高校同期と飲んだ【終末京大生日記70】

 今日は統計検定2級を受け、60点合格のボーダーぴったりで合格することができ、気分が良い。そして、夜からは高校の同級生と飲み会があり、新橋と新宿でそれぞれ飲み会をした。

 高校の同級生と最後に会ったのは5年前だったため、私はとてもなつかしい思いを感じた。まず、序盤のアイドリングトークは、どこに住んでいるのか、どこに努めているのかなどをお互い尋ねる。なるほど、石川県で一番の進学校出身だけあってみんな立派に就職、あるいは博士課程で充実しているではないか。しかし、結局みんな東京にたどり着くのね。

 しかし、2軒目からみんな熱くなってくる。私と同じエリア出身の同級生が、「勉強ができるやつがみんな東京に来てしまったら、俺らの地域は結局よくならない」と言い出した。私は彼のことは、今を生きるエンジョイタイプの人間だと思っていたためその瞬間、私の彼の見る目は少し変わった。そして私は、酒が入っているのもあり前々から考えていた私の思想を初めて高校の同級生に披露しようと思った。「石川に企業が欲しいよね。」と、就職する場所がないから東京に来たと伝えた。すると、別の博士課程の同級生が「今、金沢は外国人が訪問していてアツい。空き家もあるからワンチャンある。」と応じた。そこから、「私は会計の仕事をしているから、会計が必要になったら呼んで」と半分冗談で別の女子が応じる。

 私は「面白くなってきた」と思った。最近、私には既存のメディアと異なった価値観を持つ地方創成や政治をテーマにしたメディアを作りたいという夢があるので意外とこうやって勉強ができる人が味方に付いてくれるのかと思った。

 そして、私は「いや~、俺もそのうち東京からいなくなるからマジで興味ある」とつなげると、初めに熱い話をしてきたやつが「俺は東京いるからお前が頼む。言ってくれたら金はだす。」と梯子を外された。「なるほど・・。これが東京にいる人たちの本音か」

 私はまた一つ賢くなった。人が用意する神輿に簡単に乗ってはいけない。結局彼らも「こうなったらいいな。誰かこれやってくれないかな」くらいの気持ちで特に人生ごとかけるつもりはないらしい。結局東京にいる人に日本は変えられないのだろう。それが地方出身の人でも。しかし、彼らは勉強ができるため、私が地方に大きな企業を作り、実力を示したらきっと少しは手伝ってくれるはずだ。人生ごとかけることはないだろうが。

 彼らは酒の場で半分冗談半分本気といった感じだったが、研修時代に私に地方創成の夢を語ってくれた友人は結局地元勤務になったから、彼は信用できるだろう。いずれにしろ、「誰が誰が」ではなく、私がやるしかないのだ。そういった思いで今はメディアを作る準備としてこうして、この連載で文章を書き、読者を集めている。

 「変えたかったらお前がやれ。」私が高校時代に親に言われた言葉だ。高校一年生の文化祭で、事前に割り振られた予算2万円を上回り、企画を仕切っていた子たちがカンパを集めることにしたらしい。そして、特に投票などを行うこともなく、彼らはカンパでクラスメイト全員からお金を集金しだした。私は「事前に決められた予算を上回るからといって、投票もせずに全員からカンパを集めるのはおかしい」と思い、文化祭期間中に親に文句を言った。すると、親は「じゃあ、こんなところでぐちぐち言ってないであんたやりなよ」と言ってきた。

 私はその言葉を聞き入れ、高校3年生の文化祭のクラス劇では私が会計係に立候補した。予算残高は文化祭期間中常に黒板に折れ線グラフで公開され、私は計画的に予算を使うように運営をやっている子たちに警告した。しかし、彼らは例のごとく「予算がなくなったからカンパしたい。」といった。私は「また来た!」と思った。私たちの高校からは政治家なども輩出されるため、「このように人から簡単にお金を集められると思っている人をそのまま世の中に出すのは危険だ。」と私は考えた。私は思った「ここで俺が彼らに立ちはだからなければ。」

 私は勇気を出して彼らに「そんなに簡単に人からお金を集められると思わないほうがいい」といった。途端に、クラス会長とその取り巻き5名程度の表情が曇る。彼らはまさか反対されるとは思っていなかったんだろう。会計のデスクを挟んで私と彼らとの間に緊張感が走る。人数は圧倒的に彼らに分がある。しかし、私は心に反町隆史を飼っていたため、言いたいことは言うと決めていた。

 私には確固たる意思があった。公立高校であるためお金に余裕がない子たちもいるだろう。私だって裕福なほうではない。

 すると、クラス会長は「ビニールシートが足りない。これがなければいい劇が作れない」といった。しかし、私は「そんなに簡単に人からお金を集められると思わないほうがいい」の一点張り。クラス会長は、私が折れないことを悟って彼が代わりに折れてくれた。一年留学していた分、精神年齢も実年齢も彼のほうが大人だったようだ。私の思いが通じた可能性もあるが。

 私はこの文化祭期間中、予算厳守の姿勢が原因でこれ以外にもクラスの女子からブチ切れられたりして肩身が狭かったが、クラス会長の協力もあり何とか予算内に収めることができた。

 そして無事、3年間で最後の文化祭が終了し、優秀な出し物がエンディングで表彰された。なんと、最優秀賞は私たちのクラスだった。私たちのクラスはほかのクラスよりも大道具が凝っており、ビニールシートも背景の転換に使う重要な大道具の一つだった。私が予算を出さなかったため、背景の転換は左半分しか行うことができなかったがさすがはクラス会長。

 こうして、私はクラス劇で最優秀賞を逃す戦犯にならずに済み、予算も2万円に収められ劇は大成功だった。私が折れなかったらもっと楽に劇は作れたのだろうが私は間違ったことをしたとは思っていない。劇の成功も大事だが、私はクラス会長と取り巻きが全権をもってすべて動かす体制には問題があると考えていたため会計役として反対することができてよかったと思っている。欲を言うならば、権力分立以外にも多数決なども考えたかったが、クラス会長のほうが人望があったため、多数決では分が悪かっただろう。

 とにかく何が言いたいかというと、世の中を変えるには実家や酒の席でぐちぐち言うのではなく、舞台に立って主張するべきだということだ。そうでないとその意見はないも同然。誰にも届かない。私は私たちの声を届けるため、メディアを作りたい。

今回もご愛読いただきありがとうござます!
面白いと思ったらフォロー・いいね!よろしくお願いいたします!
読者の皆様の応援がエッセイを続ける力になります!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?