「学び方を学ぶ」ということについて

 先だって、弊社刊『算数教科書のわかる教え方』の刊行記念イベントがZOOMで開催されました。監修者の石井英真先生、著者の樋口万太郎先生、志田倫明先生、加固希支男先生、そして全国からご参加くださったすべての先生方、お一人ずつに、心から御礼を申し上げます。

 非常に面白く、勉強になる話が満載でした。そんななかで、私が特に強く興味を惹かれたのは「できること」「わかること」「使えるようになること」、そして「学習の文脈の転移」という話でした。
 そういえば、こうした論点のヒントになるようなことが、あの本に書かれていたのでは……と思い、再度、読み直したのが、言語学者であり、システム論の研究者であり、人類学者でもあったグレゴリー・ベイトソン(1904~1980年)の『精神と自然』。
 本書の中に、イルカの学習の話が紹介されています。
 ベイトソンが観察したイルカは、芸を披露すればエサがもらえるという条件づけによって、「トレーナーの笛がなればエサがもらえる」「笛が鳴ったときに自分がしていた技を再演するとエサがもらえる」──そのように訓練されていました。
 このセットによって、「トレーナーが笛で指示した動きを、もう一度、観客の前で披露せよ」というコミュニケーションが成立しており、イルカショーは実現していました。
 ただし、イルカショーの公演が一回目、二回目、三回目と続くなかで、イルカが前回に笛の鳴った技をやってみせても、トレーナーはエサを与えないのです。トレーナーは先の公演と別の技を行わせるために、二回目の公演では、一回目と異なる顕著な動きを見い出して笛を鳴らし、そこでエサを与えるのです。たとえば、尾びれで水槽を打つ、というような、普段はイルカの不満の表現として見られる動きに、エサを与えて強化する。
 ところが三回目では、尾びれの壁打ちでも、トレーナーの笛はならない。このように、学習されたコンテクストのフレームの反復と差異化を繰り返しているうちに、ついにイルカは「公演毎に何か新しい動作を行う」という一段抽象度の高いコンテクストを学習したというのです。複数回の公演における差異がメタレベルのパターンを形成し、「新しいものを生み出す」という学習のコンテクストの驚くべき飛躍をもたらしたのです。

 イルカの知的能力の高さは知られているところですが、イルカのこの学習のレベルの転移には、やはり驚かされます。ベイトソンは「論理的カテゴリーを飛躍する一種の創発がおきている」と書いています。
 この飛躍は、学習における「刺激-反応-強化」パターンのダイナミクスが生み出す創発現象です。
 また、与えられた行動の学習だけに終始することなく、各レベルの間の関係を行き来し、橋渡しするカテゴリーの学習として、ベイトソンは「芸術」ということを言ってもいます。社会のなかで育まれ、誰もが共有してきたルールやコンテクストがありますが、それをときに破り、鮮やかに飛躍してみせるとき、「新しいもの」が生まれる。そこに芸術の力がある。

 教育現場において、「わかる」「できる」「使えるようになる」、そして「新しいものを生み出す」ことを実践に落とし込むために、ベイトソンが描いたこの学習の飛躍のロジックは、大きなヒントになるように思っています。

(文責:いつ(まで)も哲学している K さん)

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