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ひと夏の奥多摩

早朝に家を出て友人と三人で奥多摩に赴いた。
コロナウイルスの感染拡大で「特別な夏」に位置付けられているこの夏は合宿や旅行はおろか、在学中最大の行事であるカナダ研修もなくなってしまったので、日帰りで奥多摩・浅間嶺への登山を計画した。
大岳山には昨年訪れていていたので武蔵五日市方面へは二度目だったが、麓にある東京有数のエコツーリズムの名所・払沢の滝での撮影はなかなか新鮮そうに思え、朝から心を躍らせていた。

拝島から乗り込んだ青梅線の車窓からは、サマーランドの観覧車を遠目に、多摩の田園風景が広がる。鋭い日差しが射し込む平日朝の車内、サラリーマンと思しき人々は早々に降りて行った。
乗客も少なくなったころ、武蔵五日市駅に到着した。バスに乗り込んで払沢の滝へむかう。若干車内は混んでいるが、日常の交通手段として使っている人が多いようで、滝の入口に着く頃に乗客は3分の1くらいになっていた。
僕らを降ろしたバスはすぐさま走り出し、ひどい暑さにこぼれた愚痴に熱風を吹き付けて去っていった。容赦ない日差しに加えてアスファルトの照り返しがきついが、足を進めていくとすぐに森に入った。滝までの整備路にはウッドチップが撒いてあるくらいなので観光地として十分に整備されているようだが、まだ僕らのほかに人影はない。

森を進んで行くと、前方からの轟轟と響く音に足が早まる。滝には2、3人の先客がいて、周囲もまだ暗かったが、滝そのものには光が差し込んでいる。澄み切った水は見ているだけですがすがしい。

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撮影をしながら滝を見上げると、滝には一種の魔力があるようにも感じられる。まき散らされた水しぶきで心の奥底まで洗い流されるような感覚。弱まることなく響き続ける滝の轟音も、非日常性を増幅させている。
アスファルトの上のミストは多忙な現代人に涼をもたらすが、滝とはまるで比べ物にならない。どうやら、弱まらずにうなりつづけるという滝の半永久的な側面も、どこか人工物にない力強さを感じさせているようだ。

時間が経つにつれて観光客も増えてきたので、滝を後にして、秩父多摩甲斐国立公園・浅間嶺を目指す。
途中、民家が点在する林道を進んで行くが、猛暑という予報通りの気温と、燦燦と降り注ぐ日差しに体力を削り取られる。

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垂れる汗と重い足取りのせいで下を向きがちだが、峠の手前で顔を上げると、そこには日光に照らされる美しい山容が広がっていて、遠目にはかすかに多摩のビル群が望めた。

その後も12時台の登頂を目指し、前進を続ける。水分と塩分を頻繁に補給しながらではあるが、この暑さでの登山は何か試練に臨んでいるような気分だ。

車道を抜けると沢沿いの道に出た。沢沿いは車道に比べると圧倒的に涼しい。しばらく進んでいった水場で一人の男性とすれ違ったが、この猛暑とコロナ自粛のせいか、数人しか登山客はいなかった。次第に軽くなっていくペットボトルを片手に汗を拭う。流れ出る汗はどこか不快感をもたらすが、風が吹くと気持ちいい。心臓の鼓動が頭までこみあげてきて、まるで心臓が全身に叫んでいるようだった。
重い足をどうにか持ち上げていくと、やがて林が開け、山頂に到達した。
12:30、 浅間嶺登頂。

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内から熱がこみ上げてくる体をベンチで落ち着かせる。夏にしては空気が澄んでいて、奥多摩の山々が見渡せるのはもちろん、のっぺりと広がる夏らしい雲の先には富士山まで望めた。ここまで耐えてきたからこそ得られる景色と思うと、不意に感動で ため息をついてしまう。

昼食をとり、登りの疲れをとる。
午後1時を回ったところでステッキを両手に、下山を開始した。まだまだ暑かったが、登りより足取りが軽い。会話を楽しみながら少し速足で下っていくと、あっという間に沢、峠へとたどり着いてしまった。水分補給を忘れずにバス停を目指す。午後になっても青空が広がっていて、強い日差しが降り注ぐ。滝の前の駐車場を抜け、下山を終えた。

次のバスまでに時間の余裕があったので再び払沢の滝に赴く。朝は薄暗く人影も少なかった整備路も、人で埋め尽くされている。滝の前では家族連れをはじめとして多くの人が写真撮影を楽しんでいる。混んでいるものの滝の前はいるだけで涼しく、休むのにも最適だ。

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しばらく滞在した後、荷物整理をしてバス停へ向かう。バスで武蔵五日市駅まで20分ほどの予定だったが、払沢の滝を訪れた多くの自家用車が渋滞をなしているせいで思うように進まない。結局35分ほどかかって武蔵五日市駅に到着した。

拝島駅で西武線に乗り換えることになったが、拝島駅の構内は、遠くの窓の先に見える奥多摩の山々と、まっすぐ伸びた連絡路がまるで美術館のような美しい光景をなしている。

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ここで西武線に乗り換える。まだ日差しが強く暑い。だが、その後しばらくして高田馬場で降りると、都会の空気は熱気を帯びていて体にまとわりつくような暑さがあった。もう夕方に近づいているというのにも関わらずこの暑さなので、人々もため息をついて汗を拭っている。
都会に降りてきた、というやつだ。

山から帰ってくると毎回感じる特殊な感覚がある。いつもの日常が逆に新鮮に感じられるのだ。今日も西武線を降りた高田馬場から自宅までの帰路が、すこし新鮮に思えた。
「非日常」から「日常」に連れ戻されると、逆に「日常」が新鮮さを帯びる。よく考えれば不思議なことなのだが、なんだか、わからなくもないような気がする。
汗だくでたどり着いた自宅で登山靴を磨きながら、そんなことを思った。

へいすてぃ(論説委員・高校1年)

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