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「探究について」~対談part1~    

おもちゃクリエーター 高橋晋平 さんと対談をさせていただきました。

今回の基本的なテーマは「探究」です。
ですが、お話しをしているうちに「教育」や「子育て」のお話しにも内容が広がっていきました。それらを含めて、まるでカフェで隣り合わせになった人の会話が、耳に入ってきてしまった…という感覚で読み進めていただけますと幸いです。

※いつも私は高橋さんのことを、「晋平さん」とお呼びしているので、以下の表記もそのようにさせていただきました。

 

川端:.本日のテーマは探究ということで、本日はどうぞよろしくお願いいたします。

晋平:よろしくお願いします。さっそくなんですけど、世の中には小・中・高・大っているじゃないですか。プログラムをやるとなると、特にどこら辺の年代のお子さんからやりたいって、あったりするんですか?

川端:実は、全部やりたいんですよ。私が自分の事業を立ち上げた理由として、前職の時に高専生を見ていて、「ここに至る前に、それまでの教育課程でやっておいた方が良いことが色々あるのに…」と思うことが様々な場面で多かったんです。

もっと溯っていって、小さいうちからのリベラルアーツを考えていなければいけないと思ったんですよね。それで高専を辞めて、自分で事業を起こして、そこでやっていこうと思ったんです。子どもの色んなことを育んでいこうと考えたときに、ある程度の年齢になってしまったら、色々難しくなってしまうと感じていて。だから、「子どもたちそれぞれの特性を大事に育んでいきたい」と思うのであれば、もっと小さいうちから「自分の中で考える」、「考えることを許してもらえる場」を作るということをしていかないと、叶っていかないな……って思ったんですよね。

晋平:そうですよね。僕は、中高生向けの「自由すぎる研究EXPO」、大学生向けの「ゲームアイデアコンテスト」という探究に関わるイベントにも携わっていま すし、全国の中高大学には探究の講義に伺っているのですが、小学校を訪問させて頂く機会は少ないですね。地元の秋田県くらいです。自分が作ったおもちゃが届くことはあるけど、それ以外で小学生に探究をどいういう方法で伝えられるか考えています。

川端: 私が思うに、小学生は勉強することのスタイルに慣れている子と慣れていない子がいて、どちらかと言うと、まだまだまだ分からない状態でいると思うんですね。だいたいの子供たちは、「勉強しましょう!」のスタイルは嫌なのだと思うんです。だから、楽しい感覚でまるで遊びのような感じが良いのではないかと考えています。実験的なことだとしても、それがいわゆる「実験やりますよ」という体ではなく、まるで遊んでいるかのようにしていかないと、子ども達が望んでやらないんじゃないかと思うんですね。それをやって楽しい!というものがないと、小学生って次のことに繋がっていかないと思うんです。

なので、そういったワークショップ的なものを日常的にやっていければ、楽しくやれると思うんです。ただ一番の問題が、多分、それをするための予算や人的要員が少ないということです。

晋平:そうですね。

川端:そうなんです。公立学校では是非ともやってもらいたいんですけど、なかなかそういったものに使える予算が、立てられていないのではないでしょうか。

晋平:そうですよね。例えば本を使うとか、それこそメディアを使うとか、それらで何かできることありそうに思っているんです。自由研究をやる子は全国でも多いですが、うちの子の場合、2年くらい前に、ちびまる子ちゃんの自由研究本を買ったんです。よくできている本で、書店でもたくさん並んでいるんですよ。

この本を作った人ってすごい貢献してるなと思っていて、この本に書かれていたことが、「研究のテーマなんていうものは、どんなんでもいいんだ」と。この本ではまる子が、「時計に合わせて暮らす場合と、時計を意識しないで暮らす場合の違い」みたいな研究をしていました。

自由研究っていうのは、課題を探して➡仮説を出して検証し➡一回結論を導いたうえで次の課題をまとめていく……みたいな感じですよね。全部それで当てはまるよ、ということを小学生に伝えているすごく良い本だなと思いました。小学生に対して、わざわざ全国的に学校に入らなくても、ここまでインパクトを与えることができたと思うんですよね。やっぱりメディアってすごいなって思いますね。

川端:そうですね。そういうのが出せればいいですよね。ただ、その「ちびまる子ちゃん」っていう、誰もが知っている、既に出来上がったものがあるからできることですよね。

晋平:そうなんですよね。メディアをで情報を届けるのはなかなか難しいですよね。YouTubeなんかは、がんばって作ってもそう簡単に多くの人に届かないし。

川端:そうですよね。何するにしても、ごくごく一部の人のことしか伝わっていかないっていうか。

晋平:本当そうで、でもそれももちろん意味は大きいと感じているんですよね。結局、その土地一か所での塾形式みたいなものが、成立しやすいモデルなんですよね。届く範囲と届く人数は限られてしまいますけれど。

