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形あるもの、形なきもの

 そろそろクリスマス。中学生だと、まだクリスマスプレゼントをもらえるのだろうか? PS5、モンハン、walkman……欲しいものはいろいろあるだろう。でも、そのプレゼントは誰からもらうのだろうか。サンタクロースと答える人は、これを読んでいる人の中にいるのだろうか。

 昨日の投稿でも触れられていたが、サンタクロースにまつわる有名な実話がある。アメリカのヴァージニアという8歳の女の子の話だ。
 彼女はクリスマスプレゼントはサンタクロースが持ってきてくれるものだと固く信じていたのだが、周りの友達はサンタなんているわけないし、プレゼントは親が買って置いてくれたに決まっていると言う。たまらず、父親にどうなのかときいてみると、父親はThe Sun(アメリカの有名な新聞)に書いてあればそれが事実だろうと言うので、彼女はThe Sunの編集部に手紙を書いた。

「私の友達はサンタなんていないって言うんだけど、私はいると思うの。パパはThe Sunに書いてあればそうなんだろうって言うから手紙を書きました。教えてください。サンタはいるの? ヴァージニア」

 この手紙を受け取った編集部は、非常に気の利いた返信を紙面に載せた。大筋は次のようなものだ。

「ヴァージニア、君のお友達は、懐疑主義にとりつかれているんだよ。彼らはみな、目に見えないものは存在しないと信じているんだ。でも、目に見えないものは本当に存在しないのかな? 例えば、愛や優しさはどうだい? 君は愛や優しさを見たことがあるかい? ないよね? じゃあ、愛や優しさは存在しないのかい? そうじゃないでしょう。君はパパやママの愛や優しさを、目には見えないけれど、しっかりと感じているでしょう。確かに目に見えれば、その存在ははっきりとわかるし、それがどういう構造になっているかも理解できるよね。でもこの世の中には、人間には理解できないことがたくさんあるんだ。いや、人間が理解できているものの方が少ないのかもしれない。そして、目に見えないもの、つまり人間に理解できないものの方が、大切なことが多いんだよ。だって、目に見えるものは必ずいつか壊れるけれど、目に見えないものは、私たちが信じる限り、ずっと心の中で生き続けるでしょう。ヴァージニア。サンタクロースはいないかって? います。サンタは私たちの心の中に、今も昔も、何百年先も何千年先も生き続け、子供たちに夢を与え続けてくれるんだよ。」

 なんとも素敵な返事ではないか。読んでいて心が温かくなるし、元気がみなぎってくる。
 確かに、現実に欲しいものはあるし、それらには形がある。形あるものが手に入れば、そのときは嬉しい。けれど、そういうものは、いつか必ず飽きてしまう。例えば、買ってもらったゲームをクリアしたら嬉しいかもしれないけれど、その喜びを伝える相手が誰もいなかったらどうだろう?「え、もうクリアしたの。すごいね。」って自分を認めてくれたり、「そうそう、ラスボスはむちゃくちゃ強かったよね。」って共感してくれる、そういう相手がいてこそ、形あるものの良さが増すし、またやろうという気持ちにも繋がってくるのではないだろうか。

 浅田次郎著の「蒼穹の昴」という本がある。
 貧しい家に生まれ、燃料になる馬糞を拾って売り、命をつないでいた主人公、春児(ちゅんる)に、星占い師が「お前の星は昴。宇宙を司る星だ。やがては西太后に遣え、そのお宝を全て手に入れることになろう。」と運命を告げる。実はこのままいけば家族もろとも飢え死にする運命をあまりに不憫に思った占い師が、春児に嘘のお告げをしたのだが、春児は数奇な運命を経て、そのお告げ通りに西太后の遺産を受け継ぐ資格を持つ者へと出世する。

 その春児の台詞にこのようなものがある。

「あのとき白太太(占い師)は、おいらに夢をめぐんでくれた。白太太は、一等大事なものをおいらにめぐんでくれたんだよ。豆や粥は糞になりゃおわりだけど、腹の中にずっとこなれずにあるものを、おいらにくれたんだよ。嘘だってことはわかってたけど、夢に見るだけだって有り難えから……」

 そう、まさにサンタクロースと同じ、形はないけれど永遠に心の中に持ち続けられるもの、それが夢なのだろう。
 お腹の中にこなれずにずっと存在するもの。僕もそれを持っていたいと思う。なぜなら僕は、教育という、形なきものを生業(なりわい)としている人間だから。今の時季、そんなセンチな気分になっても神様は許してくれるだろう。街にジングル・ベルが聞こえる……

(英語科教諭)

Photo by Kira auf der Heide on Unsplash

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