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吉見百穴

 2015年2月に埼玉県吉見百穴に行きました。

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 比企郡吉見町(東松山市の隣)にあり、都内から車で2時間ほどです。

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 入場すると、岩山に無数の四角い穴があけられているのがわかります。さて、何の穴でしょうか?

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 穴の中をのぞくと、ベッドのようにくりぬかれています。
 吉見百穴が考古学的に注目されたのは明治時代になってからで、当時、東京大学の大学院生であった坪井正五郎が調査を行い、貴金属類や土器が発見されたことから、「コロポックル(アイヌの伝承に登場する小人)の住居である」と考えられました。

 しかし、その後の考証により、ベッドのような構造は遺体を安置した場所で、出土遺物は副葬品であることがわかり、コロポックルの住居ではなく、古墳時代後期(6~7世紀)の横穴墓群(群集墳の一種)であると考えられるようになりました。

 古墳時代というと、皆さんは前方後円墳を思い浮かべると思いますが、前方後円墳はヤマト王権の大王や、ヤマト王権に従った地方豪族のみが作ることができた巨大な墓で、ヤマト王権の会員証的なものです。

 しかし、古墳時代後期になると、有力農民層なども小規模な古墳を密集して作るようになりました(群集墳)。
 この吉見百穴も、その1つであると考えられています。

 吉見百穴のもう一つ面白いところは、太平洋戦争末期に、空襲から逃れるため地下に飛行機の軍需工場を作るため、岩山の中がくりぬかれている点です。

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 この洞窟には、関東地方では珍しいヒカリゴケが自生しています。

 帰りは川越に寄りました。
 「小江戸」とも呼ばれる川越ですが、江戸時代は関東の物資を収集する蔵が立ち並び、江戸の台所としての役割を果たしていました。
 現在でも、江戸時代の風情を残す町並みが保存されており、外国人にも人気の観光スポットとなっています。

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高瀬 邦彦(たかせ くにひこ・地歴公民科)

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