学校は国を中心としたネットワークだから、そこに一気に届けたいコンテンツを届けるのはなかなか難しいですよね。。

川端:私自身も悩ましいところなんですけど、私がやろうとしていることも、とんでもない世界に切り込んで行っている様な気がするんですね。どこに頭を突っ込んでも難しいな……と思っているんです。せっかく起業したんだから、とこかに営業に行くということが勿論あるのですが、何か私の中で足踏みしちゃうものがあったり、先が見えてしまう部分もあったりして……。

晋平:それってもしかして、最初から大きく広いところでやろうとしてるからなんじゃないかと思うんですよね。僕だったら、いずれ大きく育てないとしても、小さくて狭いところからスタートしますね。

例えば、アンガーマネジメントゲームっていうイライラを減らすカードゲームを開発し、現在はバンダイナムコグループの株式会社メガハウスというメーカーさんから発売されています。そこにたどり着くまでに5、6年ぐらいかかっているんですね。

川端:それって、アンガーマネジメントの協会ができる前からですか?

晋平:これは日本アンガーマネジメント協会さんのプロジェクトですね。現在は子ども版も合同出版社さんから出て書店にも並んでいて、全国に広く届いています。

川端:すごいですね。

晋平:川端さんはもしかしたら、それはもう全国に波及せねばという、強い使命感を持っているかもしれないけど、まずは手の届く人達を幸せにすればいいって僕は思っちゃうというか。

川端:基本的に私もそんな感じですかね。私の事業のホームページのトップに、「半径5メートル」って書いてあるのですけれどね。そこからじゃないと変えようがないって言うか。

それを何年先、もう何10年も先までかかってやることになることだと思ってるんですね。私の名刺の裏側には私の想いが書いてあるのですが、私の名前よりも何よりも、この「想い」を読んでくださいっていうことを添えて渡すんです。それが今私がやろうと思っていることじゃなく、未来に向けてどういう想いを持っているのかが書いてあるんです。それを私が生きている限りヒタヒタとやるというのが、まさに「半径5メートル」からやっていくしかないということなんですね。

ただ考えているのは、今子ども達と色んなワークショップなりプログラムをやっていく先に、何を見ているかということです。現代の子どもたちが2040年・2050年になった時には、既に大人になってるわけですね。その大人になった今の子ども達が、私が今思っている「理想の教育の姿」の中にあって、その時代にふさわしい新しい社会を創造できている世界であって欲しいと考えているんです。

だから、私が生きてる間には、もしかしたら見ることができるものじゃないって、実は思っていて。慰めとして私と触れ合った人達の未来で、それが叶うんだって思うようにしています。だからそこをどう動いていくのかというところで、ずっと考えあぐねているところです。

晋平:つまり、まず自分たちで問いを探して興味あること探して調べてみて欲しいなって思っている……というところで大体合っていますよね。

川端:整理してくださって、ありがとうございます。そうですね。それを誰かにやらされることじゃなく、自分の中から本当にそれをしたいって思うものを見つけ出すというか、それに繋がるような感じですね。でもそれってすごく難しいことなんですよ。自分の思うところの「それ」が見つからなくて、先生方や子供たちがそれぞれに困っているんですね。なぜできないのかと言うと、子どもたちってそれを許されてないんですよね。

自分で考えて思うことは横に置かれて、親から「あれしろ、これしろ」という流れになってしまうことが多いように感じるんですよね。「幼稚園に行きました。」「学校に行きました。」という人生の流れの中で、その場所での決まりごとが多過ぎて、「自由にして良いよ。」という、自分が考えて選ぶことをさせてもらう経験が少ないように感じているんです。

晋平:そうですね。我が家も典型的な流れを踏んでいますね。そもそもまず幼稚園の段階で、周りから受験などの情報が入ってきて不安になってしまう。小学校へ入ると、中学受験をするかしないかという選択肢も出てきますよね。それも結局、高校受験のことも見据えていたりして。

自分が育った時代の地元秋田県には中学受験などなかったし、私立の高校もほとんどありませんでした。だから今、それと違う環境で育っている自分の子どもたちのことは悩んでいまして。一方、僕の生まれ育った秋田県は、小・中学校の成績が全国トップクラスなんだという話しがあったりして。

僕たちって小学生時代に遊びまくっていた思い出があるじゃないですか。今の子ども達を見ていると、習い事とか塾みたいなので生活が埋め尽くされていて、気づいたら中学生になっている……というのは、寂しく思ったりもしますね。時代が違うので、今の子ども達の感じ方は分かりませんが。

川端:本当にそうだと思いますね。

晋平:遊ぶ時間もなかなか捻出できずにいるという……。

川端:そうなんですよ。それを問題だと思わずに、親達はそういうことが当たり前の感覚で、公園などでそういう話をしていますね。それってある意味、どこか偏った世界のようにも思うんです。良い学歴を歩むことの為だけに、生きているんじゃないように思うんですよね。

