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「軍隊」ではなく「ゲリラ」として(『建築家 安藤忠雄』レビュー)

 都内にも安藤忠雄の設計によるものは色々あるが、身近なものとしては東急東横線の渋谷駅や表参道ヒルズなどが挙げられる。また、アートとのつながりでいえば、瀬戸内海の直島にある地中美術館は外せないだろう。2017年には国立新美術館で開館10周年を記念し、「安藤忠雄展―挑戦―」が開催された。会場には安藤の代表作の一つでもある「光の教会」が実寸大で再現されていた。著名な建築家であり、コンクリートの打ちっ放しを見ると、全てが彼の作品にみえてしまうぐらいに強い感化力を持っている。

 そんな安藤の足跡を本人の言葉をもとに辿ることができるのが、この本である。
 そして、そこに挿入される言葉がたまらなくかっこいい。

われわれは、
一人の指揮官と、
その命令に従う兵隊からなる
「軍隊」ではない。
共通の理想をかかげ、
信念と責務を持った個人が、
我が身を賭して生きる
「ゲリラ」の集まりである。

 これが安藤の設計事務所を表した言葉だ。

 そこに至る安藤の生い立ちも興味深い。
 安藤は生まれてすぐに母方の祖父母の家に引き取られたという。その祖母は、学校教育には無頓着で、家で宿題などしようものなら、「勉強は学校でしろ」と怒るような人物であった。だが、「約束を守れ、時間を守れ、うそをつくな、言い訳をするな」と、日常的なしつけには厳しかったという。
 「大阪商人らしく、自由な気風を好んだ祖母は、子供に対しても、自分で考え、決めて、自分の責任で行動する、独立心を求めた」と安藤は記している。
 独学で学ぶ姿勢はそこに由来するのかもしれない。

 そして、安藤は一九六四年、日本で一般の海外渡航が自由化するとすぐさま、渡欧を決める。そこで初めての世界と出会う。

抽象的な言葉として知っていることと、
それを実体験として知っていることでは、
同じ知識でも、
その深さは全く異なる。
初の海外旅行、私は生まれて初めて、
地平線と水平線を見た。
地球の姿を体得する感動があった。

 安藤は個人住宅の設計を進めつつ、都市にも目を向ける。

都市の豊かさとは、そこに流れた
人間の歴史の豊かさであり、
その時間を刻む空間の豊かさだ。
人間が集まって生きるその場所が、
商品として消費されるもので
あってはならない。

 第10章「子供のための建築」にはこんなことも書かれている。 

 遊んでいてガラスにぶつかったとしても、「子供の側への注意を促す」という議論は一切なく、“ガラス”の加害責任ばかりを追及する。その責任から逃れるために、つくる側も、今度は当たっても割れないガラスだとか、さらにはガラスを使わないといった消極的な方向に流れていく。
 巷では個性を伸ばす教育といった教育改革の文言がよく聞かれるが、子供の個性、自立心を育てようという発想と、危険のありそうなものは全て排除して、徹底的に管理された環境で保護しようという発想は、全く矛盾している。ガラスに当たったら危ないことも分からないまま育つ子供に、自己管理能力は身に付くだろうか。そんな過保護な状況にあって、果たして“生きている”緊張感、自分で何か工夫して問題を切り抜けようという創造力が育つだろうか。
 今の子供たちの最大の不幸は、日常に自分たちの意思で何かが出来る、余白の時間と場所を持てないことだ。

戦後日本の経済一本槍の社会が、
子供から、空き地と
放課後を奪った。
子供を“過保護”の
世界に閉じ込める
家庭と社会のシステムが、
子供の自立を阻んでいる。

 安藤の思いや考えが建築とともに立ち現れてくる。そこにある確かな手応えが伝わってくる。先入観なく建物を味わうこともよいけれど、建築家の思いを知って出会ってみると、また違った感慨を抱くことができるだろう。安藤の作品を知るための図録代わりでもよいし、散策のためのガイドブックとしてみても面白い。地中美術館の三角の空も見上げてもらいたい。安藤の建築に限らず、体感に結びつく建築の感覚に向かうきっかけになればと思う。

 そして、なにより安藤という一人の建築家の生き様に触れることが、この本の大きな魅力となっている。

最初から思うようにいかないことばかり、
何か仕掛けても、
大抵は失敗に終わった。
それでも残りのわずかな可能性にかけて、
ひたすら影の中を歩き、一つ摑まえたら、
またその次を目指して歩き出し――。
そうして、小さな希望の光をつないで、
必死に生きてきた。

 この本を読み終えて、進みたいという気持ちになれたこと。それがこの本を取り上げた素朴で一番大きな理由だ。中学生や高校生には、どう響くのだろうか。それも知ってみたい気がする。

(国語科教諭)

Photo by Mockaroon on Unsplash

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