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受験で最も大事な科目は「現代文」である。現代文の何が利点なのか。

みなさんこんにちは!
学習PROJECTの富岡です!

長年大学受験講師として受験に携わってきた私が思う、受験で最も大事な科目についてお話ししたいと思います。

あ、もちろんこれは私個人の話です(笑)。
ただそれなりに参考にしていただけるところもあるんじゃないかと思うわけです。

結論から言うと、私は「現代文」が最も大切だと考えております。
同等なレベルで数学も大事だとは思うのですが、やや現代文がリードしていると思うのです。

読者の方の中には「え、英語じゃないの?」と思う人もいるでしょう。
確かに受験ではやっぱり英語がものをいう。
それは間違いないのです。

ですが、総合的な学力を下支えする科目は現代文なのであります。
現代文の力がないと、あるところで急に成績の伸びがストップします。
頭打ちになってしまうんです。

現代文をきちんと勉強すると、その頭打ち状態から抜け出して、飛躍的に成績を上げることができるのです。

では、いったい現代文という科目にはどれだけの効果があるのか?
いくつかの点からお話ししてみたいと思います。

①哲学的思索により深い思考を可能にする。

現代文、特に評論文と呼ばれるものの多くは、どんな分野であれ哲学的な思索が行われています。
私たちが考えもしなかったレベルでの深い思考が展開されているのです。

文章を丹念に紐解くことで、そうした思索を自分のものにできるのです。
こうして文章にあたるうちに一段、二段と思考が深まっていきます。

私たちが冷静に、注意深く物事を考えられるようになるためには、哲学的思索をしてきた諸先輩方から学びとるのが最も効果的でしょう。
文章に出会うとは、深い思考を持った他者との出会いなのです。

ここで培った哲学的思索の態度は間違いなく他科目に影響を及ぼします。
英語の文章を読むときも、数学の問題を解くときも、何をするにしても立ち止まって考えることができるようになってきます。

当初は「ふーん」とか「よくわからないや」と思っていたことを自然と追求できるようになってくる。
それが“思考が深まった“と呼びたいのです。

統計を取らずとも有意だと確信できるのが、最難関大合格者の多くが本を読む習慣があるということ。
頭がいいから本を読むのではなく、本を読むから頭がいいのです。

なんというか、本を読んだり現代文の文章に当たったりするのは、自分の中に筆者を何人も住まわせる感覚なんです。
例えば、ある社会学的な問題にぶつかれば、自分の中の社会学の筆者が出てきてヒントを与えてくれる。そんな感じです。

自分一人では到底解決できない問題に果敢に挑戦していけるようになるんですね。
現代文や英語の文章題はいろんな題材が出題されますけど、あるところまで筆者を心に住まわせられれば、ほとんどの話がわかります。

深い思考を手に入れることで、総合的な学力が上がっていきます。
成績の伸びが頭打ちになっている人は、きっと現代文を蔑ろにしているのかもしれません。

②語彙が身につく。

二つ目は「語彙が身につく」ということです。

もちろん、意識して身につけるんですよ。
ぼーっとしてちゃいけない。
能動的に身につけていく必要があるのです。

さて、語彙が身につくというのはどういった利点があるのか。
私は、語彙を手に入れることを「視野の拡大」と読んでいます。
どういうことか説明します。

実は語彙(言葉)って、世界を切り分けるんです。
混沌としていたところにすっと切れ込みを入れて秩序だてる、そんな機能があって、これを「言語の分節化作用」と言います。

みなさんも言葉にできないという経験ありませんか。
もうなんだかすごすぎて言葉が出てこない、あの感覚。
これはとても美的な芸術体験です。

ですが裏を返してみれば、それはその世界を切り分けられる術を持たないということでもあります。
混沌とした何かが押し寄せてきて感動している状態なのです。

芸術体験はそれで構わんのですけど、受験でそれはいかんのです。
受験という枠組みの中で混沌としている分野が多すぎるのは、圧倒的に不利なわけです。

あまりにも手持ち語彙が少ない受験生はやはり伸びません。
世界を秩序だてる術を持っていないのだからそれは当たり前です。

もう幼児ではないのだから、意識しないと語彙は身につかないのです。
語彙を持たないと世界を切り分けれません。
それが視野狭窄のもとなのです。

ですから先に申し上げました通り、語彙を身につけることは「視野の拡大」なのです。

はっきりと申し上げると、頭の良し悪しは手持ち語彙にかかっています。
語彙の少ない頭のいい人に未だかつて出会ったことはありませんし、今後一切出会わないものと確信しております。

語彙の問題など試験に出てこないとのたまう人がいる。
だから語彙の勉強などやらないのだと。

これが途中で勉強が立ち行かなくなる大元凶なのです。
私たちはもう少し、語彙というものにちゃんと向き合う必要があると思えてなりません。

③論理把握力が身につく。

文章をただなんとなくいきあたりばったりで読むのは現代文でもなんでもありません。
それは趣味の読書の域を出ないのです。

そうではなく、きちんと論理関係を把握しながら読む。
そういう訓練の場でもあるのです。

哲学的思索や語彙が内容面であるならば、論理関係は形式面と言えそうです。
そのどちらも学んでこその現代文なのです。
どちらか一方だけではいかんのです。

論理関係とは、ミクロな視点でみれば、

①共通
②対比
③因果

の3点です。
どことどこが同じなのか、どことどこが反対なのか、どことどこが因果関係を結んでいるのか、こうしたことを考えなから読むのです。

目だけが運動していても意味がないのです。
それは文章の上を低空飛行しているだけです(笑)。

そうではなく、内容を捉えながら立ち止まり、形式面にも注意する姿勢が大事なのです。
頭を常に働かせることが現代文です。

マクロな視点で見ると、段落どうしの関係が論理関係に当たりそうです。
段落は意味のまとまりですから、そこの段落で筆者が何を伝えていたのか、それが次の段落とどう関連していくのかを考えるのです。

文章をきちんと読むといったときの「きちんと」は漠然としています。
ですが、現代文を勉強すると、その「きちんと」の意味がわかります。

現代文を勉強することで論理把握力を身につけることができるのです。

④終わりに

実は一点とんでもなく重要なことが現代文には隠されているのですが、そちらは別記事でまとめます。

現代文を学ぶことで、思考が深まり、それが他教科にも影響してきます。
私たち日本人は日本語で思考するわけです。
そのあたりをいい加減にしないことで、きちんと成績は伸びていくのだと確信しています。

みなさんの毎日の学びを応援しています。

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