜日とあって参拝者でごった返していた。



2年前にも長男の合格祈願にと伺ったことがあったので、なんとなく勝手はわかっていたのだが、お守りを購入し、参拝の列に並びながら賽銭用のお札を用意して順番を待っていると、うしろの方がそのお札の金額に驚いた様子であった。

長男の際にも同じ金額を賽銭箱に投下した経緯もあり、二度目ということでケチるわけにもいかず、しかも今回は双子ということもあって2枚の福沢諭吉を「エイヤッ!」と放り込んだのだ。



賽銭にそんな大金を、と思われるかもしれないが、わたしができることといえばこの程度しかないし、せっかく文京区まで来たのだ、神頼みを心底信用しているわけではないが、やらないよりやった方が気持ち的に納得できるという観点からの親バカな行動である。

わたしは特別な信仰心もないし、運を天に任すような行為が人生で効果をもたらすとは思ってはいない。だが、商売などで悪い空気に飲み込まれた際にお祓いをしたり、墓参りをしたりと、目に見えないチカラにお願いをしてしまう弱い部分があるのも自覚している。



今でも会社を引き継いだ7月には必ず先代の祖父の墓参りは欠かさないが、10年前に苦境から思わず心の中で「なんとかしてくれ!」と懇願したことを白状する。当然のことながらそれで事態が好転するわけでもなく、人には漏らせない弱気な部分をぶちまける機会として、罰当たりであるが利用していた時期がある。

わたしも普段から意識もしていない見えないチカラに、都合のいい時だけ懇願したところで何かが変わるとは期待していない。だが、なんとなく姿勢だけは忘れないようにと定期的に一人で訪れる墓参りや神社には心をリセットして前向きにさせる効用があると思うのだ。



双子の息子に関しては、今時期であっても努力不足の感が否めないが、父はやることだけはやったぞ、と2枚の御守りと「入試突破」と印字されたはちまきを渡してやろうと思った次第。

自身の姿勢を見つめるために天に手を合わせる行為は有効


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