晋平:まあまあ、そうですよね。

川端:確かに良い就職先のためには、良い大学に入ることが前提で、その先にお金があって裕福な暮らしをするためには、それも一つの手段かもしれないのですけれど。果たしてそれが全てかというと、それだけじゃないような気がするんですよね。

晋平:いや、そうですね。でも、親たちは子どもの幸せを願っている訳ですからね。

川端:そうですよね。基本的に親は、子どものために良かれと思っていますから。そのことについて深掘っていったときに、純粋に誰のための幸せなのか?とも思うんですけどね。

話しは少しそれますが、私、子育てしててすごく幸せに感じたことが何回かあったんですけど、少しお話しをしますね。娘が大学卒業してすぐくらいの時に友達と話していて、「自分の人生の中でどこが一番楽しい瞬間だった?」っていう話になったそうなんですね。それで娘が「幼稚園の時が死ぬほど楽しかった。」って言ったら、みんなに大爆笑されたって言うんですよ。

娘は大爆笑の意味が分からなかったみたいなんですけど、その場にいたお友達がみんな涙を流して笑っていたらしいんですね。お友達は、「幼稚園の何がそんなに楽しいの?」って思ったらしいんですよ。

みんなが育ってきた幼稚園と、私の子ども達が通った幼稚園が、あまりにも違い過ぎたからなんでしょうけれど。その違いを私が娘に説明をして、「そういうことなんだね」っていうところでやっと、娘は腑に落ちたわけなんです。娘の通った幼稚園は、とにかく遊び中心の幼稚園だったもので……。

あと、娘が大学生になったばかりの頃に、バスに一緒に乗っていたんですが、バス停のちょっと手前のところで信号で止まったんですよ。窓の外を見たら背の高いマンションがあって、その1階に保育園が併設されていたんです。保育園のその前に歩道があって、その歩道の間とマンションまでの間に柵がある状況だったんですね。私が、「保育園がこんなところにあるんだね。多分このマンションに住んでいる親御さんが使うんだろうね。」みたいな話を娘にしたら、娘の第一声が、「子ども達はどこで遊ぶの?」だったんですよ。

私はその時、娘がそういう視点で子ども達の生活を案じていることが、す ごく嬉しく思いました。

「そうだよね。あなたの育った幼稚園は、全力で走り回れる園庭があったよね。」って話していたんです。そういう疑問を持つという、もしくは、その視点を持っているということに、幸せを感じたんですよ。

私にとって、子育てをしていて幸せを感じるものって、こういうことなんですね。自分の子どもが「こういう会社に勤めました。」っていうことは、単なる人生の1点であり、根本的な部分では、私の喜びじゃないんですよ。私の喜びは、子ども自身が何を思い・考え、どういう視点で生きているのか?という感じで、どこで勤めていようが何をしていようが、そんなに重要ではないんです。

晋平:それで言うと、僕は別に探究学習をさせたいとも思っていなくて、表現するなら「遊んでほしい」んですよね。探究学習って小学生にとって、なぜ必要なんですかね?

僕、小学校の時に、夏休みの宿題の自由研究を6年間中4年ぐらい、結構一生懸命やったんですよ。親の手伝いもかなりあったんですけど。それは今も良き思い出として残っていて、あの時すごく頑張ったな、みたいな。

川端:ちなみにどんな探究だったんですか?

晋平:2年生の時が、ひまわりの観察かなんかで、4年からが本番なんですけど、4 年が「天気予報調べ」っていう研究で、毎日天気を調べて、実際の天気と天気予報を比べて、どれだけ当たっているかひたすら書くという。その日の雲は積乱雲だとか、何雲だ?とか。

それで最後の一文をめっちゃ覚えてるんですけど、テレビの天気予報はあまり当たらないことが分かったって書いてあるんですよ。で、それを町の自由研究発表会で発表したんですけど、めっちゃウケて。

川端:(笑)

晋平:5年生の時は、pH試験紙っていう酸性アルカリ性を測る紙を、大量に手に入れて、いたるところの水分を、それこそ家の中も外も旅行先みたいなとこも全部測って、酸性かアルカリ性か書くみたいな研究でした。そして6年生の時がかなりシュールだったんですけど……軽石って分かります?秋田県の住んでいたところが、軽石が結構出るところだったんですよ。

4、5年生までは親のアドバイスが結構あったんですけど、いよいよ6年生で、自分がもう全部やるんだ!と。テーマから何から自分でやりたいと思ったんです。ノコギリで軽石を切って、中がどんな空洞なのか、どんな形なのかなど、色々 な軽石を調べるわけなんですけど、だから何なんだ?みたいな話になってしまって……。

完全オリジナルとかいうのを求めて、全部自分で考えてやったら、仮説も結論も何もない研究になってしまったんです。これは大切な成長の過程だったと思うんですよね。

 対談part2につづく~


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