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おい主人公

 今、この原稿は福井駅へ向かう特急列車の車内で書いている。新幹線ではなく、在来線の特急なので文字通り揺られながらパソコンを開いている。
 何故、このコロナ禍において福井へ向かっているのかといえば、永平寺で行われる首座法戦式に随喜するためである。
(世田谷学園の中学3年生以上の生徒であれば、DVD「法戦」を観たことがあるだろう。)

 首座とは、修行僧の第一座として修行生活をリードしていく人物であり、首座が住職に代わって仏道の肝心な部分を修行僧に説法する儀式が、首座法戦式である。
 この度、永平寺様の首座に学園OBが任じられ、研修日を活用して福井へ向かっているという訳である。

 この首座とは、曹洞宗の僧侶であれば誰しもが経験する人生で一度の大役である。こと首座法戦式においては、様々な仏道に関する激しい問答を繰り広げる。まさに首座は法戦式における主人公と言っても過言ではないだろう。

 主人公という言葉を聞くと、必ず思い出す言葉がある。
「おい主人公、目を覚ましているか」
 この言葉は櫻井乘文元校長先生が全校朝会で仰ったものだ。
 その当時はほぼ毎週全校朝会があり、その度に校長先生が様々なお話をしてくださっていた。この言葉は、数多ある話の中でも、特に強烈に印象に残っている。

 この言葉の来歴を調べてみると、中国におられた瑞巌禅師という方にたどりつく。
 禅師は毎日、自分に「おい主人公」と呼びかけ、自分で「はい」と返事をしていたと伝えられている。側からみれば少し、いやだいぶ変わった人に見えたことだろう。しかし、よくよく考えてみれば、自分に備わっている本来の自己、自分自身を見失わない最高の方法ではないだろうか。きっと私の記憶にある櫻井先生の言葉は、この話を紹介してくれた時のものであろう。

 中学・高校は時に自分とは何かを見失い、周囲や一時的な感情に流されてしまう時期でもある。本来の自分が目を閉じ、暗闇の中を手探りで進むようなものだ。しかし、その暗闇は目を閉じているから生じているのであって、本来の自己の周りには光が満ち溢れている。

 最後にもう一度、櫻井先生の言葉を引用してパソコンを閉じよう。
「おい主人公、目を覚ましているか」

稲垣 了禪(いながき りょうぜん・宗教科)

Photo by Nick Tong on Unsplash

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