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なぜ原文にこだわって古典を読むか① 古文の授業と「楽しむこと」をつなげたい

古典の解説動画を作っている者です。下に貼っているように、ゲームで登場するキャラクターや設定の原典といえる古文を読むことで、古典も現在の作品もどちらも見方が広がって楽しめれば良いと思いながら作っています。

実際、古典は現代語訳だけでも楽しめます。訳がなくても、背景と概要だけでも面白くできるでしょう。原文(※)があることで、とっつきにくくなるかもしれません。
しかし、私は原文を読むことにこだわっています。その理由は、大きく2つあります。

(※)ここでの「原文」は書かれた字そのものだけではなく、それを歴史的仮名遣いで活字化したものも含みます。

理由1 学校の古文の授業と、古典を楽しむことをつなげてほしい

学校の古文、とりわけ大学受験に向けての高校古文は、細かい文法に単語暗記と苦しむ方が多いと思います。
「楽しくない」し、「役に立たない」、この2つの印象を持ってしまう方が多いのではないでしょうか。

一方で、学校の古文は嫌いだけど、古典の話は好きとかマンガで読んでみたら面白かったという人も少なくないと思います。
そのような方も「原文」に対しては、「勉強感」がして苦手意識を持っていることがよくあります。
原文は楽しくないものなのでしょうか。

私はそうではなく、難しいのは「現代語訳を1から考えること」だと思います。
現代語訳や解説・単語の意味と並ぶ形で、原文が示されていれば、「もとはこうで、こういう意味なんだ」と理解することができます。
そして、私は「もとはこうで」という部分が、とても重要だと考えています。

何を訳したのか、で理解が深まる・見方が広がる

訳には必ず解釈が入ります。すると、少なからず解釈のズレが起こります。
例えば、以下の動画で取り上げた枕草子の一場面を例にとります。
帝が部下に即興で和歌を書いてと命じますが、みんな書こうとしなかった時の一言です。

「更に手の悪しさ善さ、歌の折にあはざらんをも知らじ」
◆さらに【更に】:全然(~ない)

この一言、例えば次の3パターンの現代語訳ができます。
①「字の良し悪しや歌が時季に合わなくても全く構わない」
②「いっこう、字の上手下手や、歌が季節に合わなかろうのも構わないことにしよう」
③「別にー、字下手とか季節がどうとか、どーでもいいから。」

どれも間違っていません。私は、現代語訳はなるべく原文に忠実に解釈を加えずシンプルであることを心掛けており、動画でした訳が①です。
②は「日本古典文学全集」という、原文・注釈・現代語訳が全文掲載された厚い本での訳です。この本は、私もよく参考文献の1つにします。
③はもっと砕けた感じにしたものです。遊びの場面でありますし、帝のエピソードを中宮定子が述べている場面なので実際の帝の言葉より砕けた感じで話して、これくらいの雰囲気だったかもしれません。

並べると3種類の異なる文ですが、原文があることで1つの文についての3種類の表現となります。
もっと文にない想像が盛りだくさんの訳もあるでしょう。
原文があることで、複数種類の現代語訳が“どれも”納得できる、見方が広がりますし複数の見方が繋がっていきます。

また、訳文の表現が合わずに分かりづらい・面白くないと感じることもあります。
感覚的に違和感、時に嫌悪感を抱く現代語訳もあるでしょう。その時、「これはおかしいのでは」で終わらせず、原文が参照できることで「この語がこうなるのか」や「ここの解釈を膨らませているのか」と理解が深まっていきます。(また、そうして考えた上での「やはりここはおかしい」は質が変わってきます。)

理由2については次の文章で(こちら)。

制作動画・文章

動画と同様の内容で、テキストでも原文・現代語訳・解説を載せています。ぜひ、各自に合う媒体でご覧ください。

◆動画 つづみ古文 ~『枕草子』清涼殿の丑寅の隅の~


◆文章 枕草子「清涼殿の丑寅の隅の」現代語訳・古文
https://kakuyomu.jp/works/1177354054894179129/episodes/1177354054894248271

専門である教育学を中心に、学びを深く・分かりやすく広めることを目指しています。ゲーム・アニメなど媒体を限らず、広く学びを大切にしています。 サポートは文献購入等、活動の充実に使わせて頂きます。 Youtube: https://www.youtube.com/@gakunoba