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【三位一体・世界史】 古代ギリシア史(1):エーゲ文明に魅せられた3人

①エヴァンズ (Arthur Evans)

クレタ文明のクノッソス宮殿を発掘したイギリスの考古学者。シュリーマンのミケーネ文明発掘の偉業に火をつけられて奮起。

②シュリーマン (Heinrich Schliemann)

トロヤ、ミケーネ、ティリンスを発掘したドイツの考古学者。彼の著書『古代への情熱』は、現代では「語学への情熱」を駆り立てる本として紹介されることが多い。

③ヴェントリス(Michael Ventris)

ミケーネ文明で使用された線文字Bを解読したイギリスの「建築家」(考古学者ではない)。自動車事故により34歳で急逝。

★「ちょっとだけ復習」の世界史

(1)エーゲ文明(BC3000頃~BC1000頃)

ヨーロッパの人々にとって、古典古代文明といえば「ギリシア文明」ですが、ギリシア文明のそのまた古典文明に当たるのが、このエーゲ文明です。青銅器を使った(=鉄器を知らない)クレタ島を中心とする古代文明です。前期がクレタ文明、後期がミケーネ文明

(2)クレタ文明(BC2000~BC1500頃)・ミケーネ文明(BC1500~BC1200頃)の特徴

クレタ文明は平和的な海洋文明(見出し画像のような魚の絵やタコの絵が特徴的)。それに対し、ミケーネ文明は尚武的(=軍国主義的)な内陸文明と言われます。「海洋的」か「内陸」かは、地図を見れば一目瞭然ですが、なぜクレタ文明が「平和的」で、ミケーネ文明が「尚武的」なのか?

それは、クレタのクノッソス宮殿は城壁を持たなかったのに対し、ミケーネ・ティリンスなどは城壁を有する「城塞王宮」だったからだ、と説明されます。

(3)「海の民」と暗黒時代(BC12世紀~BC8世紀)

このような尚武的なミケーネ文明が忽然(こつぜん)と姿を消すのが紀元前1200年ころ。「海の民」と呼ばれる民族系統も何もかも不明な(何せ、文字を持たなかった連中なので何もわからない)民族が地中海東岸の文明を一掃しました。これがメチャクチャ強い!たとえば、鉄器文明と戦車(二頭立ての馬車)を生み出したヒッタイト帝国すら、彼らには全く敵わず同時期に滅ぼされます。その後、紀元前8世紀にギリシアの諸ポリス(都市国家)が成立するまでの400年間、この地域の歴史がわからない「暗黒時代」に入ります。(もうお分かりかと思いますが、支配者たる「海の民」が歴史を記録する文字を持たなかったからですね。)

それでは、今日はこれにて。





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