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1年の総括、数字の裏に本質は見えているだろうか?

年間の総売り上げやその他の数字に関して、自分なりの分析理由が述べられるだろうか、という話

今日で3月も終わり。いわゆる年度末ということだが、3月を決算期としている弊社にとってはとりあえず1年間走り切った総括と感慨とが入り交じる時期である。

今期の感想としてはまずまず。全体的に事業の整備に重きを置いていたという点と、前年度がかなり振り切っていたという点もあって、売上高は下がっている。

前年度の売上げの貯金分や、その売り上げに対する評価をもとに実行した借入による余裕もあって、1年間じっくりと環境を整えることができたように思う。

しかしながら、この1年の整備は跳躍前の助走にあたる期間であって、この助走を延長するつもりはない。長ければその後の跳躍が飛躍的に伸びるというものでもないと私は感じている。ある程度整ったらあとは進めながら軌道修正していく方が効率がいいと考えているからだ。

分析や計画をいくらやっても実行後における成功の確率は読めないのと同じで、区切りをつけて補正していくくらいの感覚で、今度は行動重視にギアを入れ替えていくことの方が重要になる。

という風に自分の中で売上げの推移などに対して、ある程度理解できていると、そこまでの大きな不安に襲われることはない。「さあ、また走り出そう!」といったぐあいか。

逆になぜ売上げが上がっているかわからない、売上げが下がっているかわからない、といったことに関して、理解を示さないどころか、「商売は水物」といって流れに任せるという姿勢でとらえることを危険な状態と考えてしまう。

外部環境の変化や流行などの自身でコントロールできない領域はあるとして、売上げの推移のすべてが非コントロールであるはずがない。そうであるならば努力は無意味だし、商売が運任せなら宝くじとなんら変わりはないということになる。

むしろ、私はその売上げの正体を知る行為が商売だと思っている。なぜその商品が支持され、なぜ価値を生み、なぜ廃れていったのか、そうした「なぜなぜ」と日々向き合うことで会社の存在意義が磨かれていく。

8年程度、会社を経営したくらいで偉そうなことはいえないが、それでも本年度の売上げと数年前、業績を回復し始めた売上げが同じような数字であろうと意味がまったく違うという認識だ。

理解して走り切ったゴールと、しんどさから目をつぶって走り切ったゴールとでは内容も得た知見も違うのだ。数年前の当時は資金面や心の余裕のなさからとにかく1年走りきる、ということが目標であり、それ以外は考えていなかった。

そう考えると売上げの向上と心の余裕(大半はお金の余裕)はセットだということに気付かされる。無駄をそぎ落としながら、毎月5万円の貯金を死守していたことで免れた数々のピンチのトラウマか、必要なくなった今でも毎月5万円の貯金は習慣化されている。

冷静さを獲得する意味でも余裕を生む仕組みを考え、回す。目をつぶってしまっていては理想のゴールテープはいつまでもきれない。

いい時も悪い時も、俯瞰して自社の状況を直視することが商売の本質だと思う



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